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世界を学ぶ

なぜロシアはいま戦争を始めたのか (翻訳・紹介)

以下は、Ted Snider, Why Russia Went to War Now, April 26. 2022, Antiwar.com の雑な翻訳です。

取材と信頼に足る情報に依拠してコンパクトにまとめられた労作です。

ロシアとウクライナの戦争については、この記事この記事で背景事情に関する調査結果を書きましたが、戦争に至る過程におけるウクライナの動きなどをもうちょっと具体的に知りたいと思っていたところ、この記事に行き当たりました。

ウクライナ、アメリカ、ロシアがどう動いたかがよく分かります。

ご関心の方はぜひご一読ください。

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2019年4月、ウォロディミル・ゼレンスキーは、決選投票で73%の票を獲得して大統領に選出された。選挙公約はロシアとの平和的関係の構築とミンスク合意への署名だった。ミンスク合意は、アメリカが支援した2014年の政変〔ユーロマイダン革命〕の後、住民投票で独立派が勝利したドネツク州とルガンスク州(ドンバス)の2州に自治権を約束するものだった。

しかし、平和構築のための重大な責務を引き受けたにもかかわらず、ゼレンスキーはロシアとの外交交渉路線を放棄せざるを得なかった。「もしプーチンとの交渉路線を続けるなら‥‥〔殺す〕」と極右勢力から脅迫を受けたためである(以上は、Stephen Cohen教授(Professor Emeritus of Politics and director of Russian Studies at Princeton)の2019年の発言による)。極右勢力は僅かな支持にかかわらず多大な権力を振るっていた。こうした圧力の下、ゼレンスキーは、「ナショナリストに挫折を強いられた」のだと、Richard Sakwa教授(Professor of Russian and European Politics at Kent)は筆者に語った。選挙公約に反し、ゼレンスキーは、ドンバスの州知事たちとの交渉およびミンスク合意の履行を拒否した。

ゼレンスキーが〔極右の脅迫にもかかわらず〕選挙公約の路線を維持するためにはアメリカからの支持が不可欠であったが、アメリカは彼を公約路線に押し戻すための助力を一切提供せず、平和路線からの離反を決定づけた。Sakwa教授によれば、「ミンスク合意に関して言えば、アメリカもEUも、キエフ〔ウクライナ政府〕に対して合意の履行を真剣に働きかけることはなかった」。Anatol Lieven(senior research fellow on Russia and Europe at the Quency Institute for Responsible Statecraft)も「彼らは、ウクライナに合意を履行させる努力を一切行わなかった」と述べている。

ミンスク合意に描かれた外交的道筋からの離反を余儀なくされ、復帰のための助力も圧力も得られなかったゼレンスキーは、極右勢力に屈し、選挙公約と正反対に、クリミアの奪還・再統合を目指し、そのためには武力行使も辞さないとするクリミア・プラットフォームCrimea Platform)を樹立する法令を制定した。第一回のクリミア・プラットフォームサミット会合には、全てのNATO加盟国が参加した

ゼレンスキーはロシアとの戦争の用意があると威嚇し、Sakwa教授によれば、ウクライナは10万の兵力とドローンミサイルをドンバスに接する東の国境沿いに集めた。これは、2022年にロシアがドンバスに接する西側国境沿いの兵力増強を行う前のことである。モスクワはこれを、ウクライナが7年来の内戦をエスカレートさせ、ロシア系住民が多数を占めるドンバス地域を大規模に侵略することを知らせる「真の警鐘」と受け取った。

ちょうどこの頃、2022年2月、ウクライナによるドンバス地域への砲撃回数が劇的に増加し、警鐘はさらに高まった(砲撃の増加はOSCE(欧州安全保障協力機構)の国境監視ミッションによって確認されている)。Sakwa教授は、停戦合意違反のほとんどはウクライナのドンバス側での爆撃によるものだと筆者に語った。国連のデータによると、民間人を犠牲者とする被害の81.4%は、「自称「共和国」」(”self-proclaimed ’republics’” 〔ドネツクとルガンスクのこと〕)で起きていた。ロシアはウクライナが予告していた軍事作戦が開始されたと考えた。

ゼレンスキーはドンバスの州知事たちとの協議に応じず、ミンスク合意は死に体となった。ロシアはドンバス地域のロシア系住民に対する軍事行動を恐れた。同じ頃、ワシントンはウクライナを武器で溢れさせることを約束する武器供給網となり、かつ、NATOへの扉を開いた。どちらもプーチンが超えてはならない一線であることを明確にしていた行為である。

この戦争の1年前、アメリカはウクライナに4億円の防衛援助を行なっていた。バイデンは「新たな戦略的防衛フレームワーク」に言及、「防衛援助」に、新たに初のleathal weapons(核兵器?)を含む6000万円分のパッケージを追加することを約束した。

ウクライナをleathal weaponsを含む武器で溢れさせる一方、アメリカとNATOは、ウクライナのNATO不加盟を約束することを拒んだ。バイデンとの会合の席で、ゼレンスキーはまたしても「バイデン大統領と、この席で、ウクライナのNATO加盟のチャンスとそのスケジュールに関する大統領及び合衆国政府のヴィジョンについて議論したい」と述べた。バイデンはあからさまな間接表現で「ウクライナのヨーロッパ―北大西洋願望への支持」を表明し、アメリカのウクライナへの支持は「完全にヨーロッパと一体の動きとなる」と述べた。2021年10月、アメリカ合衆国国防長官ロイド・オースティンは再びウクライナに対する「NATOの扉は開いていると強調」した。

11月、アメリカは、ウクライナのNATO加盟に必要な〔防衛力〕刷新の援助のためのUS-ウクライナ戦略的パートナーシップ憲章に署名した。当該文書には、アメリカとウクライナは2008年のブカレストサミット宣言を指針とする旨の記載がある。2008年のブカレストにおいて、アメリカとNATOはウクライナがいずれNATOのメンバーになることを保証した。「NATOはウクライナおよびグルジアのNATO加盟に向けたヨーロッパ-北大西洋願望を歓迎する。われわれは今日、この両国が将来NATOのメンバーとなることに合意する。」

10年を優に超える期間を通じて、プーチンはNATOのウクライナへの拡大を超えてはならない一線として警告し続けてきた。今、ウクライナがドアを叩き、アメリカとNATOは勧誘の手を伸ばし続け、扉を閉めて施錠することを拒絶し続ける中、外交上の譲歩を余儀なくされたプーチンは、アメリカに相互防衛保証(mutual security guarantees)の提案を持ちかけ、直ちに交渉に応じるよう依頼した。

ワシントンは武器のコントロールに一定の柔軟性を示す一方で、「アメリカ合衆国は、ウクライナ領内における攻撃的地上発射ミサイルシステムおよび常設軍の配備の差し控えに関し、アメリカ合衆国とロシアの双方による条件ベースの互恵的で透明性のある手段および互恵的関与に関し、喜んで話し合う準備がある」と答えた。要するに、ウクライナのNATO加盟の可能性が開かれていることについては、議論の余地をキッパリと否定したのである。アメリカの反応は非妥協的で、「アメリカ合衆国はNATOの開放政策を固く支持する」という強固な立場を繰り返した。

ロシアは協議を持ちかけ、アメリカは応じようとしない。実際、アメリカに交渉に応じる意思は全くなかった。合衆国国務長官アントニー・ブリンケンの顧問であるDerek Cholletは最近NATOのウクライナへの拡大方針に関する交渉は一度も検討課題とならなかったことを認めた。

NATOのウクライナさらにはロシア国境への拡大という目の前の脅威に関するアメリカとの協議が実現する見込みはない。ウクライナは扉を叩き続け、アメリカは開放方針を堅持する。アメリカにとっては、ロシアとの交渉は検討課題ですらない。こうなれば協議は終了である。ウクライナはクリミアとドンバスを取り戻すと公言している。彼らは交渉を拒否しており、いまや国境に大量の兵力が集められた上、砲撃回数は恐ろしいほどに増加していた。ロシアはドンバス侵攻とロシア系住民に対する作戦が今すぐにも開始されることを恐れた。

ロシアがウクライナ侵略を決めた瞬間である。これらの事情は侵略を法的に正当化するものでも、倫理的に正当化するものでもない。しかし10年以上にわたる警告ののち、ロシアがなぜいま戦争を選んだのかの説明にはなるだろう。