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社会のしくみ

「弱肉強食」の真実

目次

はじめに

「アメリカ II」の中で、家族システムにおける「権威」が果たす機能の第一は秩序維持であると書いた

権威には秩序維持機能があるという想定の下、「権威が確立していないとどう困るか」についてはこう書いている。

限られた領域に大勢の人間が暮らしている場合、少なくとも最小限の秩序維持機能は絶対に必要といえる。それがなければ、弱肉強食、血で血を洗う抗争の世界となってしまうから。

このとき私が想定していた「弱肉強食」の世界とは、殺人やら喧嘩闘争が頻発する世界、要するに、無秩序が支配する世界だった。

しかし、その後、いわゆる未開社会(=原初的核家族)の事例をいろいろ読んでいて、「あれ?」と思うようになった。

そこはたしかに「弱肉強食」の世界ではあった。しかし無秩序かといえば無秩序ではない。何というか、秩序そのものが「弱肉強食」の原理に従っているのだ。

原初的核家族がもたらす「不正な秩序」

「権威の不在→無秩序」という想定は、秩序には「正しさ」が含まれることを暗黙の前提としている。

だからこそ、私は権威(「正しさ」の基盤である)が確立していない社会では、秩序の維持は困難であろうと考えたのだ。

広辞苑で「秩序」を引くと、最初の説明はこうである。

①物事の条理。物事の正しい順序・筋道。次第。

これでいくと、「秩序」とは何かしら「正しい」ものであり、権威がなければ秩序は築けないということになりそうである。

他方、Oxford Dictionary of Englishで ”order” を引くと、その大元の意味はつぎのように説明されている。

1 the arrangement or disposition of people or things in relation to each other according to a particular sequence, pattern, or method:  

こちらの説明では、人間や物事同士の関係が何らかの順序、パターン、方法にしたがって配置・整理されていれば「order」といえるのであって、それが「正しい」ことは必要ではない。

言われてみればその通り。

日本人(広辞苑や私)の思い込みとは違って、たしかに、「正しさ」(したがって権威の裏付け)がなくても、秩序の維持は可能だ。

強い者が有利な立場を得て、弱い者がいろいろと我慢を強いられる。その弱肉強食の状態をそのまま固定してしまえばよいのである。その状態は「不正」ではあるが、無秩序ではない。

実際、いろいろ見てみると、権威の確立していない社会がもたらしがちなのは、無秩序というよりは「不正な秩序」のようなのである。

「不正な秩序」が生まれるとき

農耕を始め、定住し、人口が増え、土地が不足し、利害関係の調整が必要となったような場合、共同体は、何らかの形で権威を組み入れた家族システムを発展させ、「正しい秩序」を可能にするのが普通だろう。

しかし、この世界では、原初的核家族を営む人々のもとに、ふいに外部から文明が現れ、複雑な利害調整が必要な状況に追い込まれるということもありうる。例えば、未開社会に西欧の人々が踏み込んできて、奴隷貿易を持ちかけてくるとか。

*奴隷貿易に関しては西欧の側の「不正」ぶりも興味深いが、ここでは未開社会の側に着目する。

突然巨大な権益を投げ込まれた未開社会は、一時の無秩序を経て、秩序形成に向かう。しかし、社会の基層をなすシステムの中に、複雑な事象を「正しく」処理するのに必要な「権威」は確立されていない。

そういうときに何が起こるか。デヴィッド・グレーバー『負債論―貨幣と暴力の5000年』(以文社、2016年)が紹介する事例を見てみよう。

大西洋奴隷貿易と西アフリカ

大西洋奴隷貿易は15世紀に始まり19世紀まで続いた。17世紀後半までには、ヨーロッパの6つの帝国(イギリス、デンマーク、オランダ、フランス、スペイン、ポルトガル)による三角貿易の仕組みが確立し、現地の社会を揺るがせることになる。

wiki掲載の図に加筆(https://ja.wikipedia.org/wiki/大西洋奴隷貿易

①ヨーロッパの工業製品(布、雑貨、武器など)がアフリカへ
②アフリカの奴隷がアメリカへ
③アメリカの一次産品(銀、砂糖、綿花、タバコなど)がヨーロッパへ
 

ヨーロッパの各種製品や武器の流入が西アフリカ社会に大きな影響を与えたことは、この時期以降に諸王国が興隆した事実にみてとれる。オヨ王国やアシャンティ王国、ダホメ王国(現在のベナン共和国の場所)などである。

ダホメ王国の王と女官たち 

西アフリカでの奴隷の調達は、最初のうちは、純粋な暴力が中心だった(戦争の捕虜とか、適当に拉致して連れ去るとか)。アフリカの商人がヨーロッパの商人から信用取引で商品を購入する際に、信用の担保として人質を提供し、その人質が債務不履行によって奴隷として売られていくというパターンも多かったという(債務不履行を待たずに連れ去られてしまうケースもあった)。

しかし、奴隷貿易はやがて、アフリカの権力者や有力商人にとっても、富と権力の源として「なくてはならないもの」に成長する。すると、彼らは、組織的かつ合法的に、地域の住民を奴隷に変えて、ヨーロッパの商人に売り払う仕組みを作り上げていくのである。

奴隷調達のための「不正な秩序」

ダホメやアシャンティといった王国では、統治者は、犯罪に対する刑罰として、本人の奴隷化や「本人の死刑+家族の奴隷化」を定めたり、とてつもなく高額の罰金を課して支払えない場合に本人と家族を奴隷にする、といった方法で奴隷を調達したという。

王国といえるほど発達していない地域では、長老や有力な商人が同様の司法体系を整備し、罪を犯した者を(比較的軽微な罪であっても)奴隷として売り飛ばした。訴えた者は一定の代金を得る仕組みであったので、長老などの協力を得て、無実の罪がでっち上げられることも少なくなかったという。

後者のケースで(国の行政組織に代わって)大きな役割を果たしたのは、商人のリーダーたちが作る秘密結社であった。この秘密結社(エクペ(Ekpe)という)は、神秘的な教義を伝授したり、大掛かりな仮装パーティーを主催することで知られていたが、その裏で、極秘の任務を遂行していた。債務の取り立てである。彼らは債務を支払えない者に対して、(組織的な)取引拒否から、罰金、差し押さえ、逮捕、処刑に至る各種制裁を実行する権限を有していた。

南ナイジェリアのekpeのコスチューム(詳細は不明)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Egbo_Secret_Society,_Mgbe,_Etuam,_Egbo,_South_Nigeria_Wellcome_M0005360.jpg

秘密結社エクペの会員であることは名誉と風格の証とされ、誰もが会員になることを望んだ。果たして、エクペには、等級別に異なる入会金を支払いさえすれば、誰でも加入することができたのだ。

入会金は高額だったが、金を用意できればメンバーになれる。そこで、多くの人々が、商人に借金をして高額の入会金を払い、エクペに加入した。彼らはまた、仮装パーティーで使用する道具や衣装を作るためにも、商人から金を借りた。

こんなのを作ったのかもしれません。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:British_Museum_Room_25_Mask_Ekoi_people_17022019_5015.jpg

エクペに憧れ、借金をして入会し、やはり借金をして衣装を作った人々。彼らがこの借金を返せなかったらどうなるか。

彼らはいまやエクペの一員であるため、債務者であると同時に、自ら債務取り立ての任務も負っている。彼らは、自分の家族や従僕を人質として差し出す代わりに、エクペの一員であるという地位を利用して近隣の村を襲い、子どもや大人、財物、家畜などあらゆるものを強奪して、それを代わりに差し出すことで許しを得ようとした。

*この場合、襲われた人々は、何の正当な理由もないのに、奴隷として売られていくことになる。

責任を他人に押し付けるこの作戦は成功することもあったが、しないこともあったという。後者の場合、結局は、自分の子ども、家族、従僕、最後には自分自身まで差し出すよう強いられ、手枷足枷をはめられて、奴隷として売られていったのである。

エクペのメンバーになりたくて、商人から金を借りたばっかりに、一族郎党が殺され、あるいは奴隷として売り払われていく。そんな仕組みが確立されて、長期間保持されていたのだ。

「人肉債務」の物語

こうした奴隷調達システムが現地の人々の心性にどんな影響を与えていたかを示すものとして、ティブ族の信じる「人肉債務」の話がある。

ティブ族(Tiv)は1750年ごろ(ちょうど奴隷貿易が活発であったころだ)からナイジェリアのべヌエ川流域に居住する部族で、20世紀中頃に人類学者による調査が行われている。

あきらかに、ティブ族には権威の形成にかんして大きな問題があった。

グレーバー『負債論』227頁

ティブ族の間には、公式の政治機構は存在せず、人々は平等主義的で、あらゆる形式の主従関係について懐疑的だったという。それぞれの村落は、一人の長老(=カリスマ性のある実力者)が絶対的な権力をふるうことによって、その秩序を維持していた。典型的な原初的核家族の世界である。

ティブ族の人々の間では、人肉を食べることで特別なカリスマを得る妖術師=殺人鬼の存在が信じられていた。人々は、政治的な指導者になるような有力者はみなこの妖術師なのではないかという疑惑に取り憑かれていたという。

妖術師は結社を組織していて、結社は、つねに新しい成員を求めている。成員を獲得する方法は、だまして人肉を食べさせることである。妖術師は、候補者を食事に招き、こっそり人肉(妖術師が妖術師自身の家族を殺し、その肉を混ぜるとされている)を食べさせる。

うっかり人肉を食べてしまった者は、結社と「人肉負債」の契約を結んだことになり、自らの肉を提供するよう言われる。それを逃れる唯一の方法は、自らの家族をかわりに差し出すことである。彼は、妖術師の指図通りに、兄弟、姉妹、こどもたちを一人一人殺していかなければならないのだ。

「人肉負債」は、はてしなくつづく。債権者はいくどもやってくる。‥‥すべての係累を失い、家族が全滅するまで「人肉負債」から逃れられない。かくして、債務者は、みずからおもむいて横たわり、屠殺され、そこで負債からついに解き放たれるのである。

グレーバー・226頁

このストーリーが何を示唆しているかは明らかだろう。先ほどの秘密結社の影響力がティブ族の地域にまで及んでいたのかどうかは(本を読んだ範囲では)はっきりしない。

*グレーバーは「〔彼らが〕なぜそんな強迫観念に脅かされていたのかというと、2、300マイル離れたところの住人たちの身にそれが文字通り起こっていたからである」としか述べていない。

しかし、私は、ティブ族の有力者の中にも秘密結社のメンバーになったり、周辺地域の秘密結社と関わりがある者がいたのではないかと想像する。

ティブ族の人々は、隣人である有力者の手引きによって、いつ何時、債務不履行、あるいは押し付けられた負債によって、自分やその家族が奴隷として売り払われてもおかしくないという秩序の下で暮らしていた。

そうした事態が現実化することへの恐怖が、妖術師による「人肉負債」の物語を生んだのではないだろうか。

巨大な権益を得た原初的核家族の一般理論

奴隷貿易にまつわるこうした「不正な秩序」の発生は、西アフリカに特異な事例というわけでは決してなく、むしろ、西欧の商業文明と接した未開社会では通常のことだったという。

支配者が(でっち上げを含む)犯罪や債務を理由に臣民を従属させ、奴隷として外国人に売り払って富を築く。「弱肉強食」の自然的事実をそのまま糊で固めたような社会制度は、奴隷貿易の対象となった各地域に確立し、100〜数百年にもわたって営まれていた。

*グレーバーの本では、東南アジアの山間部やバリ島の事例が紹介されている。

権威が確立されていない社会では、強さと正しさは同義である。巨大な権益を手にした強者はそれを正当な自分の取り分であると信じ、弱者の側もそれを信じる。おそらくはそんな単純な仕組みによって、「不正な秩序」は確立され、維持されていくのだと思われる。

原初的核家族のもとに巨大な既得権が発生したとき、必ずといってよいほど「不正な秩序」が形成されるという事実は、この世界を隈なく理解したいと願うわれわれにとって、非常に示唆に富んでいる。

何しろ、現在の世界の秩序は、二度の世界大戦でヨーロッパ列強が凋落した結果、さほど強く望んだわけでもないのに、いつの間にか巨大な権益を手中にしていた原初的核家族を中心に形成されてきたものなのだから。

おわりに

私がグレーバーの本を手に取ったのは、一つには、アメリカの金融覇権とはいったい何なのかを理解するためだった。

なぜ(日本を含む)西側諸国はこれほどまでにアメリカに従属することとなり、なぜグローバルサウスはドルの支配から逃れようとしているのかを、何となくではなく、はっきりと理解するためだった。

グレーバーを読み、さらに調査を進めて分かったことは、現在の金融秩序はかなりデタラメだということである。デタラメで、めちゃくちゃで、まあ、特にアメリカ、それから(ある程度)その同盟国である西側諸国に都合のよい仕組みである。

ただ、じゃあ、アメリカは巨大な悪の帝国で、緻密な計画に基づき周到に準備してこの仕組みを作り上げてきたのか、といえば、そういうわけでもなく、どちらかというと、あまり深く考えず、短期的に見た自己利益を最大にするべく、そのつどそのつど行き当たりばったりで策を講じてきたら、壮大な「不正な秩序」が確立されていた、という感じなのだ。

そのやり方は、まさしく突然巨大な権益を手に入れた原初的核家族のものであり、もう笑うしかない。しかし、被害者の側面もありつつ、グローバルサウスと呼ばれる地域との関係では明らかに受益者側であるわれわれは、やはり、その仕組みをしっかりと理解して、世界と、それからとくに若い人たちと、認識を共有する必要があると思う。

もうすぐシリーズが始まります。
お楽しみに。