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戦時下日記

戦時下日記(11月7日-20日)

11月7日(月)

ノルド・ストリームの続報。

ロシアの対外情報庁長官セルゲイ・ナルイシキン(Sergey Naryshkin)が、トラス元英首相からブリンケン米国務長官へのメール(”It’s done”)を「間接的に」確認したと述べている。この「間接的に」とは、中国の諜報部門経由という意味だろう、というのがKim Dotcom氏の見立て。

ロシアからの報復については「最も懸命なやり方は何もしないこと」と指摘していて深く納得した。

なぜならロシアは勝っているからだ。メディアは報道しないが独立系の軍事専門家たちは、軍備の再増強を経て行われるこの冬の攻撃によってウクライナは倒れるだろうという意見で一致している。アメリカとNATOがどれだけの武器を追加でウクライナ軍に送ったとしても。

となればノルドストリームへの最も効果的な報復は報復しないことだ。誰がやったかはみな知っている。非西側諸国の目にはロシアと中国はますます思慮深く理性的なアクターに見えている。BRICSとその同盟国は支持を獲得する。新たな財政システムを伴う多元的秩序の誕生は不可避に見える。

ロシアは「報復を発表する」とか言いながら結局何もしていないようなので、その説明にもなっている。

11月10日(木)

アメリカのシリア=イラク国境への爆撃で民間人の死者30人。石油を運搬する船とか。

詳しく調べていないが、アメリカはシリアの資源(石油、ガス、小麦)の大半を略奪し続けていると言われているので、その関連か。

11月14日(月)

イスラエルがシリアに爆撃。

11月15日(火)

戦時下日記を書き始めたら「もう新しい秩序が始まっているのだ」という理解がやってきて、早くもやる気が低下していたところに大きなニュース。

13日のイスタンブールでの「テロ」とされる爆発事件(6人死亡、80人以上負傷)。直前にエルドアンがウクライナ戦争に関するアメリカの態度を非難するような発言をしていたので、CIAの関与を推測する声が聞かれたが、「まさかトルコほどの国に対してそれはないんじゃ」と思っていた。

だがしかし、今日のトルコ内務大臣のコメント。

私たちはこの事件がどのように仕組まれたか分かっています。この事件がどこから仕組まれたかも分かっています。この事件が伝えようとしているメッセージを理解しています。私たちはアメリカ大使の哀悼を受け入れません。拒絶します。

https://www.aa.com.tr/en/turkiye/turkiye-does-not-accept-us-condolence-over-istanbul-terrorist-attack-interior-minister-soylu/2737533

ーーー

先週末にロシア軍がヘルソン州の州都ヘルソンから軍を撤退させたニュースがあり、いろいろ総合すると、川向こうの州都ヘルソンに兵を置いておくことには物資の補給などの観点から不安があるのでロシア兵に多数の死者を出さないために(プーチン大統領が一番恐れているのはそれ、という意見に私は納得している)とりあえず一旦引いた、というような話に見える。

それが正しいかどうかはともかく、趣旨がまったく分からない状態で、ロシアが正式に発表して兵を引いた事実を、まるでウクライナの勝利であるかのように報道するBBCやらNHKには驚く。新聞(私が見てるのは中国新聞だけ)にも批判精神はまったく見られない。

でもまあずっとそうだったんだろうな~。
太平洋戦争中の日本の人たちの気持ちが今わかる。

一部の人たちは、ウソであることがはっきり分かっている。
だからといって何ができるわけでないことも分かっている。

それ以外の人たちも、全面的に信じているわけではないが、真実を知ったからってどうなるものでもないから、何となく信じているような顔をして暮らしている。

だから戦後になっていろいろウソだったことが分かり、戦勝国の方針にしたがって教えられ報道される内容がガラリと変わっても(そっちが本当というわけでもないのだが)、「やっぱりそうか」という感じで、全然対応できてしまうのだ。

衝撃を受けるのは生真面目な子供たちだけ、という。

今回、それが日本だけのことではないと分かったのがとにかく収穫だった。

11月16日(水)

ポーランド側の国境地帯にミサイルが着弾と報道。
ウクライナのミサイルである様子。

11月18日(金)

トッドが「ポーランドは要注意」と言っていたのを思い出したが、とりあえずアメリカ・NATOは大ごとになるのを避けようとしているのが感じられる。

しかし、ウクライナ政府は、ウクライナ国内の戦況についてはどんな虚偽・誇張を言っても許されるのに、ウクライナから西に戦線拡大の気配が見られた瞬間にはっきり否定されるという状況をどう感じるのだろうか。

ウクライナはどうなってもいいけど、他はダメ、という明確な意思表示を。

11月19日(土)

2014年のウクライナ東部上空でのマレーシア航空旅客機撃墜の判決。

1994年に発生したエストニア号沈没事件(NATO軍の船との誤衝突が隠蔽された強い疑いがあるという)との類似性を指摘する声を聞いた。

エストニア号の調査に深く関わったスウェーデンはまもなくノルド・ストリームの関連の報告書を出すとか。どういうクレンジングが行われるのか。楽しみ。

今回のもう一つの収穫は、ヨーロッパ各国も相当にアメリカの「ポチ」であるとわかったこと。全然よいことではないけれど、真実を知るのはよいことだ。

11月20日(日)

イスラエルがシリアに今週二度目の爆撃。

しかし(?)アメリカが現在関与している最低最悪の戦争はイエメンなのだという(Scott Horton情報)。ウクライナよりひどいという意味だ。今度調べよう。

広島では葉っぱの大きいモミジをよく見かける。もみじまんじゅうのモミジはこっちなのかも。

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世界を学ぶ

ルーラとBRICSと世界の未来(翻訳記事付)

ブラジル大統領選で勝利したルーラ(愛称を正式の名前に入れ込んだものらしい。だから「ルーラ」でいいと思う)はBRICSの創設メンバーの一人である。

彼の勝利はいわゆる「グローバル・サウス」の人たちに大いなる希望として映っている。ウクライナ危機のおかげで「米国(ドル)のヘゲモニー崩壊→多元的秩序の形成」という道筋が具体的に見えてきて勢い付いているところに、信頼できるリーダーが一人加わるということだから。

BRICSは、当初は成長著しい4ヵ国(ブラジル、ロシア、インド、中国)をまとめて呼ぶための(投資家目線の)名称にすぎなかったが、2009年に本人たちが4ヵ国の首脳会議を開催し、以後「加盟」という概念が成立する公式の国際組織に成長している。

*当初4ヵ国のときは「BRICs」と書いていたが南アフリカが加わって「BRICS」になった。

そのときブラジルの大統領だったのがルーラだ。

これははっきりウクライナ危機の影響だと思うが、今年の7月頃から多くの国が関心を見せはじめ、アルゼンチン、アルジェリア、イランがすでに正式に加盟申請、ほかにサウジアラビア、トルコ、エジプト、アフガニスタン、インドネシアの申請が見込まれ、カザフスタン、ニカラグア、セネガル、タイ、UAEが関心を示しているとされている。

https://www.silkroadbriefing.com/news/2022/11/09/the-new-candidate-countries-for-brics-expansion/

地図にするとこんな感じ。

https://www.silkroadbriefing.com/news/2022/11/09/the-new-candidate-countries-for-brics-expansion/

イムラン・カーンがパキスタンの首相になったら間違いなくパキスタンもこの動きに乗るだろう。ユーラシア大陸の重心が移動していくのがはっきり感じられるではないか。

迂闊に立てた予測が眼前に近づいているようで興奮してしまう..)

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ルーラについての手頃な記事があったので、翻訳を付けておきます(各項目に要旨も付けました)。

これはラテン・アメリカの話が中心だが、パレスチナ問題などでもその指導力に期待する声が上がっているらしい(https://www.mintpressnews.com/how-lula-da-silva-victory-opportunity-palestine/282720/)。

いろいろ楽しみですね。

 

ルーラの勝利が米国主導の世界を変える4つのルート(Ted Snider)

https://original.antiwar.com/ted_snider/2022/11/01/four-ways-lulas-victory-will-reshape-the-us-led-world/

10月30日、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバ前大統領が再びブラジルの大統領に就任することが決まった。

第一回投票では48%対43%で現職ボルソナロに対して優勢に立ったが、勝利に必要な50%には届かず、二人の候補者の決選投票が行われた。ルーラは50.9%対49.1%でボルソナロを破り、決選投票を制した。

ルーラの勝利はブラジルをはるかに超えた影響を世界に与えるだろう。それは衝撃波となって様々な形でアメリカ主導の世界秩序を揺り動かす可能性がある。

1 ラテンアメリカの統合

ルーラは、メキシコのロペス・オブラドール大統領とともにラテンアメリカを統合に寄与し、ラテンアメリカのアメリカの覇権と干渉からの解放を導いていくだろう。

米国は長い間ラテンアメリカを裏庭と見なしてきた。今年1月のバイデンの演説で裏庭から「アメリカの前庭」に格上げされたが、前庭であれ裏庭であれ、アメリカはほぼ2世紀に渡り、自国の外交政策上の望みを達成するため、あらゆる干渉や暴力を駆使してその庭で遊び続けてきた。地球の西半球における覇権は決して秘密裏のものではなく、つねに公式の政策だった。それは、モンロー・ドクトリンに明記され、セオドア・ルーズベルトによって強化された。

*訳者注:セオドア・ルーズベルトは1940年の年次教書でアメリカはカリブ海地域の安定のために内政干渉(「国際警察力の発動」)を行う責務を負うというモンロー・ドクトリンの新解釈(ローズヴェルト系論と呼ばれる)を提示した。

ラテンアメリカでは現在、メキシコのアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール大統領のリーダーシップの下、ますます多くの国がモンロー・ドクトリン(すなわちこの地域でのアメリカの覇権と干渉)に対し反旗を翻している。ルーラ・ダ・シルバの当選により、ロペス・オブラドールとラテンアメリカ第二の経済大国であるメキシコは、ラテンアメリカ第一の経済大国で最大の政治的影響力を持つブラジルと手を組み、手強いパートナーシップを構築しようとしている。

大統領としての一期目の任期中、ルーラはベネズエラのウゴ・チャベスとともに、ラテンアメリカ統合と地域でのアメリカの覇権に対する抵抗の最初の波を率いた。今回の任期で、ルーラは第二の波を導く力となるだろう。

選挙戦の間、ルーラは、ブラジルは独立した外交政策を確保すると約束した。ラテンアメリカの専門家であるマーク・ワイズブロ(Co-Director of the Center for Economic Policy and Research)は「ルーラは一期目の任期のときと同様に、西半球の経済的統合を積極的に推進するだろう」と筆者に語った。

5月の選挙戦でルーラは西半球統合の重要性を強調し、「ラテンアメリカとの関係を回復する」と約束した後、ラテンアメリカ通貨の創設に言及した。これは無意味な選挙公約ではなかった。SURと呼ばれるルーラのラテンアメリカ通貨のアイデアにはすでにフェルナンド・ハダト前サンパウロ市長やガブリエル・ガリポロ前ファートル銀行頭取が賛意を示している。ルーラはさらにメルコスール・ブロック(ブラジル、アルゼンチン、ベネズエラ、パラグアイ、ウルグアイで構成されていた経済的・政治的ブロック)を再編成するとも述べている。

2 ベネズエラの孤立化政策

ルーラは、ラテンアメリカで進行するベネズエラの再統合の動きを後押しすることでアメリカのベネズエラ孤立化政策を破綻させ、ラテンアメリカの統合を強化していくだろう。

ベネズエラの孤立は、ラテンアメリカにおける米国の外交政策の礎であったが、近時その礎に亀裂が現れつつある。

アルゼンチンはすでにベネズエラとの関係を再構築すると発表しているし、メキシコ、ペルー、ホンジュラス、チリなど、他のラテンアメリカ諸国もベネズエラとの交流を再開している。エクアドルもベネズエラとの国交回復を検討中であり、アルゼンチンのアルベルト・フェルナンデス大統領はすべてのラテンアメリカ諸国に対しベネズエラ政府との関係を見直すよう呼びかけている。

ベネズエラと敵対し孤立させる政策において主要な役割を果たしてきたアメリカの同盟国コロンビアは、つい最近グスタボ・ペトロを大統領に選出したところである。8月9日、コロンビアはベネズエラとの国交を完全に回復させるというペトロの公約を実行し、ベネズエラへの大使の駐在を再開させた。

ブラジルの経済的・政治的な重みが加わることは、一期の任期でルーラがチャベスを支持したときと同様に、ベネズエラの再統合に強い影響を与えるだろう。5月、ルーラはTime誌のインタビューで「米国とEUがグアイドを大統領として承認したときには非常に気を揉んだ。民主主義を弄んではいけない」と述べている。

*訳者注:2019年1月、当時国民議会議長であったグアイドはマドゥロを再選した前年の選挙を無効と主張し、暫定大統領に就任した。

旧ルーラ政権の外務大臣でルーラの外交政策に関する最高顧問であるセルソ・アモリンは、ルーラの当選は「ブラジルが隣国ベネズエラと再度外交関係を築くための扉を開くことになるだろう」と述べている。彼は「ボルソナロとドナルド・トランプ米大統領はベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領との関係を絶つことで何も達成しなかった」と付け加えた。

3 一極体制の世界

ルーラは、世界におけるBRICSの存在感を高め、ブラジルおよびラテンアメリカ地域と中国・ロシアとの関係を強化することで、アメリカの一極支配の対抗軸となっていくだろう。

ロシア、中国、インド、ブラジル、南アフリカをメンバーとするBRICSは、米国の覇権に均衡することを目指す重要な国際組織である。ルーラは一期目の任期中にその創設メンバーとなった。

第二期の政権でもルーラはその仕事の続きを担うと考えられる。ワイズブロットはルーラは「アメリカと中国の双方と良好な関係を保とうとするだろう。以前もそうだった」と私に語った。ルーラは中国との間に経済関係だけでなくより友好な関係を発展させていくつもりだと明言している。

ボルソナロがルーラに変わったことは、世界のBRICSに対する見方に重要なインパクトを与えるかもしれない。

世界を民主主義国家と権威主義国家に二分するバイデンのマニ教的な世界観の中では、BRICSは権威主義のレッテルを貼られるおそれがあった。しかし、ルーラの加入で、それほど単純に片付けることはできなくなるだろう。

ルーラは民主主義の支持者である。公正な選挙で選ばれたリーダーであり、国際的な尊敬も受けている。

一期目のルーラはBRICSに国際情勢の中で重要な役割を担わせることに貢献したが、彼のBRICSへの復帰は再度同じ効果を発揮する可能性がある。

ルーラの選出はBRICSの絆とブラジルの対中国・ロシア関係の両方を強めることになるだろう。

4 ウクライナ

ルーラは、ウクライナ紛争における戦争終結のための交渉を促進する役割を果たせるかもしれない。

ボルソナロ政権下でさえ、ブラジルはアメリカ主導のロシア制裁に加わり国連でアメリカとともにロシアに反対票を投じることに消極的だった。ルーラの下でもアメリカにとって状況が容易になることはないだろう。ルーラは制裁を政治的過ちと見なしている。

アメリカにとってより重要なのは、5月4日のTime誌のインタビューで、ルーラが次のように語っていることである。

「プーチンはウクライナを侵攻するべきではなかったと思う。だがプーチンだけに罪があるわけではない。アメリカとEUにも罪がある。ウクライナ侵攻の理由は何だったのか。NATO?それならアメリカとEUが「ウクライナはNATOに加盟しない」と言えばよかった。それで問題は解決できたはずだ」

続けてルーラはバイデンと彼の外交的解決への努力不足を批判した。

「私はロシアとウクライナの戦争について彼が正しい判断をしたとは思わない。アメリカは強い政治的影響力を持っている。バイデンは煽るかわりに戦争を回避することができたはずだ。彼はもっと対話をし、積極的に関与することができたはずだ。モスクワに飛行機を飛ばしてプーチンと話をすることができたはずだ。それこそがリーダーに期待される態度である。物事が軌道を外れないように介入すること。彼はそれをしなかったと思う。」

ルーラはウクライナ紛争における外交の欠如という状況を変える役割を果たしうるかもしれない。元外交官のセルソ・アモリンは、ルーラは再び世界的な和平交渉における主導的な役割を担うことができると言う。彼は、ルーラの下でブラジルは中立と紛争の平和的解決という政策に復帰するだろうと述べている。

アモリンは、一般論としてBRICSは戦争終結のための交渉の場になりうるし、特にルーラは重要な役割を果たしうると述べる。ルーラはロシアと良好な関係にありロシアに尊敬もされている。アモリンによれば「彼は和平交渉向きの気質と実績を併せ持っている。」「ルーラは交渉に参加することができる諸条件を持っている。EUとアメリカが主導し、もちろん中国も参加する必要がある。新興国と共鳴する国としてプラジルも重要な役割を果たしうるだろう」と彼は言う。「BRICSはその力になる。」

ルーラがブラジルと国際舞台に戻ってきたことは、地域的にも国際的にもアメリカの一極支配へのチャレンジとなるだろう。地域的には、ルーラは地域統合を推進しアメリカの庭(表であれ裏であれ)として扱われることに抵抗する力となりうる。国際的には、ルーラは、BRICSの強化とそのイメージの向上、ラテンアメリカと中国・ロシアとの経済的・政治的関係の継続的改善、そしてウクライナでの戦争終結のための交渉のすべてを推進する力となり得るだろう。

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パキスタンは燃えている
-民主化過程見学ガイド-

11月3日にイムラン・カーンが銃撃された後も、パキスタン議会の解散と総選挙の実施を求める抗議デモは続いている。イムラン・カーン自身も早期の復帰を約束しデモの継続を呼びかけている。パキスタンでいったい何が起きているのだろうか。

推奨BGM
Clash “London’s Burning

イムラン・カーンの人気は何を意味するのか

イムラン・カーンは2018年に首相に就任した。しかし今年(2022年)4月に議会の不信任決議により首相職を追われ、8月には反テロ法容疑で逮捕、10月には議員資格を停止され5年間の公職追放処分を受けた(詳しい経緯は後ほど)。デモはこうした一連の措置に反対し、総選挙の実施を求める趣旨のものである。

イムラン・カーンの首相就任については、クリケットのスーパースターという経歴から「世界を席巻するポピュリズムの波がパキスタンにも訪れた」と評されることが多かったようだが、それはちょっと違うと思う。

トッドに学んだ人口学の知見を応用してみれば分かる。下に「参考」として示す各種データを見ていただきたい。はっきり読み取れるのは、パキスタンは今まさに近代化の過程をくぐり抜けている最中の、若者ひしめく活気に満ちた国家だということである(→近代化モデルについてはこちらをご参照ください)。

イムラン・カーンは、裕福な家庭に育ちパキスタンのエリート校を出てオックスフォード大学で哲学、政治学、経済学の学士号を取得した、パキスタン社会のエリートである。

イムラン・カーン首相の誕生は、識字化し政治に目覚めた人々が自分たちに相応しいエリートの人気者を選んだ結果である。考えられる限りもっとも健全な民主的選択ではないだろうか。

民主主義が終わろうとしている国の「ポピュリズム」などと一緒にするのは失礼だし、的外れだと思われる。

(参考)パキスタンの人口学・人類学データ

家族システム 内婚制共同体家族
宗教     イスラム教
近代化指数  男性識字化 1972  女性識字化 2002  出生率低下 1990
       *比較対象となる数字はこちら
年齢中央値 22.78歳(2020)
       (→日本の1940-50相当 2020の日本は48.36)
人口      約2億1322万人(2017)

By Abbasi786786 – Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=120269592

↑ 年齢はとにかく若い。日本だと1940-50年頃がこんな感じだった。

↑ 人口もこんな感じで増えている。

↑ トッド的に重要な乳児死亡率も順調に低下を続けている。

パキスタン政治のこれまで

パキスタンではまだ(いわゆる)民主化革命は起きていない。しかし今起きていることは間違いなくその前兆(あるいは一部)である。

彼らがいったいどんな未来を作ってくれるのか、私は楽しみで仕方がないので、これをしかと味わうために必要と思われる情報をざっくりまとめてみたい(随時更新するかもしれません)。

独立〜クーデター政治

パキスタンがイギリスから独立したのは1947年。しかし、しばらくの間はよくある新興国の政治が続く。 

建国の父(ムハンマド・アリ・ジンナー)がいて、選挙で選ばれた初代大統領が誕生するがクーデターが起きて軍事独裁となり、その評判が落ちるとまた選挙で指導者が選ばれたりするがすぐにクーデターで軍事政権に戻る、という感じのやつである(なおパキスタンには大統領と首相がいる。両者の関係は(今のところ私には)不明だが2010年の憲法改正で議院内閣制に移行して以後、大統領は名誉職的なものになったという(wiki))。

なぜそうなってしまうのか。我々にはもう分かっている。パキスタンで男性識字率(20-24歳)が50%を超え、近代化の始まりを告げたのはようやく1972年のことである。国民の選択に基づく民主主義がそれより前に機能するはずはないのだ。

民主化の第一歩

真の民主化に向けた歩みの第一歩目が踏み出されたのは、2008年の総選挙であったと思われる。

そのときの大統領は、陸軍参謀総長であった1999年にクーデターを起こして政権についたムシャラフ。比較的自由主義的で進歩的だったとされる彼は「自由で透明性のある方法」で選挙をすると公約し(wiki)、行われたのがこのときの総選挙だった。

ムシャラフは国民の人気も高い指導者だったのだが、ベナジル・ブット元首相暗殺事件などの結果、議会は反ムシャラフ派で占められ、パキスタン人民党のギラーニが首相に選ばれた。詳細は省くがムシャラフ大統領は辞任に追い込まれ、新たに行われた大統領選挙でパキスタン人民党総裁のザルダーリー(ブットの夫でもある)が大統領に選出された。

ただ、このとき選ばれたギラーニ政権も任期を全うすることはできず、司法の介入により解任されている(後述)。司法の背後には軍がいたとされており、まだまだ軍の実力がものを言う世界であることは間違いない。

アメリカとの関係

アフガニスタン紛争の蜜月から
「テロとの戦い」へ

パキスタンはインドへの対抗上つねに大国の助力を必要としていたため、状況が許す限り中国ともアメリカとも緊密な関係を結んできた。

アメリカから見るとパキスタンはソ連およびイラン封じ込めのために重要で、戦略的重要性は1979年のソ連のアフガニスタン侵攻以後増大した。

アメリカはソ連が支援する当時の共産主義政権(アフガニスタン人民民主党)に対抗するため、アフガニスタンにおける対抗勢力であるイスラム主義者を支援し、同時にその後援者であるパキスタンの軍事政権への支援も強化した。

なお、アフガニスタンのタリバンはこのときアメリカが支援したイスラム主義勢力の中から生まれてきたものである。同じくイスラム主義を標榜するパキスタンは、アフガニスタンのタリバンに基本的には親近感を持っているはずである。

そのため、2001年の同時多発テロの後、アメリカがオサマ・ビン・ラディンを匿ったと難癖をつけてアフガニスタンのタリバンと戦争を始めると、パキスタンは難しい立場に置かれることになった。

無人機攻撃への反感

親米で知られる当時の大統領はアメリカの「テロとの戦い」を支援する現実的立場に立った。2008年に首相となったギラーニもその立場を継承し、この間アメリカはパキスタン西部のシャムシー空軍基地を無人機(ドローン)攻撃の拠点として使うことを許された。

無人機攻撃作戦の対象は当初はアルカイダ高官のみであり、アメリカにテロを仕掛けた者たちの討伐という理由はパキスタン国民にもどうにか受け入れ可能だった。

しかし、アフガニスタン戦争でタリバンに苦戦していたアメリカは、2008年、彼らと関係があると見られるパキスタン国内のイスラム主義勢力(北部ワジリスタン周辺を拠点とするパキスタン・タリバン運動)にまで対象を拡大することを決める。

オバマ政権(2009-)の下、パキスタン国内での無人機作戦の実行回数は大幅に増加した。2009年から2012年までの3年間の無人機攻撃作戦は約260回、民間人の犠牲者は282-535人(60人以上は子供)と報告されている(the Bureau of Investigative Journalism)。

パキスタン・タリバン運動(TTP)は50以上のイスラム主義グループの連合体で、その中には政府にテロ攻撃を仕掛ける過激派勢力がいる一方でそれを抑えようとする穏健派もいる。

過激派勢力にしても、彼らの存在はパキスタンの国内問題であって、アメリカの「テロとの戦い」とは何の関係もない。パキスタン側から見れば、パキスタンのイスラム主義勢力への攻撃が内政干渉であることは明らかだった。

パキスタンの人々にとっては、パキスタンのイスラム主義勢力もアフガニスタンのタリバンも本質的には敵ではない。アメリカが勝手に敵視するそれらの攻撃のために自国領土を荒らされ、民間人までが犠牲になるという事態に、パキスタン国民の反米感情は高まった。

ビン・ラディン急襲の余波

アメリカは、2011年5月、パキスタン政府への事前通告なしに国内に潜伏していたウサマ・ビン・ラディンを急襲し、殺害した上、ビン・ラディンの潜伏に協力していたと決めつけてパキスタン政府を非難した。

さらに、同年11月には、アフガニスタンに駐留するNATO軍がパキスタンの国境警備隊基地を越境爆撃し、兵士24名を死亡させる事件が起きた。

パキスタンはこうした事態を主権侵害であるとして非難し、政府はNATO軍のための物資の補給路を遮断した上、シャムシー空軍基地からの立退をアメリカに要求した(のちに交渉の末復旧)。

なお、このときの首相は先ほど述べた2008年の選挙の後に首相に選ばれたギラーニで、彼はこの直後の2012年2月にパキスタン最高裁により法廷侮辱罪(ザルダーリー大統領の汚職疑惑を追及しなかったという理由)で有罪とされ退任させられている。合憲性に疑問のあるこの司法の行動の背後には軍がいたというのが一般的な見方のようである。

2013年の総選挙では1990年代から2期に渡って首相を務めたナワーズ・シャリーフが選ばれ、2017年に汚職疑惑で亡命するまで政権を維持した(ちなみにイムラン・カーンの首相解任後に首相に選ばれた現職のシャバズ・シャリーフはナワーズの弟)。

イムラン・カーンの首相就任と排除

イムラン・カーンの躍進

こうした状況の中、アメリカの無人機攻撃や北部ワジリスタンでの軍事作戦に対し断固反対の姿勢を示し、国民の支持を集めていったのがイムラン・カーンなのである。

1996年に下院議員となったイムラン・カーンの政党「パキスタン正義運動」は2013年の選挙で第3党に躍進、2018年にはついに第1党となる。こうして、同年8月に、イムラン・カーンが首相に就任することになる。

イムラン・カーン排斥の手続きは正当か?

そのイムラン・カーンは、2022年4月10日に内閣不信任決議により首相の座を追われた。

必ずしも「クーデター」という報道はされていないようだが、以下に見るように、その経緯は通常とはいえない。

野党が不信任決議案を提出したとき、イムラン・カーン首相は議会を解散して総選挙に打って出ようとした。パキスタンの法制度がどういうものなのか私は知らないが、首相や内閣の決定による解散総選挙の実施は議会制民主主義の国では普通のことである。

不信任決議案は内閣を辞めさせるために出すのだから、内閣が解散し総選挙をするといえば文句はないはずであろう。日本の場合、不信任決議が可決された場合も、内閣は解散総選挙か内閣総辞職のどちらかを選ぶことになる。選挙の実施が許されないということはあり得ない。

ところがパキスタン最高裁はイムラン・カーン首相による議会解散を違憲と判示する。そして復旧した議会は提出された不信任決議を可決してカーンを辞めさせ、野党から首相(イムラン・カーンの前の首相ナワーズ・シャリーフの弟シャバズ・シャリーフ)を選ぶのである。

これではまるでイムラン・カーンを排斥し選挙によらずに次の首相を決めるための策謀のようではないか?

いつものパキスタンのやり方といえばそれまでではあるが、カーン首相を支持したのはこうした政治にうんざりした人々なのだ。

イムラン・カーンは「アメリカが背後にいる」と主張しているが、それが不合理な主張ではないことも確認しておく必要があるだろう。

イムラン・カーンは、ロシアがウクライナに侵攻する前日の2月23日に、プーチン大統領の招聘に応じてロシアを訪問していた

ウクライナ侵攻開始後、カーンは、ロシアの行為を非難するよう要求する西側諸国の圧力に不快感を示していた

おそらくその関係だと思うが、イムラン・カーンは「ある国」からの文書の存在を公表し(のちに「アメリカ」と明言)、3月31日に開催した国家安全保障委員会(NSC)の席でそれを内政干渉であると確認する決定を行った上で、アメリカ大使館に公式の抗議文を届けていた(4月1日)。

内閣不信任案の提出は、この直後というタイミングだったのである。

排斥の動きは続くが人気も続く

首相解任という事件の後も、イムラン・カーンの人気は衰えず、7月に行われたパンジャブ州の補欠選挙で、イムラン・カーンのパキスタン正義運動は20議席中15議席を獲得する大勝利を収めた。この結果は新政権への不信任と同時に、4月の政権交代の不当性を訴えるカーンへの国民の支持を示すものと捉えられた。

その直後(8月)、イムラン・カーンは反テロ法違反の容疑で逮捕され(パキスタンの反テロ法の問題性については「おまけ」の記事②に詳しい)、10月21日には選挙管理委員会により議員資格の剥奪と5年間の公職追放が決定される。

11月3日の暗殺未遂事件は、こうした一連の動きに反対し、早期の解散総選挙を求めるデモ行進の最中に発生したものである。

おわりに

イムラン・カーンはパキスタンの現政権にとって最大の政敵であり、アメリカの敵でもあるので、主流のメディアから中立的な(あるいは好意的な)情報を得るのは難しい。おまけとして独立系ジャーナリズムの記事(翻訳)を付けておくので、お読みいただくと大体の感じがお分かりいただけると思う。

パキスタンの民主化は大変だ。彼らが倒したい古い勢力の背後にはアメリカが付いていて、自らの覇権維持のためになりふり構わず介入してくるのだから。

彼らの今後は国際情勢に大きく左右されるだろうが、だからこそ、彼らの動きは間違いなく現今の激動に大きな影響を与えていくだろう。

ああ、楽しみ。

まとめ

  • パキスタンは近代化=民主化局面にある
  • パキスタンはアメリカの対ロシア・イラン政策上重要な支援対象だった
  • アメリカがアフガニスタンのタリバンと戦争を始めたことで、パキスタンとの関係が難しくなった
  • 「テロとの戦い」の中で展開されたパキスタン国内での無人機攻撃作戦が国民の反米感情を高揚させた
  • イムラン・カーンはアメリカの作戦に一貫して反対の姿勢を示したことで国民の信頼を勝ち取った
  • イムラン・カーン首相はロシアのウクライナ侵攻に関し西側に追従しない立場を明確にした直後、クーデターまがいのやり方で解任された
  • 首相解任後もイムラン・カーンに対する国民の支持は衰えていない

おまけ

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戦時下日記

戦時下日記(10月26日-11月5日)

ノルドストリーム2爆破のニュースの頃から、「これはもう戦時下だなー」と感じるようになった。そう遠くない将来に自分たちも巻き込まれずにはいないだろう。何かは分からないが、単に物価が上がるとかいうだけでない何かがやってくるだろう。なにしろアメリカがロシアに戦争を仕掛けているのだから。

表立って語られることがあまりにも少ないので、この話を持ち出そうとすると、なんかこう「不都合な真実を暴く!」みたいなノリになってしまいがちなのだが、そういうことではないのです。ただ、みんなで迎えるであろう近未来に関わるこれほど大きな出来事が、みんなの話題として共有されないのはなんか変だし、もったいなくないか?とも思うのだ。

そんなわけで、私自身の備忘も兼ねて、日記という形で、戦争の日々をおしゃべりしてみることにした。私は口数は少ない。だから日記も短いし、日記だから出典なども適当だ(積極的に嘘をつくことはしません)。

自分にとっても、こんなものを読もうと思う奇特などなたかにとっても、日々を心穏やかに過ごす役に立ったらいいと思う。

10月26日(水)までのうろおぼえ

ノルドストリーム2の破壊が報道されたのが9月末。スウェーデンが「機微性が高すぎる」という理由でドイツやデンマークとの調査結果の共有を拒否したというリーク報道があって以来情報が途絶えているので、アメリカが犯人なのだろう。

10月26日(水)

アメリカの民主党員の数人がウクライナ戦争への対処方針の変更(強硬路線からロシアとの対話路線へ)を提案する書簡をバイデンに手渡したという報道が昨日くらいにあって「お、ちょっといいニュースかも?」と思ったが、今日にはもう撤回されていた。理由は「スタッフのミス」。

ロシアが「汚い爆弾」をウクライナが使うおそれがあると言っている。ロシアは何か情報を掴んでいるのだろうと思うが、西側は取り合わないいつものパターン。

公園でウグイスを見かける。春にきれいに鳴いているときにはいくら探しても見えないが、秋冬には平地に出てくるのだそうだ。

10月27日(木)

イスラエルがダマスカス(シリア)を空爆。この一週間で3回目とか。シリアでもイラクでもパレスチナでも戦争は続いているらしい(他にもあるだろう)。

イスラエルは何をしても文句を言われなくてすごい。

10月31日(金) 

週末にロシアが穀物輸出の合意履行を停止するというニュースがあった。黒海艦隊へのテロ攻撃が理由。

黒海艦隊へテロ攻撃、それからノルドストリーム2のときも具体的な実行者はイギリス(背後にはもちろんアメリカ)というのがロシアの見解で、かなりの証拠があるもよう。

ブラジルではルラが勝利。

11月2日(水)

ノルドストリーム2爆破(by 英・米)に対する報復について土曜日にロシアが何か発表するとか。ちょっと楽しみ。

ロシアは穀物輸出の代わりに困っている国々に小麦を提供するとのこと。共同体家族のやり方だ。

中国も同じメンタリティで貧しい国を支援することがある。もちろん国家のやることだから全くの慈善事業ということはないだろうが、主体がロシアや中国だとNHKのアナウンサーが必ず「どういう(裏の)意図があるんでしょうか?」「〇〇の狙いがあるようです」とかいうやり取りをするのはゲスすぎる。教育上よくないのでやめてほしいといつも思う。

11月3日(木)

北朝鮮がやたらとミサイルを飛ばす。しかしそれは米韓日の軍事演習への反応だからやむを得ない。この時勢にアメリカが頻りに軍事演習をしていたら攻撃をおそれるのは当然だ。

この先アメリカの覇権が終わると北朝鮮が一方的に敵視されることもなくなり、それなりに発展していくのだろう。これがよいことでなくて何だろう。

夜にはイムラン・カーン銃撃のニュース。命に別状はないらしい。

銃撃の犯人は即座に誰かに射殺されたとか(実行犯2人のうち1人)。CIAの関与を疑わずにいられない。

パキスタンはいままさに移行期をくぐり抜けようとしているところで要注意、とトッドがどこかで言っていた。アフガニスタンもそうだけど、近代化の過程を目の当たりに見せてもらえるのだ。注目したい。

11月4日(金)

ロシア、穀物輸出の合意に復帰。エルドアンが偉い。

11月5日(土)

イムラン・カーンのニュースをNHKが全然報道しなくて驚く。

ブラジルでルラが勝って、イムラン・カーンは狙われても死なない。もう新しい世界になっているのだ、という気がする。

そう、ここ数日強く感じるのはそれだ。

ウクライナ危機を契機に、アメリカのしてきたことを中心に世界情勢を集中的に勉強し、あまりのことにショックを受けてあたふたとする時期を乗り越えてみたら、何のことはない。

もうすでにアメリカの覇権は終わり、新しい世界が生まれている。

アメリカや西側がそれを受け入れたくなくてジタバタしているだけなのだ。

そう思うと、もう、ただただ楽しみ。

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社会のしくみ

宗教と学問

脱キリスト教の開始とイデオロギーの誕生

宗教も国王も打ち捨てたフランスは、その「権威」の穴を何で埋めたのか。結論から言おう。学問である。

宗教の死によってイデオロギーの誕生が可能になる。人間は、消え失せた神のイメージの代わりに、直ちに新しい理想社会のイメージに飛びつく。1789年以降、ヨーロッパは相次いで押し寄せるイデオロギーの波に洗われることになる。フランス大革命、自由主義、社会民主主義、共産主義、ファシズム、民族社会主義……これらのイデオロギーの波は、時間と空間の中での脱キリスト教化の各段階に結びついている。

『新ヨーロッパ大全 I 』249頁

ヨーロッパにおける脱キリスト教化の開始時期とイデオロギー誕生の時期は一致している。

1789年〔フランス大革命〕以来、かくも多くの政党と共和国を育むことになった自由・平等のイデオロギーは、脱キリスト教化のわずか数十年後に発生している。脱キリスト教化は、1730年から1750年の間に、フランスの国土の三分の二で起こったのであった。

『デモクラシー以後』52頁

文字を読むようになった人々は信仰を捨て、唯一の正統教義のかわりに、好みのイデオロギーを選んで熱狂的に支持する。民主主義の始まりである。

波を生み出すのは識字化した市井の人々だが、イデオロギーそのものを生み出すのは学問の府、大学である。ロック、ルソー、カント、ヘーゲル、マルクス。彼らはみな何らかの形で大学やアカデミーに関わりその思想を世間に流布していった人々であり、学問が宗教に代わる権威となった時代を象徴する人々といえる。

Godfrey Kneller – Portrait of John Locke (1697)(public domain)

中世に神学者を輩出してキリスト教の権威を支えた大学は、脱宗教化の後には、自らが権威の源泉となって、近代国家を支えたのである。

脱キリスト教の完成とイデオロギーの崩壊

しかし、市民がイデオロギーに熱狂する時代は長くは続かなかった。

1965年から1990年までの間、ヨーロッパのイデオロギー・システムの大部分は、容赦ない解体のメカニズムに曝される。それは信条を破壊し、政党を弱体化し、政治的選択というものの本性を一変させ、全ては虚しく意味が無くなったという感情をいたるところで醸し出すのである。

『新ヨーロッパ大全 II 』265頁

フランス共産党は1978年には20.6%の票を獲得していたが1988年には11.3%に落ち込む。同様の低落傾向は明確なイデオロギーを有するすべての政党に認められ、共産党、ドゴール主義(民族主義右翼)、穏健右派、キリスト教民主主義の4政党の合計得票率は1962-1988の間に79.2%から49%へと大幅に低下するのである(なお、この間に行き場を失った票の受け皿として勢力を拡大したのが社会党である)1『新ヨーロッパ大全 II』314-318頁

1965年-1990年というこの時期、イデオロギーの崩壊という現象は、主義主張の中身を問わず、あらゆる政治的信条を平等に呑み込んでいく。この動きは、フランス、イギリス、オランダ、デンマーク、スペイン2いずれも核家族が中心であるといった国々でとりわけ大きくかつ急速だった。

何がこの変化をもたらしたのか。答えは単純である。

この変化の発端は実に平凡で、それは宗教の危機、ヨーロッパ圏の歴史上最後の宗教危機で始まった。

『新ヨーロッパ大全 II 』265頁

フランスでは、中心部の脱宗教化は1730-1800年に完了していたが、周縁部に残っていた宗教実践が1950-1970年の間に失われた。ヨーロッパ全体では、最後まで生き残っていた反動的カトリシズムが1965年から1990年にかけて消滅していく

イデオロギーの時代は、脱キリスト教化の開始とともに訪れた。ところが、脱キリスト教化が完了すると、同時にイデオロギーの方も力を失ってしまうのである。

フランスの国土の三分の一に活動的な宗教が存続したことは、フランスのイデオロギー・システムの良好な作動のために最後まで必要であり続けた、ということが分かる。共和主義、社会主義、共産主義は、実際上は、残存的カトリック教との対抗関係の中で自己定義を行なったのであり、残存的カトリック教は、いわば陰画(ネガ)の形で、それらのイデオロギーを構造化したのである。この宗教の死は、まるでそれが跳ね返ったかのようにして、近代イデオロギーを死に至らしめた。

『デモクラシー以後』52-53頁

宗教的危機のインパクトー西欧の場合

この連載の開始時に書いたように、トッドは現代の西欧世界の危機の根源には宗教的危機があるという立場を取っている。

神なき世界の出現は、幸福感につながるどころか、激しい不安、欠落感へと立ち至る。‥‥

天国、地獄、煉獄の消滅は、奇妙なことに、すべての地上の楽園の価値を失墜させてしまうのだ。‥‥ すると意味というものの必死の探求が始まる。それは通常、歴史的には、宗教が統制していた金銭、性行動、暴力という項目に括られる領域における極端な感覚の追求という形で行われるのである。

『デモクラシー以後』54頁、55頁

ここから、トッドは、人間精神の安定にとって信仰が古来から果たしてきた役割の決定的重要性という命題を引き出すのだが、私の考えは少し違う。

確かに、ヨーロッパの人間の精神の安定にとってキリスト教が果たしてきた役割は決定的に重要であったと思う。

なぜかといえば、キリスト教は、ヨーロッパの主要な家族システムである核家族に欠けている「権威」を補う役目を担っていたからである。

国家というシステムは、多数の人間が一定の領域内で共存していくためのシステムであり、安寧秩序の維持のためには、人々が共通の「正しさ」の存在を受け容れることが不可欠である。

共通の「正しさ」は、ルールの基盤となって人々の行動を制御することを可能にし、それ以上に、共通の「正しさ」の下にあるという感覚によって、人々の心を繋ぎ、安定させる。

この共通の「正しさ」を基礎付けるものが「権威」であり、だからこそ、権威の誕生(=直系家族の誕生)が国家の誕生と同期するのである。

直系家族の民や共同体家族の民が自然に持っている「みんなの正しさ」の感覚を、核家族の民は持っていない(家族システムと価値の対応関係についてはこちら)。

そこで、彼らは、彼岸にいる唯一絶対の神の存在を信じることによって、共有物としての「正しさ」を希求するという心の型を手に入れた。

核家族の国家は、神を畏れ、神への接近を希求するという心の動きが共有されたことで初めて、その統合を保つことができたのである。

西欧近代が見せた学問への情熱やイデオロギー的熱狂は、おそらく、神を希求する心の型がそのまま世俗の事物に転用されたことで可能になったものである。

だからこそ、それは信仰の喪失とともに失われ、西欧に深刻な精神的危機をひき起こすことになったのだ。

学問の時代の終わり

識字化の進展とともに、神の存在に疑念を抱くようになった人々は、その不安を癒すべく、頻りに神の存在について論じた(17世紀前半~)。デカルト(1596-1650)が神の存在証明を試み、パスカル(1623-1662)は神の実在に賭け、スピノザ(1632-1677)は汎神論を説いたように。

17世紀後半になると、核家族のヨーロッパ(イギリス、フランス)は、神の教えの代わりに人間理性を讃えるようになり、啓蒙の時代、言い換えれば、科学とイデオロギーの時代がやってくる。

アカデミアに属する知識人がヒーローとして燦然と輝いた時代。ジョン・ロック(1632-1704)を端緒、ミシェル・フーコー(1926-1984)を掉尾とするなら、こうした時代は約300年間続いたことになる。

Michel Foucault (1974) (public domain)

人文・社会科学の研究者で、この時代のヨーロッパの輝きに憧れたことがない人は少ないだろう。なぜ日本からは世界を魅了する力強い思想が生まれないのかと嘆き、強い「個」の確立を説く声はつい最近までよく聞かれた。同様に、社会における大学および学問の地位の高さにおいても、ヨーロッパは日本の大学人の憧憬の的であったように思う。

西欧における学術・イデオロギーの繚乱は、全知全能、唯一絶対の神のいました台座に渦巻く磁場が可能にしたものであり、キリスト教のドーピング作用が失われゆく過程のヨーロッパに一時的に顕現した特殊な現象であったと考えられる。

ご先祖さまに守られ「おてんとさま」3直系家族の権威の性質を一番よく表しているのは「おてんとさまが見ている」という感覚や「おまわりさん」への親しみの感覚だと思う。詳細は(もしかしたら)後日に照らされてぬくぬくと国家を営む日本にそのような磁場が渦巻く場所はない。補う必要がないから補填物が生まれなかったという事実を、「遅れている」とか「劣っている」と評価するのは端的に誤りだし、ばかげてもいるだろう。

いずれにせよ、キリスト教の残火が輝いた時代は終わった。それは20世紀末できっちり終了し、私たちはすでに西欧の特別な輝きが失われた世界を生きている。長くその輝きに幻惑され、恩恵も受けてきた私たちは、その現実の意味するところをよくよくかみしめる必要があると思う。

今日のまとめ

  • ヨーロッパでは脱宗教化の開始とともに学問・イデオロギーの時代が始まった
  • 脱宗教化が完了すると同時に学問・イデオロギーの時代も終了した
  • 西欧近代における学問・イデオロギーの特別な輝きは「唯一絶対の神を希求する」心の型が世俗の事物に転用された結果である
  • 西欧の宗教的危機が特別なインパクトを持ったのは、キリスト教が核家族に欠けている「権威」を代替していたからである

  • 1
    『新ヨーロッパ大全 II』314-318頁
  • 2
    いずれも核家族が中心である
  • 3
    直系家族の権威の性質を一番よく表しているのは「おてんとさまが見ている」という感覚や「おまわりさん」への親しみの感覚だと思う。詳細は(もしかしたら)後日