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世界を学ぶ 戦時下日記

ユーラシア大陸の中心で起きていること
ー戦時下日記(6)

西アジア中国を震源地として、本当に重要なことが起きていると思うのでまとめておく。

*以前、イランのハメネイ師が「ここは西アジアだ。中東などではない」と言っているのを聞いて「なるほど」と思ったので、西アジアを採用する(「中東」とか「極東」はヨーロッパを基準点とする言い方である)。

1 西アジアー和解に次ぐ和解

【予備知識】西アジアにおけるアメリカ

・アメリカは、冷戦終結後もロシア・中国・イランを敵視し、これらの国と良好な関係を保つ国々(イラク、北朝鮮、シリア、リビア、イエメン、ソマリア)で、政権転覆等を目的とした代理戦争を展開してきた(主な手段は武力攻撃と経済制裁)。

・アメリカの西アジアにおける最重要同盟国はサウジアラビア。サウジは長年イランシリアと対立して西アジア・アラブ世界で両者を孤立させ、アメリカの利益に貢献してきた。

・西アジアでの紛争状態の継続は、アメリカの利益(石油資源確保、武器輸出拡大、影響力保持)に合致した。

・もっとも破壊的な影響を受けたのはシリア

ーアメリカはアサド政権に「専制主義」のレッテルを貼り打倒を目指している(事実は異なる。アサド政権のシリアは世俗国家であり、近隣の王制国家と比べはるかに民主的)。

ーアメリカは2011年の反政府運動(「アラブの春」の一部)を契機に勃発した内戦で反政府側を強力に支援してきた。西アジア諸国ではサウジ、トルコ、カタールが反政府側。

ーアメリカは2015年から正式にシリアに駐留を開始。現在も一部を占領し、経済制裁も続けている。

ーISISとの戦いというのは口実に過ぎず、①中国、ロシアとの経済的関係(シリアはこれらの国に石油を売り武器を買っている。アメリカはこれらの国に石油を売ってほしくなく、また自国の武器を買ってほしい)、②イランとの政治的友好関係(アメリカは2010年に「イランとの関係を解消すればその見返りとして経済制裁を中止する」とシリアに提案して断られている)、③政権転覆(アメリカはアサド政権を倒しアメリカに従順な政権に変えたい)が主な目的と見られている。 

(1)サウジアラビアとイランの和解

・そういうわけで、サウジを中核とするイラン・シリア包囲網の構築がアメリカの西アジア政策の肝であったが、3月以降、この包囲網が一挙に瓦解をはじめ、西アジアに平和が訪れようとしているようなのである。

・3月10日、サウジとイランは外交関係正常化(7年ぶり)で合意した。共同声明は3カ国の連名でもう1国は中国。3カ国は北京で4日間に渡って協議を行ったとのこと。中国政府が仲介役を果たしたのである。

・アメリカは「イランが履行義務を果たすかが問題」とか言っていたようだが、履行に向けた動きは着々と進んでいることが窺える。

・4月6日にはサウジとイランの外務大臣が北京で会談して大使館の再開に向けた合意を締結。サウジの国王はイラン大統領をサウジに公式に招待し、大統領もこれに応じたという。

この記事を大いに参考にしました

(2)サウジーシリア関係にも和平が波及!

・3月末、サウジとシリアが外交関係の正常化に合意したことが伝えられ、4月18日にシリアでサウジ外相とアサド大統領が会談した。

・サウジは5月に開催されるアラブ連盟の首脳会議にアサド大統領を招待する方針とのこと。

アラブ連盟からの排除(ヨーロッパの国がEUから除名されたようなものだろう)というのが、アメリカの意向に基づく「シリアの孤立」の象徴のようなものだったので、これは本当に大きな動きなのだ。

シリアの外務大臣は4月1日はカイロを公式訪問している(4月12日にはサウジ。いずれも12年ぶりとのこと)。サウジ、エジプトというアラブ連盟の二大大国がシリアを歓迎していることが窺える動き。

・この動きの前提には、シリア内戦でアサド政権側がすでに勝利を決定的にしていて、周辺国がアサド政権の正統性を認めているという事実があるらしい。実際、サウジとの関係正常化に先立つ今年2月に、レバノンチュニジアアラブ列国議会同盟に属する各国の議員たちが相次いでシリアを訪問していた。

・そうした事実を前提に、仲介役を果たしたのはロシアであるらしい。

今年3月のモスクワでの会談の様子https://www.france24.com/en/middle-east/20230315-assad-meets-putin-in-moscow-as-syrians-mark-12-years-since-anti-regime-uprising
今年3月のモスクワでのアサド・プーチン会談の様子
https://www.france24.com/en/middle-east/20230315-assad-meets-putin-in-moscow-as-syrians-mark-12-years-since-anti-regime-uprising

・3月20日-21日には非常に印象的な習近平のモスクワ訪問があったが、そのときにこうしたことも話し合われていたに違いない。

・ちなみに中国はイスラエル-パレスチナ和平の仲介にも積極的な意向を示している(さすが共同体家族だ)。

*ところでシリア情勢とくにアサド政権について日本語で出回っている情報は「専門家」とか「現地で取材したジャーナリスト」のものを含めてほとんど嘘ばっかりだと思います。私はまず元外交官の国枝昌樹さんが書いたこの本(↓)を読んで「世間で言われていることは全然間違ってるっぽい」ということを知り、以後は情報を海外の非主流メディアに求めています。

国枝昌樹『シリア アサド政権の40年史』(2012年、平凡社)
この記事ではこのスレッドを大いに参考にしました。

*内戦前のシリアの美しい街並みを紹介したこちらの記事もとてもおすすめです(写真しか見ていません)。

https://www.theatlantic.com/membership/archive/2018/04/remembering-syria-before-the-war/558716/

(3)イエメンも?

イエメン内戦にも波及効果が期待できるという。

・イエメン内戦は、一般に「暫定政府軍」とシーア派の武装組織「フーシ派」の戦いとされている。前者の背後にはサウジがいて、かなり積極的に関与しているという。

・一方、世間では、フーシ派の背後にはイランがいるとされているが、アメリカが主張するほどイランが積極的に関わっているわけではないらしく、まだよくは分からないのだが、実態はサウジ=アメリカが扇動する戦争ということなのかもしれない。

・いずれにしても、サウジとイランの関係が改善するなら、イエメン内戦の終結は十分に期待できるのだ。

・4月14日から16日に行われた捕虜の交換は、両者の間で対話と妥協が成立しつつあることをうかがわせる。

・4月8日にはサウジの代表団停戦協議のためにイエメンを訪問し、次回の協議は4月21日に行われるという。

サウジはイエメン南部の港における輸入品の封鎖措置を解除することを発表、イランはフーシ派への武器送付を停止し、フーシ派にサウジへの攻撃を止めるよう圧力をかけることに合意したと報道されている。

サウジはイランがイエメンから手を引くなら、サウジはイラクとシリアから手を引くと約束したともされており、これが実行されるなら、本当に、シリアにもイエメンにも同時に平和が訪れるということになるだろう。

フーシ派のリーダーと握手するサウジ代表団

(4)アメリカだけが嬉しくない

アメリカは、イランおよびシリアとの和平に向けたサウジアラビアの動きを「不意打ち」と非難しCIA長官ウィリアム・バーンズをサウジに送り込んでいる。

https://www.businessinsider.com/cia-director-visited-saudi-mend-tattered-relations-mbs-report-2022-5

・しかし、サウジはもうずいぶん前から明確に「中立」の姿勢を打ち出し始めている。

・2021年には上海協力機構に対話パートナーとして加盟(今年の3月にサウジ議会も承認)、BRICSへの参加を目指していることも伝えられている。

・ウクライナ紛争では対ロシア制裁への参加を拒否した上、ロシア産原油の輸入量を2倍に増やし、対ロ制裁の効果を高めるためのアメリカからの石油増産要請すら拒絶している(大幅に減産した)。

・「中立」とは、この文脈では、アメリカの一極支配ではなく中国やロシアが推し進める多極化した国際秩序を支持するということなので、サウジは明確にアメリカに反旗を翻しているのだ。

2 ルーラは動く(中国訪問)

もう一つ、重要だと思うのは、ブラジル大統領ルーラの中国訪問である。

ルーラは3月下旬に中国訪問の予定を直前にキャンセルし(「本人の病気」が理由)、「むむ、怪しい‥(アメリカに懐柔されたのか?)」などと思っていたが、4月12日-15日に訪中が実現。

私の疑念を大いに払拭するハイテンションで、多極的世界に向けた意欲を語っていた(そして中国の人々に大喜びされていた)。

中国でのルーラの発言はすごい。

ウクライナ情勢については「アメリカは戦争をけしかけるのを止めて、停戦協議を始めるべきだ」。

*この発言についてアメリカは不快感を示し、ロシアは賞賛している。

*なおブラジルは、今年3月にロシアが国連安全保障理事会にノルド・ストリームの爆破について調査するよう求めた際、ロシア、中国とともに決議案に賛成している。

おまけに、ドルの覇権にはっきり疑問を呈する発言もしているのだ。

私は毎晩考えます。いったいなぜ全ての国が貿易をドルベースで行わなければならないのかと。なぜ私たちは自国の通貨で取引をすることができないのでしょうか。金本位制の後、ドルを基軸通貨にすると誰が決めたのでしょうか?

https://www.france24.com/en/americas/20230414-brazil-s-lula-criticises-us-dollar-and-imf-during-china-visit

中国とブラジルは3月に両国間の貿易を中国元ブラジル・レアルで行うことで既に合意していた(同様の動きは中国、ロシアの周辺のあちこちで出てきている)。ルーラはこれがドルの支配から抜け出すための動きであることを非常に明確に語ったわけである。

今まで中南米では、アメリカに抵抗し、なかでもドルの覇権に抵抗する動きを見せた為政者は、必ずアメリカの手によって倒されてきた(と分析する記事を読んだことがある)。

ルーラ自身も前回の大統領の任期中に汚職の罪をでっち上げられて投獄されているのだ(CIAの関与があったとされている)。

ルーラにせよ、サウジにせよ、彼らの行動をアメリカがどのように受け止めるかは熟知しているはずである。

それにもかかわらず、これほどあからさまに動くということは、彼らが「潮目は変わった」と見ていることを示していると思われる。

彼らは、「現在のこの世界では、もはやアメリカに従順に従う必要はない。いや、むしろ従うべきではない」と考えているのだ。

西アジア中南米、そしてアフリカがはっきりとアメリカ(ないし西側)一極支配体制から離脱する動きを見せている。

アメリカおよび西側は、もはや信頼に値するリーダーとはみなされていない。それだけで、すでに、アメリカ(および西側)の覇権は終わっているといえると思う。

中国側は歓迎式典で(アメリカが支援していた)ブラジルの軍事政権時代の
抵抗運動を象徴する曲を演奏してルーラを驚かせたという

3 おわりに

ウクライナは膠着状態(勝ち目はない)、西アジアにおける影響力を中国、ロシアに奪われ、グローバル・サウスがドル覇権体制から離脱する‥‥となると、アメリカは台湾問題で賭けに出るしかない、という感じがいよいよ強まる。

日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランドは、ギリギリまでアメリカに従って動き、最後の最後に引導を渡す、というような役回りであろうか(このツイートの動画が面白かったです。是非↓)。

ちゃんと考えている人がいるといいなあ。

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(翻訳)メディアと国家
-アメリカの場合-

以下は、Caitlin Johnston, The US Could Use Some Separation Of Media And State の翻訳です。何かすごく新しいことが書いてあるわけではありませんが、「へー」と思うことが(私は)いくつかありました。お役に立てば幸いです。 

目次

アメリカ政府とメディアの間に線引きはない

アメリカ国務省の報道官ネッド・プライス(写真↓)に代わってマシュー・ミラーが就任した。プライスと同様、ミラーは以前からアメリカ政府とマスメディアの双方に深い関わりを持つ人物である。プライスは元CIA職員でオバマ政権の国家安全保障会議のスタッフ、NBCニュースのアナリストとしても長年活躍した。ミラーはオバマ政権、バイデン政権で働き、MSNBCのアナリストも務めていた。

Ned Price
元CIA職員、オバマ政権のNSCスタッフ、NBCニュースのアナリスト

他の政府高官と同様、アメリカ帝国がしでかすロクでもない物事をまるでよいことのように語り、都合の悪い質問には遠回しな言葉遣いで煙に巻き何も答えないことがミラーの職務となるだろう。これは、なんと偶然にも、主流メディアのプロパガンダたちの仕事と本質的に全く同じである。

ジャーナリズムの学校では、政府とメディアの間には明確な一線があると教えられる。ジャーナリストの仕事は政府の責任を追求することである。ジャーナリストが政府高官と友人関係にあったり、政府で仕事をすることへの期待を持つことは、明らかな利益相反であると。

しかし、世界でもっとも強力な政府と、世界でもっとも影響力のあるメディア・プラットフォームの最上層においては、メディアと国家の間の一線は事実上存在しない。彼らは政権交代に応じてメディアと政府の間をまったくシームレスに行ったり来たりするのである。

 

ホワイトハウスの報道官たち

ホワイトハウスの報道官では、政府とメディアの一体性はよりいっそう明瞭である。現報道官のカリーヌ・ジャンピエール(↑)はNBCニュースとMSNBCの元アナリストであり、前報道官のジェン・サキ(↓)は現在MSNBCで自分の番組を持っている。サキはホワイトハウスの報道官を務める前はCNNのアナリストとして働き、その前はプライスやミラーと同じく国務省の報道官だった。

ニュース関連のスタートアップ企業Semaforの最近のイベントで、自分をジャーナリストだと思うかと問われたサキは、思うと答えて次のように述べた。

私にとって、ジャーナリズムとは一般の人々に情報を提供し、明確な理解を助け、わかりやすく説明することです。

これはちょっと笑える。サキの党派(民主党)は、過去7年間、ウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジはジャーナリストではないと猛烈に主張し続けてきた。リベラルの脳内では世界最高のジャーナリストはジャーナリストではなく、ジョー・バイデンのスポークスマンはジャーナリストなのだ。「わかりやすく説明する」能力が高いというだけの理由で。

もちろん共和党も

この現象が民主党と協力メディアに特有のものという誤った印象を与えてはいけないので、共和党関連の事実を付け加えておこう。

トランプの報道官サラ・ハッカビー・サンダース(↑)は、その職を辞した直後にFox Newsに仕事を得て、今はアーカンソー州の知事になっている。もう一人のトランプ政権報道官、ケイリー・マッケナニー(↑右)は、今はFox Newsで働き、以前はCNNに勤めていた。

報道によると、トランプの初代報道官ショーン・スパイサーは、ホワイトハウス勤務後にCBSニュース、CNN、Foxニュース、ABCニュース、NBCニュースの仕事を得ようとしたが、すべての会社から断られた。誰からも好かれていなかったのがその理由だという。

情報統制を政府に指示する米メディア

メディアと国家の間に明確な線引きがない以上、アメリカのメディアは、西側が声高に「専制主義」と非難するロシアや中国の国営メディアと有意の違いはないといえる。

唯一の違いといえば、専制主義国家では政府がメディアをコントロールするが、自由民主主義国家では政府がメディアである(政府とメディアが一体)ということだろう。

ジャーナリストのマイケル・トレイシーはツイッターで、国防総省からネット上に流出した文書に関する今日の国防総省の記者会見でメディアから出された質問がすべて、文書に記載された情報に関するものではなく、国防総省がその文書の流出を防げなかった過ちに着目したものだったことを指摘している。

ジャーナリストとして政府からもっと多くの情報を得て真実を明らかにしようとする代わりに、彼らはなんと重要な情報がジャーナリストの手に渡るのを防ぐ措置を取るよう政府に働きかけているのだ。

こうなると、全体主義国家と自由民主主義国家の違いとして、もう一点を指摘せざるを得ない。全体主義国家では政府がメディアに不都合な情報を出さないよう指示するが、自由民主主義国家では不都合な情報を出させないよう、メディアが政府に指示するのである。

ペンタゴンの機密文書漏洩者を特定したのはNYタイムズの記者集団 

ペンタゴンの文書をリークしたとされているJack Teixeiraという21歳の州兵はFBIに逮捕される前にニューヨーク・タイムズ紙に追跡されすでに名前が挙がっていた

ニューヨーク・タイムズは数十人の記者を集めてチームを作りリークの犯人を追い詰めた。その際にはアメリカ帝国が出資するプロパガンダ会社Bellingcatからの情報も用いていた。

本来連邦の捜査官だけに義務付けられたこの仕事を最初に引き受けたのは主流メディアの記者だったのだ。FBIさながら、機密情報を漏らした人間の自宅のドアを蹴り破り、その飼い犬を撃つニューヨーク・タイムズの記者達は、私たちからほんの1、2クリックのところにいる。

Twitterのラベリング

この間、国のプロパガンダ機関であるNPRは、Twitterが彼らのアカウントに「政府の資金提供(Government Funded)」という正しいラベルを貼ったことに癇癪を起こしている(その前は「アメリカ政府系メディア」(US state-affiliated media)でこちらも正しい)。

笑わせるのは、NPRが「ツイッターはわれわれが編集上の独立性を持っていないという虚偽の情報を示唆することでわれわれの信頼性を損なっている」という理由で怒ってTwitterを退会したことだ。NPRには損なうだけの信頼性などもともとないのに。

最近論じたように、NPRはアメリカ政府からの資金援助を受け、一貫してアメリカ政府の利益に合致する情報を流している。NPRを経営しているのは、アメリカ政府の対外プロパガンダネットワークであるUS Agency for Global Mediaの元CEOである。こうした点からすると、「政府の資金提供」というラベルは相応しいとは言えない。むしろロシアや中国の国営メディアと全く同じラベルを貼るべきである。実質的に違いがないのだから。

 

Voice of Americaの「独立性」

もっと笑わせるのは、アメリカの文字通りの国営メディアであるVoice of Americaが同じく「政府の資金援助」というラベルに異議を唱えてNPRに(全く無意味な)連帯を示していることである。Voice of AmericaはNPRの苦境を伝える「ニュース」の中で次のように書いている。

VOAの広報部もまたこのラベルはVOAは独立のメディアではないという誤った印象を与えるとしてTwitterの決定に反対している。

TwitterはVOAのコメント要請に応じていない。

VOAはU.S.Agency for Global Mediaを通してアメリカ政府の資金提供を受けているが、編集の独立性は規制とファイアーウォールによって守られている。

VOAの広報担当ディレクターであるブリジット・サーチャックは次のように述べている。

「『政府の資金提供』というラベルはミスリーディングであり、『政府が管理している』と解釈されるおそれがある。VOAは間違いなくそうではない。」

「我々の編集上のファイヤーウォールは、法律に明記されており、ニュース報道と編集の意思決定プロセスにおいて、いかなるレベルの政府関係者からの干渉も禁じている。

「この新しいラベルはVOAのニュース報道の正確さと客観性について不当で是認できない懸念を呼び起こすものであり、VOAは引き続きTwitterと協議しその違いを訴えていく所存である”。」

Branko MarceticがTwitterで指摘したように、VOAの「編集の独立性」に関するこれらの主張は、35年間同機関に勤務した人物によって真っ向から否定されている。

コロンビア・ジャーナリズム・レビューの2017年の記事「Spare the indignation:Voice of Americaに独立性はない」において、VOAのベテラン、ダン・ロビンソンは、VOAのような機関は通常のニュース会社とはまったく異なり、政府資金を受けるためにアメリカの利益を促進するための情報を流すことが期待されているという。

私はVOAで約35年間、ホワイトハウス特派員長から海外支局長、主要言語部門の責任者まで務めたが、以下の2点を長期に渡る真実として断言することができる。第一に、アメリカの政府資金を受けたメディアの運営は深刻な問題を抱えている。それはオバマ大統領が2017年度国防授権法に署名したときにクライマックスに達し、議会における超党派の改革努力を促した。第二に、議会やその他の場所において、継続的な資金提供を受けている以上、これらの政府系放送局は、国家安全保障機構の一部として、ロシア、ISIS、アルカイダなどとの情報戦の支援により積極的に関わるべきだという合意が広範に成立しているということだ。

*「第一に」からのくだり(とくに「それは‥」の文))の翻訳はあまり自信がないです。超党派の改革努力というのはこれのことかもしれません。

メディアと国家、企業と国家の分離が必要だ

至る所に、西側の人々が情報を得ているニュースメディアとアメリカ政府との間の広範かつ密接なつながりを見てとることができる。

おまけに、アメリカのメディアを所有ないし影響力を持つ富裕層と政府の間にも実質的な線引きは存在しない。企業が政府の一部であるなら、企業メディアが国営メディアとなるのは当然のことといえる。

もし、メディアと国家の分離、企業と国家の分離の原則が、政教分離原則と同等に重要視されていたら、アメリカは間違いなく全く異なる国になっていただろう。

国内では自国民を貧困に陥れ抑圧し、海外では人々を爆撃して飢餓に追い込む。そんな狂人めいた現在の政治体制をアメリカ国民が支持している理由は、その支持が政府と事実上一体であるメディア階級によって捏造されたものだということ以外にありえない。

メディアがその本来の場所に置かれ、政府に対峙しその行動を監視する役目を果たすなら、国家の諸問題の根底にある力学が国民の目に明らかになることだろう。

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アーダーン首相はなぜ辞めたのか

はじめに

ジャシンダ・アーダーンがニュージーランド首相の辞任を発表したとき(2023年1月)、驚くと同時に「あ、あれか?」と思い当たることがあった。

古い話になってしまったが、日本にとって大事なことだと思うので書く。

訪米(2022年5月)

2017年に弱冠37歳で首相に就任したアーダーンの政治姿勢に私は何となく好感を持っていた。

それだけに、2022年5月31日、バイデン米大統領とのワシントンでの会談後の共同声明をテレビで見たとき、ちょっとがっかりしたのを覚えている。以下はロイターの記事から引用。

会談後に出した共同声明では、中国とソロモン諸島の間で合意された安全保障協定に懸念を示した。「われわれの価値観や安全保障上の利益を共有しない国家が太平洋に永続的な軍事プレゼンスを確立することは、この地域の戦略的バランスを根本的に変え、(米NZ)両国にとって国家安全保障上の懸念となる」とした。

 

https://jp.reuters.com/article/usa-newzealand-idJPL4N2XN3Q3

このときにはもちろんウクライナ戦争についても話し合われたということなので、おそらく、ニュージーランド(以下NZ)はNATO-アメリカに対するそれなりに濃密な支援を約束したに違いないと思う。

日本で見ているとNZは牧歌的で平和な国という印象だが、実際にはそれなりの規模の軍隊を持ち、第二次大戦後も朝鮮戦争、ベトナム戦争から一連の「対テロ戦争」まで、忠実に米英に付き従って戦闘に参加している。

*私はオークランド博物館で見て知った。同博物館の展示は1フロア分「戦争博物館」の趣である。

FIVE EYESへの「不快感」表明  

しかし、中国に対して「価値観を共有しない国家」と決めつけ、「国家安全保障上の懸念」と宣言することは、アーダーンの本意ではなかったと思う。

ちょうどバイデンとの会談の1年ほど前から、NZは、米英を中心とするFIVE EYESの安全保障政策から距離を置き、NZ自身の価値観と国益に基づいて、外交上の決定を自律的に行いたいという姿勢をはっきりと示し始めていた。

2021年4月、政権の2期目に新たに着任した(ということは、より政権の色が出ているということだろう)外務大臣 Nanaia Mahuta(写真↑)は、対中国政策に関して、NZはFIVE EYESから独立して、外交と対話を重視したアプローチを取ると述べた。

同じ席でMahutaは、FIVE EYES(「米英」と読み替えればよいでしょう)がその権限を超えて様々な圧力をかけてくることへの不快感を表明し、自分たちは独自の道を行く、と宣言しているのだ。

https://www.theguardian.com/world/2021/apr/19/new-zealand-uncomfortable-with-expanding-five-eyes-remit-says-foreign-minister

NZは、そのさらに1年前(2020年5月)、FIVE EYESが中国の国家安全法施行を非難したときにも、共同声明に参加していなかった。

https://www.stuff.co.nz/national/politics/121667644/new-zealand-missing-in-five-eyes-condemnation-of-beijing-over-hong-kong-security-law

FIVE EYES という機密情報共有のための枠組みは外交上の懸念を取り扱うのに適切な場ではないという考えであったというが、圧力ではなくて話し合い、というスタンスはこのときからはっきりしていたのだ。

 *アーダーンはコミュニケーション学で学位を取っている(wiki)。

このスレッドを大いに参考にしました。

なぜ辞職?

アーダーン首相は、米英の圧力外交に抵抗し、独自の平和・話し合い路線を行きたかった。

とくに中国との関係はNZにとっては決定的だ。経済的にも軍事的にも何か起きればただでは済まない。

国民に対して責任を有する首相として、NZの価値観と国益に従って行動する道を付けるべく、アーダーンは努力した。素直に、かなり直球勝負で、米英の圧力から逃れるべく、外務大臣とともに戦った。

そして‥‥その試みは、おそらく、大国アメリカによって挫折させられたのではないだろうか。

近年、各国首脳がワシントンに招かれて懐柔されることはよくある(どういうやり方を取っているのかは知らない)。

*もちろん真偽は不明だがロシアの外務大臣ラブロフが語っている映像を見たことがある。「私にはアメリカや世界中に友人がたくさんいて、アメリカのやり口を教えてくれる。彼らは「あなたのお子さんは・・大学にいらっしゃいますよね」「ところであなたの銀行口座は・・」といった調子で明け透けに利益誘導ないし脅迫をするというのだ。ここにいる多くの人たちもそのことを知っているはずだ」(というようなことを語っていました。)

アーダーンはニュージーランド人だ。自由と民主主義の国のリーダーとして、大国と小国という関係性はあるにせよ、アメリカともイギリスとも価値観を共有するパートナーとして同盟を組んでいるのであり、従属しているわけではないと信じていただろう。

しかし、現在のこの世界では、アメリカはNZが独自路線を取ることを許さない。決して。アーダーンはワシントンでかなり最低最悪の方法でそれを伝えられたのではないかと思う。

そんなことが分かってしまったら、政治に立ち向かうエネルギーなんてなくなってしまう。当然だ。素直によりよい世界を目指していればなおのこと。

*一方、世間で言われているような「批判が強まっていた」というくらいの理由では、志をもって首相になった人間が政治家を辞めたりはしないと思う。

アーダーンが首相だけでなく議員も辞したのは、そういう事情ではないかな、と私は思っている。

おわりにーアメリカについて語ろう

近年、日本がアメリカの属国であるということは、普通に言われるようになった。

しかし、では、日本がアメリカから離反しようと正面から努力してできる状況なのかといえば、そうではないことは明らかだと思う。

何しろ、今や属国扱いは戦争に負けた日本や(負けたわけではないけど)保護国扱いの韓国だけではない。ほとんどすべての西側の国が事実上従属を迫られているのだ。

いまの世界情勢(日本や多くの国では国内問題のかなり多くの部分を含む)における最大の問題は、明らかに、アメリカである。

コロナ・ワクチンをめぐる騒動だって、インフレだって、エネルギー価格の高騰だって、そうした様々に関する報道規制(自粛を含む)だって、基本的に全部アメリカが引き起こした問題だ、と言うのは陰謀論でも何でもない。健全な常識だと思う。

第二次大戦後の一時期は世界の安定の要であったはずのアメリカが、いつしか支配層を中心に暴走を始め、アメリカ国民を含む世界中の人々の安定を脅かしている、というのが現在の世界情勢である。

*暴走に加わっているのはアメリカの支配層だけではないと思うが渦の中心がアメリカであることは間違いないので「アメリカ」で語らせてもらう。

だったら、もっとアメリカについて語った方がよいのではないだろうか。

暴走機関車が世界中で暴れ回っているのなら、世界中の人たち(アメリカの人たちをもちろん含む!)と協力して、どうやって暴走を止めるか、どうやって被害を最小限に食い止めるか、話し合った方がよいのではないだろうか。

いわゆる「グローバル・サウス」の諸国やロシア、中国は、とっくにそのことを考えているだろう。

マクロンの発言があったけど、中国との関係でアメリカがさらなる動きに出て、ヨーロッパがうまくそこから離反したとき、最後まで「アメリカ対策」に悩まされることになる同胞は、韓国であり、もしかすると、ニュージーランドやオーストラリアなのかもしれない。

日本の知識人の間で「問題」としてのアメリカについての語りがあまりにも少なく、私はちょっと怪訝に思っている。

語ったからといってできることは少ないだろう。しかし、アメリカの支配層が引き起こしている問題を、日本の国内問題と捉えて政府を批判したり、ましてや中国やロシアに押し付けたり、そういうことをして、これからを生きていく小さく若い人たちに歪んだ鏡で世界を見るように仕向けるなんて、知識人としては最大の罪ではないだろうか。

よりよい将来のために、アメリカについて、アメリカ後の世界について語ろう。世界中の人々(しつこいようだが、アメリカの人々を含む)とともに。

いま、社会科学者として一番言いたいことかもしれない。

 

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社会のしくみ

核家族とイノベーション
ー人類の未来ー

 

核家族のイノベーション適性

技術力全般でいえば、日本や韓国、ドイツなどの直系家族に劣るところはないが、イノベーションとくに新技術の実用化といえば核家族だ。

鉄道、自動車、飛行機、電話。テレビにコンピューターにインターネット。冷蔵庫に電子レンジに抗生物質に‥‥と、暮らしを一変させたイノベーションにはたいていイギリス人やアメリカ人がかんでいる。

  *よく調べていません。

家族システムの観点から見ると、理由はかなりはっきりしているように思われる。

核家族はがまんができない。より正確にいうと、限られた領域の中で大勢の人間が定住生活をしていくという場面で、自分の側の価値観や行動を変えて状況に適応するという心の構えを持っていない。

狩猟採集の移動生活ならそのままでも快適に暮らせるし、定住を始めても人口密度が低いうちは何とかなったかもしれない。

しかし、そんな彼らが「満員の世界」への居住を余儀なくされたらどうなるか。彼らは困る。実に不自由で、不愉快だ。

だったら外側を変えればいいじゃないか💡」

ということで、核家族は、科学技術を使ったイノベーションに乗り出すのである。

古代ギリシャやアラブ・イスラム圏における学問・科学の発展も、同じ仕組みである可能性があると思う。古代ギリシャはメソポタミアやエジプトとの関係では辺境に位置する原初的核家族だった。のちに内婚制共同体家族を発明しイスラム教の民となるアラブの人々も、もともとは、メソポタミアやエジプトとの関係で辺境に位置する原初的核家族だった。彼らは、より発展した地域の文明を受け入れ、あるいは伍していく際に、家族システムの後進性を補うために、科学技術を必要としたのではないだろうか。

家族システムはもう進化しない

科学技術が発達する以前、人類の生存・繁栄に必要なイノベーションは、主に、人間側が工夫し、技術を高め、暮らし方を変えることで実現された(たぶん)。家族システムの構築はその一つであり、最大のものといえる。

人口が増え「満員の世界」が訪れたとき、人類は、その環境に適合するために、家族システムを進化させた。

家族システムの進化は、原則として、世代間の縦の繋がり(権威的関係)の構築から始まる。本質的に、社会の全成員に対して、一定の自己抑制(規律)や不自由を強いる性格のものである。

それでも、人口密度が高まり、現に争いが頻発する世界では、そうした方が快適だから、その方向にシステムが進化していったのだ。

文明の中心地とその周辺で家族システムが進化する一方、原初に近い核家族を保っていた辺境の人々が、識字化を契機に、唐突に世界の中心に躍り出る。

心の奥底に原初的自由を湛えた彼らは、人間側の自己抑制による「適応」を潔しとしなかった。さまざまな道具を作り、天然資源を大々的に利用し、自分たちを取り巻く環境の側に手を加えることで、世界をわがものとした。それが近代だ。

したがって、近代以降の世界では、どれだけ人口密度が上がっても、家族システムは、退化こそすれ、進化はしないと思われる。人間の関係性を体系化し、自分たちの行動をシステマティックに制御するという「不自由な」やり方を採用しなくても、科学技術を用いれば、快適に暮らしていくことができるからだ。

土地が少なければ高層マンションを建てればいいし、農地が足りなければビルの一室で野菜を作ればいい。そういう世界で、家族システムが進化することはないだろう。

アメリカの家族システムがいつまでも原初的核家族のままなのは、おそらくそういう事情である。

持続可能性には問題が

こうして、核家族は世界を変えた。

その核家族に、「君たち、何でそんな不自由な暮らしをしているんだ。こうすれば、もっと自由に快適に暮らせるじゃないか。」

と、言われてみればそのとおりなので、直系家族の民も、共同体家族の民も、こぞって彼らの後を追い、見事に科学技術を発展させた。

おかげで、私たちは、熊に襲われることもない安全で清潔な環境で、衣食住の必要を容易に満たし、医療技術に守られ、長い平均寿命を謳歌するようになった。最先端の娯楽にだってスイッチ一つでアクセスできる。ほとんどおとぎ話の世界といえる。

しかし、「人類が世界に適応するのではなく、人類の都合に合うように世界を変える」というこのやり方には、問題があった。人口が増えすぎて、世界を蕩尽し、地球を壊してしまうのだ。

私は、過去に起こったことについてとやかくいうつもりは全くない。核家族の躍進も、科学技術の発展も、起こるべくして起きたことであると思えるし、人類史に新たな地平が開かれたことは間違いない。

しかし、このまま「世界を変える」「イノベーション」方式で進んでいけば、早晩地球が壊れるということはかなりはっきりしている。

さて、どうするか。

サステナブルな未来

私がトッドと決定的に袂を分かつのはここからだ。

人口学者であるトッドは、人口の維持が良い未来を作るという命題を譲らない。彼は経済の問題はよく語るが、環境問題にはほぼ言及しないのだ。

「人口維持こそ希望の源」という立場の決定的な弱点だからかもしれないし、「人類の側が適応する」という構えを持たない核家族メンタリティで、困難があるなら克服すればよいと考えているのかもしれないし、世代かもしれない。まあ、理由は分からない。

一方、私は、地球環境の問題は重大だと感じている。おまけに「SDGs」はもちろん、化石燃料の使用を止めて平均気温の上昇を抑えればサステナブルな未来が待っているというような話はまったく信じていない(やっても仕方がないと言っているわけではない)。

現代の大学や企業や研究機関でなされる何らかの技術開発が地球を救うという可能性も基本的に信じていない(だってそれはシステム上「金儲けのため」「保身のため」「とにかく現状維持のため」として設計されているので‥‥)。

私の考えでは、サステナブルな未来とは、たぶん、人類の人口が激減し、平均寿命も低下し、人類以外の動植物、有機物、無機物が(他にもありますか?)豊かに繁茂したときに訪れるものである。

そのとき、人類の暮らしが、原始人みたいな暮らしになるのか、江戸~中世みたいになるのか、それとも何か全く新しい形態になるのか、そこら辺はまったく見当がつかない。

もしかしたら、その前に地球環境が激変し、恐竜が鳥として生き延びているように、人類は、妙に脳と言語機能が発達したネズミ系の小動物(ミッキーマウス!?)となって生き延びたりするのかも‥‥などと考えたりもする。

 *「ネズミ系の小動物」という設定はここから来ています。

しかし、いずれにしても、人口が激減し、平均寿命も低下し、人類が「その他大勢」の動植物の中の一つ(今もそうだけど)に落ち着く未来は、それほどわるいものではないと思う。

生きている限り、同類の仲間と、他のありとあらゆる生命や物質と、助け合ったり、食べたり食べられたり、コミュニケーションを取ったり、遊んだりしながら、生きる。そして、病気でも事故でも、自然災害でも、飢えでも、老いでも、とにかく死ぬ時がくれば死ぬ。

何だそれ。

まったく普通ではないか。

おわりにー選択

最後に少しもっともらしいことをいうと、仮に「ソフトランディング」がありうるとしたら、それを主導するのは共同体家族ではないかと思う。

自然を破壊・蕩尽することで「豊かに」暮らすという近代以降の方向性を大々的に転換するというような巨大プロジェクトを率いることができるのは、おそらく、共同体家族だけだから。

人類史としては美しいストーリーかもしれない。直系家族が国家を作り、共同体家族が帝国を繁栄させた。ジョーカーの核家族は科学技術を解き放ち、文明の大転換をもたらした。それが行き過ぎに及んだとき、再び共同体家族が底力を発揮して地球と人類を和解させ、サステナブルな未来を導くのだ。

いい話だねえ。‥‥とは思うが、正直なところ、ソフトランディングはないんじゃないか、と私は思う。人類はちょっと増えすぎた。あまりにも急激に増えすぎたのだ(↓)。

 

人類だけが豊かに栄える「サステナブルな地球(あるいは宇宙)」などというものはあり得ないと私は思う。

おそらくは自然の摂理として、適正規模に戻るまでは、自然災害や戦争の絶えない世界が続く。あるいはまた、気象変動が起きて、否応なく数を減らされたりするのだろう。

世間的には、こんなことはうっかり口にしてはいけない恐怖のシナリオなのかもしれないが、宇宙に属する一個の生物として考えると、別にどうってことはない。

最悪、ちょっと早めに死ぬだけだし。

 *「悪」かどうかももちろん分からない。

さて、ここからが私たちの選択だ。

この人生を、人類のみの繁栄の永続というあり得ない(と私は思う)目標のために捧げるか、自然界の一部として普通に生きるか、私たちは選べる。

前者はどちらかといえば奴隷の人生であり(主人は「人類至上主義」あるいは「人間社会」)、焦燥と恐怖とたぶん狂気の人生である。

後者は、現下の環境の中に生きる人類であるという条件の下で、正気を保ち、最大限平和に楽しく自由に生きる道だと思う。

現下の環境の中に生きる人類であるから、戦争やら何やらに巻き込まれることは避けられない。でも火に油を注ぐようなことをせず、人間や動物やその他もろもろと助け合い、ともに楽しみ、平和な宇宙に貢献することはできるのだ。

どうする?

どうしよう?

私はもちろん、後者を選びます。

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社会のしくみ

ナチズムが生まれる場所

はじめに

現在の世界には「ネオナチ」という日本語では甘っちょろく感じられるほどの本物のナチズムが繁茂している場所が(私の知る限り)2箇所ある。一つはイスラエル、もう一つはウクライナ西部だ。

*以下「ナチズム」は民族などの属性に基づいて特定の対象を激しく差別・迫害することを指します。

両者はどちらも原初的核家族である。アメリカやイギリス(原初的核家族または絶対核家族)が黙認している点も共通。

「むむ‥何かある」とにらんで考察を進めた結果、壮大な(?)仮説を得たのでご紹介させていただく。

仮説

ナチズムがもっとも発生しやすい場所は、共同体家族地域に対峙する原初的核家族地域である。

(1)世界に残る原初的核家族地域

説明しよう。

原初的核家族とは、ざっくりいうと、国家以前の原初的人類(移動生活の狩猟採集民とか遊牧民とか)の家族のあり方である。

人間は群れで生活する生物なので、基本仕様として集団を作る能力は持っているのだが、多数の集団を束ね、国家を作る段になると、基本仕様だけでは足りなくなる。そのときに家族システムが進化するのだ。

直系家族、共同体家族が備えている「権威」。それは、世代と世代を縦の線でつなぐことで生まれるものだが、この「権威」の軸が、国家のまとまり(凝集力)、秩序(規律)を成り立たせる基礎となる。

 *権威の機能については、この記事この記事をご覧ください。

いまは、全世界のすべての土地に国境が引かれ、いずれかの国に属することになっている。しかし、歴史的には、文明の中心地で国が生まれ、帝国に発展し、周辺の国家形成を促したりした後も、国家に属しているのかいないのかよく分からない土地がそこここに広がりまたは点在していた。そういう時代が長かったのだと思う。

そういう地域は、19世紀以降(なのか?)、どこかの国に領土として編入されたり、20世紀後半になると独立国となったりしたが、家族システムは原初的核家族のままであるケースが少なくない。国の成り立ちは特殊だがイスラエルはそうだし、ウクライナ(東部以外)もそうである。東南アジアの多くの国もそうだ。

そういう国は、国でありながら、自然な国家のまとまりを生む「権威」の軸を持っていない。放っておかれれば国家など形成しなかったはずの人たちで、メンタリティは原初的人類のままなのだ。

(2)原初的人類とは?

原初的人類のままであるとはどういうことか。これはもちろん私の考えだけど、こういうことだと思う。

「家族のためには戦えるが、国家のためには戦えない」

つまり、国民としてのアイデンティティが希薄なのである。

戦争を前提にした書き方をしたけれど、このメンタリティは国家運営全般に当てはまる。言い方を変えてみよう。

「家族には尽くせるが、国家には尽くせない」

しかし、主権国家を基本単位とする現代の世界では、彼らも国家として成り立ってゆかなければならない。国民としてのアイデンティティを確立し、一つにまとまっていかなければならない。

凝集力の核を持たない人々が、一つにまとまらなければならなくなったとき、通常発生するものは差別である。

何か特定の対象(A)を排除すれば、残りの人たちは「私たちは〔Aではないという点で〕同じ」という一体感を得られるからだ。

*例えば、原初的核家族の国家、アメリカの成立には先住民・黒人差別が大きな役割を果たしていることが指摘されている

では、その原初的核家族地域の隣に、非常に強力な共同体家族の国家があったらどうだろう。

国民としてのアイデンティティが希薄な人々が、単に一つにまとまるだけでなく、強烈な国家的アイデンティティを誇る帝国と渡り合っていかなければならないとしたら、どうだろう。

その状況で発生するのがナチズムだ、というのが私の仮説である。

統合の軸を持たない彼らは、任意の対象をそれはそれはもう激しく嫌悪し排除することによって、自分たちをギューっと絞り上げ、凝集力を高めようとする。そうすることで、共同体家族に匹敵する強固なかたまりとなり、国家のために戦う力を得ようとするのである。

検証1ーイスラエルとウクライナ

イスラエルは、アラブ諸国に囲まれ、パレスチナと対峙している。アラブ諸国は文句なしの共同体家族であり、長く帝国の支配下にあったパレスチナ人もそうだろう。

原初的核家族であり、国家としての伝統も持たないイスラエルの民は、共同体家族のパレスチナやアラブ諸国と伍していくために必要な強力な国家意識を形成・保持するために、ナチズムー差別の対象はパレスチナ人・アラブ系住民ーを制度化することになっているのではないだろうか。

ウクライナが対峙しているのはもちろんロシアだ。ソ連が崩壊し、棚ぼた的に独立してはみたものの、ウクライナもまた原初的核家族であり、国家の伝統を持っていない。

東部にはロシア系住民がいてロシアとうまくやっていたけれど、西部はあまりうまくまとまれず、経済的にも苦しいままだった。

何とかしたい。ロシアの一部としてではなく、ウクライナとして、自分たちの国を立派に成り立たせ、名誉ある地位を得たい。

と、そういう状況で、ナチズムが生まれてしまったのではないだろうか。

検証2ーナチ型虐殺事例

原初的核家族と共同体家族の接点でナチズム的事態が発生した事例は他にもある。

例えば、カンボジア・ポルポト政権下でのクメールルージュによる民族浄化(被害者は150-200万人とか(wikiです))。クメールルージュは中国共産党の支援を受けた共産党政権であり、原初的核家族が共産主義国家を目指した(共同体家族と同等の凝集力を得ようとした)ことで発生した事態であったかもしれない。

 *虐殺の規模の大きさは、移行期危機と関係すると思われる。

インドネシア大虐殺では、主たる虐殺対象は共産党関係者だった(被害者は少なくとも50万-。200万以上という説もあるとか(倉沢愛子『インドネシア大虐殺』(中公新書、2020年))。

インドネシアでは共産党は合法で4大政党の一つとして大きな勢力を持っていた。インドネシアは大半が原初的核家族なのだが、一部に共同体家族の地域がある。共産党の隆盛はそのことと関係があるかもしれない。そして、彼らと対峙し、勝利するために、原初的核家族は、ナチズムに基づく虐殺を行うことになったのかもしれない。

検証3ードイツと日本

ナチズムの本場といえばドイツ。直系家族の地である。ナチズムについては、移行期危機脱キリスト教化が重なって起きた悲劇であると基本的に理解していたが、今回、共同体家族との対峙という側面もあるのかも、と考えるようになった。

ナチズムは、反ユダヤ主義として捉えられるのが一般的だが、少し調べてみると、第一次大戦の敗戦以後、ナチ運動が一貫して敵視していたのはむしろマルクス主義者だった。

1940年代初頭にドイツ支配下のヨーロッパで行われたことを考えると、ヴァイマル共和国最後の数年間、ナチの暴力の主な標的がユダヤ人ではなく共産党員と社会民主党員だったことは奇妙に思われるかもしれない。ユダヤ人はもちろんSA〔突撃隊〕に目をつけられたし、NSDAP〔国家社会主義ドイツ労働者党〕が攻撃的な人種差別を行う反ユダヤの党であることに疑いを抱く者はいなかっただろう。しかし、この時期のユダヤ人への攻撃は、ほとんどあとからの思いつきで、左翼の支持者を攻撃する際、目についたものに攻撃の矛先が向かっただけのように思われる。

リチャード・ベッセル著 大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949』(中公新書、2015年)41-42頁

これはナチスを支持したドイツ国民についても同じで、1930年代前半の段階では、NSDAPに投票した人々が明確に支持していたのは反マルクス主義の主張であって、反ユダヤについては「黙認」していたという感じだったという。

ヒトラーが闘争により勝ち取らなければならないと考えていたドイツ民族の「生存圏」は「第一にロシアとその周辺国家」だった(坂井栄八郎『ドイツ史10講』195頁)。

当時のドイツは、共産主義ロシアと対峙するために、ユダヤ人迫害を必要としたのかもしれない。

原初的核家族とは異なり、直系家族には権威の軸がある。しかし、それは本来は都市国家や領邦国家向けのものであり、国民国家を支えるにもやや弱く、帝国となれば「到底無理」という体のものなのだ。

その直系家族が大帝国建設という壮大な夢を見て共同体家族ロシアに対峙したとき、本来持ち得ないレベルの凝集力を得るために、ナチズムが発生してしまう、というのは、ありそうなことのように思われる。

同じことは日本についても言える。私は日本にナチズムが跋扈した時代があるとは考えていないが、民族浄化的な虐殺ということでは、関東大震災(1923年)のときの朝鮮人虐殺があり、日中戦争の南京事件(1937年)がある。

関東大震災のときには社会主義者も多く殺害されており、ロシア革命(1917年)の影響による共産主義拡大への警戒感が一つの要素として存在したことは間違いない。南京の虐殺は、簡単に勝てると思って仕掛けた戦争で中国側の思わぬ強靭さに接した後で起きた事件である。

おわりに

私が刑法学をやめ、今やっている方向の研究に乗り出した理由の一つに、ふと「自分が生きていて、社会科学の研究などしているときに、日本がまた大虐殺とかすることになったら嫌だなあ」と思った、ということがある。

その懸念は、高齢化と人口減少が続く以上はありそうにない、ということで一旦は収まったが、そうこうするうちに、ウクライナ危機が発生し、ウクライナ東部のロシア系住民に対してなされていたことを知り、イスラエルで起きていることを知った。

とくにイスラエルのことは全然よく知らないが、どちらも移行期危機とはいえないのではないかと思う。

いまは「○○になったら嫌だなあ」というようなことは基本的に考えない(考えても仕方ないので)。しかし、それがどういう現象なのかは理解したかった。

私の場合、理解するということは、その対象物を「憎まないで済む」ことを含む。感情的にならず、冷静に、ほどほどに暖かい目で観察できる、ということだ。

前回はアメリカについてそれができて、よかったな、と自分では思っていた。

この「ナチズムが生まれる場所」は「アメリカ II」の副産物なのだが、ナチズムすら憎まないで済むなんて、結構すごい達成ではなかろうか。