以下は、John Pilger, In Ukraine, the US is dragging us towards war with Russia(The Guardian, Tue 13 May 2014 20:30)の翻訳です。(小見出しを付け、改行を増やしました。)
私たちは西側の犯罪を何も知らない
なぜ私たちは私たちの名の下での第三次世界大戦の脅威を許容するのか。そのリスクを正当化するための嘘の数々をなぜ許すのか。Harold Pinter は書いている。我々が受けている洗脳のスケールは「目覚ましく、洒脱とすらいえる」、その「催眠行為」は「いままさに起きている現実を起きていないものと」と信じさせることに「見事に成功している」。
米国の歴史家 William Blumが毎年公刊している「米国の外交政策に関する記録の要旨・最新版」によれば、1945年以降、米国は50以上の政府(その多くは民主的に選出されたものである)の転覆を企図し、30カ国の選挙に大規模に介入し、30以上の国で民間人を爆撃し、化学兵器や生物学兵器を用い、外国の指導者の暗殺を試みている。
イギリスはその多くのケースで協力者として関わっている。犯罪性はもちろん人的被害の程度も西側ではほとんど知られていない。世界でもっとも進んだ情報通信手段と名目上はもっとも自由なジャーナリズムを誇っているにもかかわらず。
西側によるテロ
最大のテロの被害者―言っておくが「私たちによる」テロである―はいうまでもなくイスラム教徒である。9/11をもたらした極端なジハード主義が、英米の政策遂行のための武器として育成されたものだった(アフガニスタンにおける”Operation Cyclone”)という事実は隠蔽されている。4月、米国政府は、2011年のNATOによる軍事介入の結果「リビアはテロリストの隠れ家となってしまった」と認めた。
「私たちの」敵として指名される者の名前は時を経て変化した。共産主義からイスラム主義へ。しかし総じてその対象は、西側勢力から距離を置く国で、戦略的要衝または天然資源豊富な領土を持つか、あるいは、数は少ないが、米国の覇権にかわる選択肢を提示する国である。
こうした〔米国の覇権にとって〕邪魔な国々の指導者たちは、イランにおける民主派のムハンマド・モサデク、グアテマラのハコボ・アルベンス・グスマン、チリのサルバドール・アレンデのように暴力的に排除されるか、コンゴ民主共和国のパトリス・ルムンバのように殺害されるのが通常である。
そして、彼らはみな、西側メディアによる中傷キャンペーンの被害者となる。フィデル・カストロ、ヒューゴ・チャベスのように。今その真っ只中にあるのはウラジミール・プーチンである。
プーチンを挑発するアメリカ
ウクライナにおけるワシントン〔米国政府〕の役割は、すべての私たちにとって格別な意味を持っている。レーガン以降では初めて、米国が世界を戦争に連れ込もうとしている兆しがあるからだ。
東ヨーロッパとバルカン諸国はいまやNATOの軍事的前衛地であるが、ロシアと国境を接する最後の「緩衝国家」であるウクライナが、米国とEUが解き放ったファシスト勢力によって分断されようとしている。西側の私たちは今、過去にナチスシンパがヒトラーを支援したその国でネオナチを支援しているのである。
2月に民主的に選出されたウクライナ政府を巧みに転覆させた後、米国政府はロシアがクリミアに合法的に建設した不凍港の海軍基地を占拠(seizure)しようとして失敗した。ロシア人たちは100年余りに渡って西側からのあらゆる脅威や侵略に対してしてきたのと同様に自分たちの基地を守り切った。
しかし、米国がウクライナにおけるロシア系住民に対する攻撃を指揮するのに合わせ、NATOの軍事的包囲は加速している。プーチンが挑発に乗ってロシア系住民の救援に乗り出そうものなら、彼に予め与えられた「除け者」(pariah)の役目がNATOによるゲリラ戦争を正当化し、ロシアそのものを巻き込んでいく可能性が高い。
プーチンは挑発には乗るかわりに米国政府およびEUとの和解を探る姿勢を見せ、ウクライナ国境からロシア兵を撤退させ、東ウクライナのロシア系住民に週末に予定されていた問題含みの住民投票の実施を断念させて、戦争を望んでいた連中を混乱させた。
ウクライナの人口の三分の一を占めるロシア語話者(またはロシア語・ウクライナ語のバイリンガル)たちは長い間、ウクライナの民族的多様性を反映し、キエフ(ウクライナ政府)に対する自律性とモスクワ(ロシア政府)からの独立性の両方を担保した民主的な連邦政府の実現を模索してきた。
そのほとんどは西側メディアが言うような「分離派」でもなければ「反乱分子」でもない。ただ祖国で安全に暮らしたいだけの市民たちである。
CIAのテーマパークとなったウクライナ
廃墟となったイラクやアフガニスタンと同様に、ウクライナはCIAのテーマパーク―CIA長官のJohn Brennanが個人的に運営し、CIAとFBIからの何十もの「特別ユニット」が2月のクーデターに反対する人々に対する残忍な攻撃を差配するための「安全保障体制」を構築する―になりつつある。
今月起きたオデッサでの虐殺について、ビデオを見て、目撃者の報告を読んでほしい。バスに乗ってやってきたファシストの殺し屋たちが労働組合本部に火をつけ中にいる41人を殺害する場面、そして警察がただ立ってみている様子を。
現場にいたある医師はこう述べた。「〔人々を助けようとしたが〕ウクライナ政府を支持するナチ過激派に止められました。そのうちの一人に乱暴に突き飛ばされ、私やオデッサのユダヤ人たちもすぐに同じ目に遭う運命だと脅されました。昨日ここで起きたようなことは、私の町では、第二次大戦中のファシスト占領下でも起きたことはありません。私は不思議に思います。なぜ世界中の人々が何も言わずに放置しているのかと」。
プーチンに罪をなすり付ける西側のプロパガンダ
ロシア語話者のウクライナ人たちは生存のために戦っている。プーチンが国境からのロシア兵の撤退を告知したとき、キエフ暫定政府の防衛大臣Andriy Parubiy(ファシスト自由党(the fascist Svoda party)の創立メンバ)は、それでも「暴徒たち」への攻撃は続くと豪語した。西側のプロパガンダは、オーウェル風に、彼らの戦いを、モスクワが「対立と挑発を煽っている」と言い換える(これはWilliam Hague(イギリスの政治家)の発言)。
彼のシニシズムはオデッサの虐殺後のクーデター暫定政府の「すばらしい抑制」を称賛したオバマのグロテスクな祝辞に匹敵する。オバマによれば、暫定政府は「正当に選ばれた」のだ。
ヘンリー・キッシンジャーがかつて述べたように「重要なのは何が真実かではなく、何が真実とみなされるかである」。
米国のメディアではオデッサの惨劇は「混乱」とみなされ、「ナショナリスト」(ネオナチ)が「分離派」(ウクライナの連邦化に関する住民投票を求める署名を集めていた人々)を攻撃した「悲劇」という程度に扱われている。
ルパート・マードックのウォールストリートジャーナルは「多くの死者を出したウクライナの劫火、犯人は反乱分子か(政府)」と決めつけた。
ドイツのプロパガンダは冷戦そのもので、フランクフルターアルゲマイネは読者にロシアの「宣戦布告なしの戦争」への警戒を呼びかけた。
21世紀のヨーロッパにおけるファシズムの復興を非難した唯一の指導者がプーチンであるという事実は、ドイツ人には痛烈な皮肉である。
なぜ許すのか?
9/11の後「世界は変わった」とよく言われる。しかし何が変わったのだろうか。〔ベトナム戦争に関する機密文書を漏洩した〕偉大な内部通報者であるDaniel Ellsbergによれば、ワシントンで静かな政変が起き凶暴な軍事主義が現在の米国政府を支配しているという。ペンタゴン〔国防総省〕は現在「特別作戦」ー要するに秘密の戦争であるーを124ヵ国で展開している。足元では、永続的な戦争状態の歴史的な帰結として貧困が増大し自由が失われようとしている。これに核戦争のリスクが加わった今、問うべきは「なぜ私たちはこれを許すのか」である。
ゲルマン人はなぜ国家を作れたのか?
ヨーロッパにおける直系家族の起源は10世紀末、カペー朝のフランス(フランク王国)である。ローマ帝国分裂の頃からヨーロッパに入ってきていたゲルマン人たちは基本的に「家族システム以前」の原初的核家族であり、国家形成に必要な「権威」の軸をまだ持っていなかった。
それでも、彼らは国家を作っていく。西ゴート王国、ブルグンド王国、ランゴバルド王国、アングロ=サクソン七王国とか。中でもフランク王国は栄え、のちに分裂してフランス、ドイツ、イタリアの元になる。
ゲルマン人たちは「家族システム以前」であり「国家以前」であったはずなのに、なぜ国家を作ることができたのだろうか。
私の考えでは、原初的核家族に国家の樹立・運営が困難なのは、彼らがその家族システム(=メンタリティの深層)の中に「権威」を持たないからである。
それでも国家を作りたかったらどうしよう。
どっかから「権威」を借りてくればよいのだ。
フランスの誕生
ヨーロッパの場合、ローマ帝国の権威、そしてローマの遺産であるキリスト教がそれに当たる。内面に深く働きかける宗教、しかも一神教であるキリスト教は、核家族の無意識に「権威」を補う最高のサプリメントであったと思われる。
今回はフランク王国(≒フランス)の場合を少し詳しめに見ていきたい。
彼らはどのようにキリスト教と関わり、国家を築いていったのか。
そして、家族システムが進化し国家が軌道に乗ったとき、国家とキリスト教の関係はどのように変化していったのか。
①クローヴィスの洗礼(メロヴィング朝)
ー原初的核家族+外付けの権威
ガリア北部からピレネー山脈までを支配下に収めたフランクの王クローヴィス(在位481-511)は、496年に洗礼を受け、キリスト教に改宗している。
ローマ教会の司教の勧めによるものだというが(ブルグンド王国出身の妻の勧めという説もあり)、タイミングがとてもよかった。
この以前、教会内部に教義上の争いがあって、アリウス派とアタナシウス派が対立していた(内容はさしあたりどうでもよい)。
論争の決着は4世紀末に着き、アタナシウス派が正統(カトリック)となったので、5世紀に改宗したクローヴィスはアタナシウス派を受容した。
しかし、ローマの近くに位置していたためにより早期に改宗していた各国の王たちは、みなアリウス派だった。
クローヴィスは図らずも「唯一のカトリック王」となり、カトリック王としての権威と「異端からの解放」という(周辺地域征服の)大義が与えられたのである。
カトリック王としての権威によってローマ帝国時代の貴族たちも味方に付けたクローヴィスは、武力に加え、教会(キリスト教)の権威、征服の大義、貴族たちの行政能力を手に入れて、国家の統一を成し遂げた。
クローヴィスの頃のフランクは原初的核家族であったが、教会との関係および唯一のカトリック王としての地位を「外付けの権威」として用いることで、統一国家の樹立に成功したといえる。
②「聖別」の典礼(カペー朝)
ー直系家族+権威の補強
しかし、この統一は長続きしない。原初的核家族のメロヴィング朝は相続の度に王国の分割をめぐって争いを起こし、混乱の末にカロリング朝に取って代わられる。
そのカロリング朝の王たちは順調に支配領域を拡大し、シャルルマーニュ(=カール大帝)の時代には、ドイツ、フランス、イタリアにまたがる広大な地域を支配下に収め、ローマ教皇からローマ皇帝の戴冠を受けるまでになる(800年)。
しかしまだ核家族だったのでやはり相続争いを避けられず、シャルルマーニュの死後、カロリング帝国はフランス、ドイツ、イタリア(の原型となる3つの国)に分裂してしまうのである。
「おい、そろそろ何とかしろよ」と思えるこの頃、ようやく、フランス領域内で家族システムの進化が始まる。
柴田三千雄『フランス史10講』によると、この頃のフランスでは、王の任命で行政官として配された地方の有力者たちが「分割継承をめぐる武力抗争の過程で武装銃士団をつくって自立し、領邦権力にまで成長していた」という。
ちょうど、日本で武士というか武家が生まれてくるのと同じような感じである。この領邦権力=貴族たちは、間もなく、長子相続を採用し、直系家族を確立していくだろう。
下から権力が育ってくると、国王の権威は揺らぐ。選挙王制が採用され、カロリング家以外の王が登場したのもその一つの現れである。
まず888年にロベール家のウード、987年にはやはりロベール家のユーグ・カペーが非カロリング家の王となった。
ユーグ・カペーは、相続争いを避け安定的な継承を可能にするため、貴族の間で広まりつつあった長子相続制を自ら採用し、生前に長子を後継者に指名する。こうして、ついに、家族システムの進化(直系家族)とともに、カペー朝が始まるのである。
カペー朝の登場は、現在から見ると、実質的に「フランス国誕生」と同視できる大きな事件であるが、当初、その権力基盤は脆弱だった。
シャルルマーニュが持っていたローマ皇帝の称号は、さっさと直系家族を定着させて安定を見たドイツに持っていかれてしまうし(962年オットー1世に教皇からローマ皇帝の称号が与えられ、神聖ローマ帝国が始まる)。
内外に対してその正統性を主張する必要に迫られたカペー朝が用いたのも、やはりキリスト教だった。
カペー朝は「聖別」の儀式としての塗油を即位式の典礼として確立する1カロリング帝国分裂後のフランス(西フランク)で新たに生み出されていた伝説(クローヴィスの洗礼の際、白い鳩が聖油の小瓶を口にくわえて天から舞い降りたという)に依拠するものという。。塗油の儀式には、神による選択という意味が込められる。これによって、カペー朝の王は、教会の権威にも依存せず、神に選ばれ、神に超自然的な力を与えられた者、いわば「新たなキリスト」と位置づけられたのである。
③教皇のバビロン捕囚
ー教皇を屈服させる王権
当初は群雄割拠の中の名目上の王に過ぎなかったカペー王朝は、12世紀以降次第に勢力圏を広げ、14世紀初めには王国の約4分の3を支配下に置くなどして、実質的な統一を実現していった。
12世紀以降というこの時期は、フランスの主たる家族システムである平等主義核家族が成立した時期と一致している。
10世紀に生まれた直系家族はドイツ全土に広がったが、フランスでは農地システム(大規模土地所有)に阻まれて拡大を止めた(大規模土地所有はローマの遺産である)。
しかし、直系家族を拒んだ地域では、貨幣経済への回帰、都市の再生、大規模農業経営の再確立とともに、平等主義核家族が「再浮上」したのである2「再確立」とか「再浮上」とかいう言葉は、ローマ帝国時代のものが一旦失われて再度現れたことを指示する。。
この時期が、フランスという国の「国柄」が確立されていった時期といってよいだろう。
基層における(直系家族+)平等主義核家族システムの確立と実質的な国家統一が同時に実現したこの時期に、世界史の教科書でも印象深い、教皇ボニファティウス8世と国王フィリップ4世の確執が起きている。
ヨーロッパ各国の王と教皇の間には従前から聖職者への課税や司教の任命権をめぐる対立があったが、フランス王は教皇と比較的良好な関係を保っていた。
しかし、カペー朝の王は13世紀後半から攻勢に出る。フィリップ4世は教皇権の絶対性を主張する教皇を側近に急襲させ監禁するという挙に出たのである(1303年 アナーニ事件)。教皇はまもなく釈放されたが屈辱のうちに死亡した(「憤死した」とも言われますね)。
フィリップ4世はその後教皇庁をアヴィニョン(南フランス)に移し、以後約70年間、教皇を支配下に置く(教皇のバビロン捕囚 1309-1377)。
王権の拡大と教皇権の衰退を示すエピソードとして知られるこれらの事件は、ヨーロッパの国家建設においてキリスト教が果たしていた役割を頭に置くと、いっそう分かりやすくなる。
原初的核家族のゲルマン人が国家を樹立するには「外付けの権威」としての宗教が不可欠だった。
家族システムの進化とともに国家が権力基盤を固めていく過程においても、宗教の力を借りて「権威」を補強する必要があった。
しかし、王権が伸張し、国家運営が軌道にのってくれば、聖なる権力はむしろジャマになる。この段階に至ると、これまでとは反対に、宗教の権威を押さえつけ、あからさまに蹂躙することこそが、王の権威を高めることになるのである。
ライシテ(政教分離)の基盤
フランス王国はその後もカトリック国家であり続けたが、革命を経た共和政フランスは、国王の権威を否定すると同時に聖職者の権威も否定し、やがて、公共領域から宗教を徹底して排除する独自の政教分離原則(ライシテ)を確立するに至る。
とりわけ厳格な宗教排除原則がフランスで確立されたのは、同国に定着したのが平等主義核家族システムであったことによると考えられる。
「自由と平等」のフランス市民にとって、宗教は「権威と不平等」そのもの、彼らの価値観に真っ向から対立する不倶戴天の敵である。
彼らの意思が政治に反映されるようになった時点で、公共領域からの宗教の排除は必然であったのだ。
経緯を整理しておこう。
①第1段階:原初的核家族のフランス
権威の欠落をキリスト教で補い、国家建設に成功。
②第2段階:直系家族のフランス
王侯貴族(と一部地域の人々)の間に直系家族が定着し「権威」が発生するが、キリスト教は引き続き脆弱な権力基盤を補強する役目を果たす。
③第3段階:直系家族+平等主義核家族のフランス
王権が伸張し中央集権国家が軌道に乗る。王は教皇を侮辱し聖職者を支配下に置くことで安定した国家運営を図る。
④第4段階:平等主義核家族のフランス
直系家族(王侯貴族)VS 平等主義核家族(一般市民)の戦いで(も)あったフランス革命で平等主義核家族が勝利。「自由と平等」の人民は「権威と不平等」の権化である宗教の公領域からの排斥を求める。
次回に向けて
原初的核家族がキリスト教の助けを借りて作った国家である点は他のヨーロッパ諸国も同じだが、宗教への態度や宗教(および脱宗教化)が社会に与えた影響は国によってかなり異なる。おそらくは定着した家族システムとの関係なので、次回に探究したい。日本との比較もできると思う。
もう一つ。国家における「権威」の重要性を知ると、宗教を排斥し、国王も排斥したフランスが、その空白を何で埋めたのかを知りたくなる。この点も次回以降に探究しよう。
今日のまとめ
- 原初的核家族(権威なし)であるゲルマン人の国家建設にはキリスト教の権威が不可欠だった。
- キリスト教は、直系家族+平等主義核家族のフランスが生まれた後も、権力基盤の強化・安定に役立った。
- フランス革命は直系家族(王侯貴族) VS 平等主義核家族(一般市民)の戦いでもあった。
- 革命に勝利したフランス人民(平等主義核家族=自由と平等)にとって、宗教(権威と不平等)は不倶戴天の敵だった。
- ライシテは、平等主義核家族と宗教システムの極度の不適合が生み出した制度である。
<主要参考文献>
・柴田三千雄『フランス史10講』(岩波新書、2006年)
・エマニュエル・トッド(石崎晴己訳)『新ヨーロッパ大全I』(藤原書店、1992年)
・エマニュエル・トッド(石崎晴己監訳)『家族システムの起源I ユーラシア 下』(藤原書店、2016年)
- 1カロリング帝国分裂後のフランス(西フランク)で新たに生み出されていた伝説(クローヴィスの洗礼の際、白い鳩が聖油の小瓶を口にくわえて天から舞い降りたという)に依拠するものという。
- 2「再確立」とか「再浮上」とかいう言葉は、ローマ帝国時代のものが一旦失われて再度現れたことを指示する。
彼らは友人だったー9/11に寄せて(翻訳)
以下は “Ted Snider, Remembering Our Friends on 9/11″の翻訳です。ウクライナ戦争勃発以後、この人の記事が琴線に触れることが多く、今回もそうだったので訳しました。
https://original.antiwar.com/ted_snider/2022/09/08/remembering-our-friends-on-9-11/
世界の首脳の中で、9/11同時多発テロ(2001年)の後ブッシュ大統領に一番に電話をかけてきたのはウラジミール・プーチンだった。実は彼は2日前の9月9日にもブッシュに電話をかけ、長期に渡って準備されてきた何かがまもなく実行される兆しがあることを知らせ、警告していたのだ。
ツインタワービルが破壊される様子をテレビで見たプーチンはただちにブッシュに連絡し、弔意と同情を示した。エアフォース・ワンに搭乗中だったブッシュにはつながらなかったが、プーチンは迷わずコンドリーザ・ライスに伝言を託した。翌朝、ブッシュと直接話をしたプーチンは「この困難を乗り切るため、団結し協力しよう」と約束した。
プーチンは同情と団結の意思を示しただけではなかった。彼はブッシュが何を決断しようとそれを全面的にサポートすると約束したのだ。プーチンとブッシュはその後40分間語り合った。次の月曜、プーチンは、機密情報の共有、人道支援のための(米の)ロシア上空の通行許可、捜索救難活動への参加、アフガニスタンの北部同盟への軍事的支援の増強を申し出た。そればかりか、彼は、少しの躊躇の後、ロシア軍の上級司令官の反対にもかかわらず、米軍の中央アジアへの派兵を認めると申し出て、アメリカを唖然とさせた。アメリカはキルギスタンとウズベキスタンへの軍事基地の建設を許されたのである。
ロシアは自身の戦争を通じてアフガニスタンについて詳細な知見を得ていたため、その機密情報の共有には非常に大きな価値があった。ロシアの諜報機関は確かな地図をアメリカに提供し、カブールと数多くの山や洞窟を案内した。ロシアの諜報機関は、9/11以前の2000年6月頃までにも、アフガニスタンからのテロリストの脅威に関する情報をアメリカに提供していた。
このとき、プーチンはまだアメリカおよび西側との関係改善に望みを抱いていた。彼はアメリカへの援助と協力がそれを促進することを期待した。プーチンは9/11の悲劇を、アメリカに対し、ロシアをパートナーとする形での国際秩序が可能であることを知らしめる契機と捉えていた。2011年11月のワシントンでのスピーチでプーチンは次のように述べている。「テロとの戦いにおける我々の相互協力を露米関係の単なる一エピソードとして終わらせてはなりません。これを長期のパートナーシップと協力関係のスタートとすることこそが重要なのです。」
しかし、その10年前にアメリカがソ連を罠にはめて敗戦に追い込んだアフガニスタンの地で、アメリカの勝利を助けてくれたロシアは、その返礼として何一つ得ることはなく、NATOは東方拡大を続けた。2004年までに、NATO拡大の「ビックバン」はロシア国境沿いのバルト諸国に達していた。
Philip Shortの著書『プーチン』によると、イギリス版NSA(国家安全保障局)にあたるGCHQの当時の長であったFrancis Richardsは次のように述べていた。「われわれは9/11後のプーチンからの援助に非常に感謝していたが、その感謝をあまり示していなかった。私は受け取るだけでなく与えることもしなければならないと人々を説得することに努めたのだが‥おそらくロシアの人々はNATOの問題を通じて彼らは騙されて利用されたと感じていたと思う。そして、それは事実だったのだ。」
9月11日、中国主席の江沢民は、テレビでテロ攻撃を見つめていた。2時間と経たないうちに、彼はブッシュに電話をし、哀憐と援助の意思を示した。
9/11への中国の反応は、アフガニスタン戦争が混迷を極めていくにつれ、複雑さを増していった。中国はタリバンのテロの脅威が国際社会および中国国内に及ぼす影響を懸念していたが、それと同程度に、長引く駐留で近隣でのアメリカの軍事的存在感が高まることを恐れていた。
中国は国境地域で(中国の)同盟国パキスタンが米軍基地の受け入れと移動ルートの提供を強要されていること、パキスタンに完全なアメリカ寄りの傀儡政権が建設される可能性を懸念していた。
戦争が長引くと、中国はタリバンとアメリカのどちらも全面的に支持しない姿勢を取るようになり、タリバンと外交関係を維持した上、武器を提供することすらあった。
しかし2011年9月のあの最初の数時間、中国のリーダーは直ちにアメリカ大統領に電話をかけて援助を申し出ていた。Andrew Smallの著書『The China-Pakistan Axis』によれば、中国は機密情報の共有と地雷除去装置の提供を申し出た上、北京にFBIのオフィスを設置することまで提案した。アメリカは中国からの援助の申し出のほとんどを拒絶したが、しかし、中国は援助を申し出たのだ。
イランもまた、9/11の後、アメリカの支援者となった一人である。アメリカでのテロ攻撃の後、イランは直ちにアメリカ側に付き、タリバンおよびアルカイダに反対する立場を明らかにした。ロシアや中国と同様にアメリカとの関係改善を望んでいた改革派の大統領セイイェド・モハマド・ハータミーは、この悲劇を彼らのパートナーシップと友情を証明する不幸であるがよい機会と捉えた。
イランは国境地域に逃げ込んできた何百人ものアルカイダおよびタリバンの戦士たちを逮捕した。イランは200人以上のアルカイダおよびタリバンの逃亡者たちの身元を特定して国連に文書を提供し、その多くを彼らの出身国に送り返した。送還させられない者たちの多くに対しては、イラン国内での受け入れを提案した。イランはまたアメリカの捜索要請に応えてアメリカが特定したアルカイダ工作員たちの相当数を逮捕し移送した。
アメリカと同盟国がアフガニスタンを侵攻した際に反タリバン戦闘員の多くを提供した北部同盟を取りまとめ、アメリカとの協力関係に置いたのは概ねイランである。イランはその空軍基地をアメリカに提供し、アメリカが撃ち落とされた米軍機の捜索救助活動を行うことを許した。イランの人々はタリバンとアルカイダの容疑者に関する機密情報も提供した。
イランの外交官たちは2001年10月までにアメリカ政府高官と秘密会合を持ち、タリバンを排除しアフガニスタンに新たな政府を作る計画を練った。2001年11月のボン会議で、イランはイラン専門家や『Losing an Enemy』の著者Trita Parsi によれば、アフガニスタンのポストタリバン政権の樹立に「決定的に重要な役割」を 果たしたという。
ロシアと同じく、イランもその返礼は何一つ得ていない。アメリカが彼らに与えたものは「悪の枢軸」のメンバーの地位だけである。
ロシア、中国、イランというアメリカにとっての大悪魔(arch enemies)たち3人は皆そろって、9/11の後、友情からの支援の手を差し伸べていた。言葉だけではない。彼らの両手は本物の支援策でいっぱいだった。アメリカが差し伸べられた手を取って、Francis Richards がいうように感謝を表し、受け取るだけでなく与えることもしていたら、今日の世界はもう少しましなところになっていたかもしれない。
国家と宗教
ー一神教と多神教ー
神は権威を支える
国家を統治するために不可欠の道具は「正しさ」である。武力でも一時的な秩序維持は可能だが、長きに渡って共存していくことを前提とするのが国家である以上、いずれその正統性を「正しさ」(=法)に求めなければならないときが来る。
強さとは異なり「正しさ」は自然界に存在しないので、統治に使うには裏付けが必要である。それを担うのが権威だ。
縦型の権威がないところに国家がなく、権威が生まれると同時に国家が誕生するのは、そういうわけである。
そう考えると、国家の誕生と同時に歴史(=文字)が生まれ、宗教が生まれるという事実も驚くには当たらない。
直系家族(国家誕生の第一段階である)の場合、権威の基礎は先祖代々家系が受け継がれてきたという事実にあるので、歴史を書き記し後世に伝えることは欠かせない。
そして、直系家族に限らず、権威を自他に対して納得させるには、彼岸から、神に支えてもらうのが一番なのだ。
直系家族の神
世界で初めて都市国家を生んだシュメールの宗教は多神教である。
この点は、同じ直系家族の日本人には分かりやすい。
直系家族システムを支えるのは縦のラインだが、そのラインは一本ではないし、それぞれの線が一人の先祖だけにつながっているわけでもない。
田中さんには田中さんの先祖がいて、鈴木さんには鈴木さんの先祖がいる。
それぞれの家系に、お父さん、おじいさん、ひいおじいさん、ひいおばあさん(女性が権威を担うこともある)・・と沢山の人々が連なって、権威を構成しているわけなので、神様は一人で済むわけがないのだ。
エマニュエル・トッドは直系家族と一神教のつながりを論じたことがある(『移民の運命』198頁以下)。しかし、これはちょっと無理筋だと私は思う。ルター派の強い神のイメージと浄土真宗の阿弥陀信仰に共通性を見出したりするのだが、ドイツは直系家族の成立以前にキリスト教を受容しているからその範囲内でアレンジしただけと思われるし、浄土真宗が阿弥陀を大事にするからといって日本人の信仰が一神教的であるとは到底いえないだろう。トッドは当初ユダヤ人を直系家族と見ていたので(のちに撤回している)、それに引っ張られた面もありそうだ。
勝手に断言しよう。
直系家族システムの権威を支える宗教体系は多神教だ。
間違いない。
帝国を支える神
中東では、直系家族とともに都市国家が生まれた後、都市国家間の争いが絶えない時代を経て統一国家が生まれ、やがて帝国に発展する。そのとき、社会の基層では、共同体家族システムが形成されていた。
国家統一がなされると何となく一神教が生まれそうな感じもするが、おそらくそうではない。
帝国では、王は何らかの形で神格化され、王にその身を投影する神は最高神とされるであろう。しかし、ほかにもさまざまな神、妃や母に当たる女神や、帝国に服属する地域の神などがいて、皆が揃って最高神を崇める、といった形で現実の王の権威を支えるのが典型的ではないかと思われる。
共同体家族の帝国では、頂点に君臨するのは生身の王であり、その人格こそが権威の源泉である。直系家族にも当てはまることだが、すでに確固たる権威が存在する国家において、宗教に期待されるのは補強の役割にすぎない。世俗の権威を凌駕するような強大な神にいてもらってはむしろ困るのだ。
王が君臨する国家と一神教の相性の悪さは、旧約聖書にも描かれている。
唯一神ヤハウェは、預言者サムエルを通じて、イスラエルの人々に、異教の神々への信仰を捨て、ヤハウェのみに心を定めることを要求する(一神教であるゆえんである)。しかし、ヤハウェの要求はそれにとどまらない。ヤハウェは人々に、世俗の王を求めず、ひたすらヤハウェのみに従うことを求めるのである。
聖書が王の君臨する国家をロクでもないものと考え、ほとんど憎しみすら抱いていることは、世俗の王を求める民に預言者サムエルが伝える次の言葉に現れている。
君達を支配する王の習慣(ならわし)は次のようなものだ。彼は君達の息子をとって、自分の為にその戦車に乗り組ませ、王の軍馬に乗らせ、又王の車の前を走らせる。又彼らを千人の隊長、百人の隊長とし、更にその耕地を耕させ、刈入れの労働に服させ、又武器の製造と戦車の装備にあたらせる。君達の息女(むすめ)達をとって、香料作りとし、料理女とし、又パン焼き女とする。王は君達の畑地と葡萄園と橄欖畑のよきものを取り上げ、それを彼の宦官と役人達に与える。又、君達の下僕(しもべ)、婢女(はしため)、又君達の牛のよきものと驢馬とを取って、自分の為に働かせる。彼は君達の家畜の群の十分の一を取り上げ、君達は遂に彼の奴隷となるであろう。君達はその時自ら選んだ君達の王の前に泣き叫ぶであろう。しかしヤハウェは最早その時君たちに答え給わない。
『サムエル記』(関根正雄訳)岩波文庫、昭和32年、29頁
それでも人々は、自分たちにもよその国と同じように王が必要であると言って聞かない。そこで、ヤハウェは彼らに王(サウル)を与えるが、サウルはヤハウェの命令に背いたことで王位を奪われ、王国の樹立はつぎのダビデの治世まで持ち越されることになる。
一神教を必要とするのは誰か
直系家族システムの国家には縦に連なる権威の軸が存在し、家々の祖先達を思わせる多神教の神々がそのイメージを補強する。
共同体家族システムの帝国には生身の王が君臨し、下位の神々の上に最高神が君臨する天界のイメージが、王の権威の正統性を強化する。
現実世界に確固とした権威を備えたこれらの国家は、決して、世俗の権威を否定するような強大な神を彼岸に生み出すことはない。
ではいったい誰が一神教の神を必要とするのだろうか。
家族システムと国家の対応関係を知った後では、答えは明らかなように思われる。
原初的核家族である。
| ○ | 親子関係 | 兄弟関係 | 国家形態 |
|---|---|---|---|
| 原初的核家族 | 不定(イデオロギーなし) | 不定(イデオロギーなし) | なし |
| 直系家族 | 権威 | 不平等 | 都市国家 / 封建制 |
| 共同体家族 | 権威 | 平等 | 帝国 |
原初的核家族とは、関係性を律する規則を持たない「家族システム以前」の状態(あるいはそれに近い状態)を指し、彼らは内発的に国家を生み出すことはない。
それでも、近隣に都市国家やら帝国やらが林立してその勢力が迫ってくると、自身も国家を組織しなければアイデンティティを保つことができない状況に陥るであろう。しかし、彼らの家族システムは国家形成に必要な権威を欠いている。
窮地に陥った彼らは、天上にその権威を求める。
それが一神教の神である。
世俗の人々を導いてくれる強い神、全知全能で唯一絶対の神の姿を彼岸に描き、その支配を受け入れることで、世俗の権威に代替するのである。
以上が私の仮説である。さて、これが実例で証明できるかどうか。
試してみよう。
例証① ユダヤ教
もともと遊牧民であったため、長く未分化な核家族性を保持していたユダヤの人々が、国家(イスラエル王国)を形成するに至ったのは、紀元前11世紀の終わり頃である。
世界史の教科書によると、シリア・パレスチナ地方では、紀元前13世紀頃の「海の民」の進出によりエジプト、ヒッタイトという大国が勢力を後退させ、それに乗じてアラム人・フェニキア人・ヘブライ人(ユダヤ人)が活動を開始していた。
このうち、アラム人とフェニキア人はそれぞれシリアと地中海沿岸に多くの都市国家を建設していた。アラム文字は楔形文字に代わってオリエント世界の多くの文字の源流となり、フェニキア文字はアルファベットの起源となったということでも知られる。そして、彼らの宗教は多神教である。都市国家、文字、多神教‥‥おそらく、彼らの家族システムは直系家族だ。
一方、原初的核家族のユダヤ人には国家がなかった。しかし「海の民」の一派であるペリシテ人との争い等を通じ、ユダヤの人々は王が統率する国家の成立を待望するようになっていた。
その経緯は、旧約聖書の「サムエル記」(「王国の書」の別名もある)で扱われている。
預言者サムエルの下でヤハウェに忠実であった間、ペリシテ人は撃退され、再度イスラエルを侵すことはなかった。やがてサムエルは年を取り、その息子達を後継に任じたが、彼らは父と違って行いが悪く、およそ頼りにならなかった。
人々はサムエルに訴える。
「御覧下さい。あなたは既にお年を召され、あなたの息子達はあなたの歩まれた道を守りません。さあ、どうかわれわれを審(さば)く為、総ての異国の民と同じようにわれわれに一人の王を与えて下さい。」
『サムエル記』28頁
前々項で引用した「王の習慣(ならわし)」に関するサムエルの言葉は、この訴えに対する回答の中で述べられたものである。しかし、人々はそれを聞こうともせず、こういうのである。
「いや、われわれには王が必要です。私達もそうすれば他の総ての国民と同じようになるでしょう。王は私達を審き、先頭に立って出陣し、われわれの戦いを闘ってくれるでしょう」。
『サムエル記』29頁
エジプトやヒッタイトはもちろん、アラム人にもフェニキア人にもペリシテ人にも王があり国家があるのに、ユダヤの民にはそれがない。しかし、彼らだって人並みに、先頭に立って彼らを率いてくれる王が欲しかったのだ。
家族システムの中に権威を持たない彼らは、そのままでは国家を作れない。そこで、必要に駆られた人々は、その彼岸に、強大な神ヤハウェを頂く一神教を作り上げた。
天上の権威を地上の権威に代替することで、国家の建設を可能にしたのである。
と、このように考えると、かなり辻褄が合うように思われる。
例証② キリスト教
キリスト教については、1世紀以後ローマ帝国の版図内で勢いを増し、コンスタンティヌス帝の下での公認(313年)を経て、テオドシウス帝の下で国教とされるに至った(392年)、その「時期」に着目したい。
共和政末期から帝政の初期にかけて(前1世紀~)、ローマはガリア全土(現在のフランス、ベルギー)とブリタニア(イギリス)を征服、ヒスパニア(スペイン)を吸収し、西ヨーロッパ全体を版図に収め、北アフリカとエジプトも支配下に置いた。
ローマ帝国は絶頂期を迎えたわけだが、西と南に向かう版図の拡大は、水面下で、というか社会の最基層、家族システムの層において、後の解体につながる本質的な変化をもたらしていた。
トッド入門講座の方で扱ったが、当初は父系制で共同体的であったローマの家族システムは、「共和政末期から後期ローマ帝国に至る少なくとも6世紀に渡る期間」に一種の退行を見せ、おそらくは征服した核家族地域(西ヨーロッパとエジプト)の影響で、より核家族的なシステムに変化していったのである。
キリスト教が普及し、迫害、公認を経て、ローマ帝国の国教となって定着する期間(後1世紀~5世紀)は、ちょうどローマが西ヨーロッパを版図に収め、家族システムを退行させていく期間と一致する。
未分化の核家族であるユダヤ人の間で生まれたキリスト教が、この時期に帝国版図内の人々の心を掴んでいったのは、やはり未分化の核家族であった西ヨーロッパの人々にとっては、帝国という現実に順応するのに必要な(意識下の)「権威」を、その一神教が彼らに供給してくれたためかもしれない。
帝国中央部の人々にとっては、(家族システムの退行により)薄らいでいく権威を、その一神教が補充してくれるのが感じられたためかもしれない。
もちろん、それでも帝国の分裂を回避することはできず(395年)、西ローマ帝国の方はまもなく滅亡に至る(476年)。しかし、この地に根付いたキリスト教は、おそらく、多くは未分化の核家族であったゲルマン人に権威を貸し与えることで、その国家形成を促すことになるのである(次回扱う予定です)。
例証③ イスラム教
最後はイスラム教である。
唯一神アッラーへの信仰を説いたムハンマド(570頃-632)が、軍事的・宗教的指導者としてイスラム共同体を成立させ、アラビア半島の大半を支配するに至った頃、アラブ人の家族システムは(内婚制)共同体家族システムであった。
しかし、アラブ人が生粋の共同体家族の民であったかというと、決してそうではない。
メソポタミアから見れば辺境であるアラビア半島で遊牧生活を送っていた彼らは、中央部で共同体家族が確立してからも長い間、未分化の家族システムを保っていた。
彼らの共同体家族は、2-3世紀から5-6世紀の間に受容した、比較的新しいものなのだ(システムの新しさは一般にシステムの弱さを意味します)。
後に中東を席巻した内婚制共同体家族というシステムは、アラブ人が(外婚制)共同体家族を受容したとき、叔父方イトコとの結婚を理想とする「内婚制」を付け加えたことで生み出されたものである(比較的男女平等であったアラブ人が女性の地位を確保するために編み出した工夫ではないかというのがトッドの仮説である)。
元々のシステムから来る彼らのメンタリティは、硬質の共同体家族とはミスマッチであり、修正を加えなければ受け入れることができなかったのである。
国家形成に不向きな「システム以前」の状態にあったアラブ人に、たった数世紀の間に、統一国家、さらにはイスラム帝国を建設させるだけの軍事的・政治的統率力を与えたもの、その一つはもちろん共同体家族の伝播であるが、それを補強したのが一神教の受容ではなかったかと思われる。
ムハンマド以前、アラビア半島には国家も大都市もなかったが、アラブの人々は、隣接するササン朝ペルシアとビザンツ帝国から強い影響を受けていた。各地の有力者はササン朝皇帝の「総督」という称号を受けてそれぞれの地を抑え1(後藤明「巨大文明の継承者」『都市の文明イスラーム(新書 イスラームの世界史①)』講談社現代新書、1993年)57頁)、半島の外れ(シリアなど)にはビザンツ帝国の衛星国家的な小国もあったという2(小杉泰『イスラーム帝国のジハード』講談社学術文庫、2016年)27頁)。
おそらく、彼らは、ササン朝から共同体家族を受け取り、ビザンツ帝国から一神教を受け取った(キリスト教とユダヤ教は5世紀頃から浸透していた)3(後藤・47-48頁)。一神教の神の権威は、女性の地位の確保のために弱めざるを得なかった共同体家族の父の権威を補い、イスラム帝国の大攻勢を可能にしたのである。
おまけ 韓国のキリスト教
国家を成立させるために必要な権威を代替するのが一神教であると考えると、近代朝鮮(韓国)におけるキリスト教定着の基盤も理解できるような気がする。
朝鮮半島は直系家族が中心と考えられ、もともと国家形成がまったく不得意というわけではない。しかし、共同体家族の帝国が隣接していた朝鮮半島で、直系家族が独立を維持していくことは容易ではなく、朝鮮の王朝はつねに中国の強い影響下にあった。
14世紀以来の朝鮮王朝(李氏朝鮮)は、中国の弱体化により後ろ盾を失い、日本に併合されて滅亡する。その日本もすぐに敗戦し、権力の空白が生まれる。
韓国でキリスト教が広がったのはまさにこの時期(19世紀末~)、誇り高い韓国の人々が国家の中心となるべき世俗の権威を失った時期である。
異国(日本ですが)の侵略下で、世俗の王に代わる寄る辺となって韓国社会を支えたもの、それが一神教の神であった、という仮説は、それなりに説得力があるような気がするが、いかがでしょうか。
今日のまとめ
- 国家は「正しさ」(=法)の裏付けとして権威を必要とする。
- 直系家族の権威を支えるのは、家々かつ代々の祖先たちを思わせる多神教の神々である。
- 共同体家族の帝国では、王は神格化され、多神教の神々が最高神に服する形で王の強大な権威を支える。
- 確固たる権威を備えた社会は、世俗の権威を凌駕するような強大な一神教の神を生み出すことはない。
- 権威を欠く原初的核家族が国家形成の必要に迫られたとき、地上の権威の代替として生み出すのが一神教の神である。
- 1(後藤明「巨大文明の継承者」『都市の文明イスラーム(新書 イスラームの世界史①)』講談社現代新書、1993年)57頁)
- 2(小杉泰『イスラーム帝国のジハード』講談社学術文庫、2016年)27頁)
- 3(後藤・47-48頁)
「国家の誕生」は突然に
人類にとって、「人間らしさ」の獲得(約7万年前)に次ぐ大事件は、国家の誕生(紀元前3300年頃)だと思われる。
「社会」はおそらく7万年前から存在していた。農業も紀元前12000年頃には始まっていたとされる。人々は、互いに協力して、狩猟や採集、農耕によって食糧を確保し、子供を育て、外敵から身を守り、老いた者の面倒をみていた。踊りを踊って親睦を深めたり、何か決める必要があるときには話し合いもしただろう。
しかしその何万年かの間に国家が生まれていた形跡はない。つまり、この世界にまだ王はなく、法も、軍隊も、官僚も、宗教も、歴史も存在しなかった。
「人間らしさ」の獲得と同様に、国家の誕生も、漸進的な過程とは違う。人類が少しずつ進歩して法、軍隊、官僚、宗教、歴史を育んだ、というのではなくて、紀元前3300年前後、人類史の時間的尺度からすれば「一瞬」と言って差し支えないある時期に、その全てが同時に生まれたのである。
いったい、何が起きたのだろうか。
国家を生んだのは仲間内の争い
きっかけとなったのは、一つの単純な事実。人口の集中である。
メソポタミアでは、気候の乾燥が河川沿いへの移住をもたらしたらしいが、ともかく、大勢の人が一定の領域内に定住するようになり、土地が不足したのだ。
土地の不足は土地をめぐる争いを生む。
誰の間で?
社会契約説だと、人々は万人の万人に対する闘争状態(ホッブズ)を回避するために自由を差し出す。万人と万人はどっちも、無色透明の一個の個人であることが想定されている。
しかし、土地をめぐる争いが国家の誕生につながったのは、その争いが「万人の万人に対する争い」というよりも、味方同士、もっといえば、身内同士の争いだったからなのである。
国家以前の社会
国家形成以前の7万年の間、人類がどんな社会で暮らしていたかは、大体見当がついている。
夫婦二人と子供の核家族が基本単位。この家族がいくつか集まって、ともに移動し、狩猟や採集や移動農耕を行う一つのグループを形成している(血縁があることが多い)。
出入りは自由、regroupあり、上下関係もない横のつながりだが、原則としてこのグループの範囲では結婚しない(「バンド(band)」とか「小村(hamlet)とかいうが、以下「バンド」で統一)。
その外側にはさらに一定の領域内に暮らす1000人くらいのコミュニティがある。これも横のつながりで、上下関係はない。親戚ではないが、地縁に基づく仲間という感じのつながりで、人々は通常この範囲の中で結婚相手を探すことになる。
彼らが帰属する社会はここまで。この外の人間たちは基本「よそ者」であり、潜在的な敵である。
*なお、国家形成以前の階層化が進んでいない社会でも、すべての人間が平等の個人として観念されるということは決してなく、集団単位で、仲間とそれ以外、味方と敵というくくりを持っていたという。Todd, Lineages of Modernity, pp75-77. 本文の記載もこの本の63頁以下を主に参照。
こういう社会で、法律とか国王とかが必要かといえば、必要ではないだろう。
バンドやコミュニティの絆はゆるいから、内部での深刻な争いは起きにくい。バンド内で揉めたら一方が出ていって、どこか他のバンドに入れてもらえばいい。コミュニティの中に居場所がないという事態はおそらく(ゆるいので)生じないし、どうしてものときは出ていけばいい。
外部の人間との争いは実力勝負だ。
敵を裁くのに法はいらない。
負けた方が滅び、または撤退するのみ。
プレ国家状況
人口集中による土地の不足は、こうした状況を大きく変えた。
同じコミュニティとりわけバンド内というもっとも近しい身内の間で、のっぴきならない争いが頻発するようになったのだ。
農耕社会における土地の不足。それは、親は土地を持っていても、その子供たちが新たに開墾する土地は残っていないということを意味する。
今までは、子供たちは成人したら家を出て、新たに開墾した土地で新たな世帯を営めばよかったのだが、それができなくなるのである。
一家は、親の土地を子供に伝えることを考えるようになる。最初はきょうだいに分け与えることができても、それを続ければ土地は狭小になる。農業効率の低下を避けるには、分割せずに継承させることが不可欠だ。
さあ、誰に継がせるか。
というところで、争いが起きる。それも、一軒や二軒の話ではない。地域一帯のすべての家で同様の争いが起き、バンド内の誰は誰の味方に、誰は誰の味方になったりして何かややこしいことになり、戦争だって起きかねない(というか起きる)。
国家とは、どうやら、こういうときに発生するものらしい。
家族システムの誕生
世界史の教科書には、メソポタミアで都市国家が成立した頃に、文字が生まれ、王、官僚、軍隊、宗教、法が生まれたことが書かれている。
*最古の法典として知られるウルナンム法典は紀元前2000年前後の編纂とされるが、「法典」はそれ以前に通用していた法を整理してまとめたものだから、法そのものはそれよりずっと古いと考えられる。
しかし、国王、官僚制度、軍隊、宗教、法制度、そのすべてを成り立たせるのに不可欠な「権威」は、どこから調達されたのだろうか。
都市国家は誕生するとすぐに都市国家同士で戦争を始めるものだが(これはシュメールでも中国でも日本でも同じ)、都市国家の成立そのものは軍事的征服の結果ではない。軍事力以外のいったい何が、最初の王の誕生を可能にしたのか。
世界史の教科書には書かれていないが、答えは分かっている。
家族の体系化である。
人口の集中により土地が不足すると、親の土地を誰か一人の子供に受け継ぐという仕組みが開発される。これによって生まれる世代間の絆が、システム形成の基礎になる。
最初はルールが曖昧で、親が死んだらまずは親の兄弟に譲り、兄弟が死ぬと子供の世代に、とかってやるんだけど(Z型継承という)、それをやっていると相続争いは止まらない(日本だと南北朝の動乱とか応仁の乱とかって完全にこれだと思う)。
よし、それなら長男に継がせると決めてしまおう。
これで長子相続制が完成だ。
長子相続制(=直系家族)の完成によって、親子をつなぐ縦の絆は、家系をつなぐ一本の線となり、親から子(長子)、子から孫(長子)へと連綿と受け継がれることになる。社会の中に、確固たる縦型の権威の軸が据えられるのである。
直系家族契約による構造化
ここまでくれば、国家はできたも同然だ。
「親の権威を認め、親の権威が長子に受け継がれることを認め、家の繁栄と永続のために結束する」という社会契約が結ばれたことで、ゆるやかな横のつながりでしかなかったバンド、コミュニティの人間関係は、一気に縦型に構造化される。
共通の祖先をいただくコミュニティ内の「家長」が王となり、兄弟の序列に擬えて家と家の関係性が定まり、官僚機構が形成される。
国家以前(家族システム以前)の世界では、争いの解決は実力によるしかないのだが、権威が生まれたことで、法に基づく解決が可能になる。前述の契約に基づき、権威者の裁定に従い、権威者の定めるルールに従うことが、人々の義務となる。
と、まあこんな感じで、最初の国家は生まれたと考えられる。
人類最初の国家を生んだ社会契約は万人の万人に対する闘争状態を回避するために自由を差し出すというような契約ではなく、最初の国家は激しい闘争を勝ち抜いた者が人民を征服することで生まれたのでもない。
農耕社会における土地の不足という非常に具体的な条件の下で、土地の細分化および土地をめぐる争いを回避し、家系の維持(≒人類の生存)を確実にするために、人々は「親の権威を認め、親の権威が長子に受け継がれることを認め、家の繁栄と永続に協力する」という契約を結んだ。
この契約によって地球上に初めて発生した「権威」。これこそが、王、官僚制度、軍隊組織、宗教制度、法制度のすべてを成り立たせ、国家の成立を可能にしたのである。
今日のまとめ
- 自然状態において人類はグループに分かれ、仲間とそれ以外、味方と(潜在的)敵を区別している。
- 農耕社会における土地の不足で仲間内での争いが避けられなくなったとき、家族システムの最初の進化が起こり、同時に国家が発生する。
- 最初の社会契約は「親の権威に従い、親の権威が長子に受け継がれることを認め、家の繁栄と永続のために結束する」という直系家族契約だった。
- 直系家族の親の権威が、国家の成立に不可欠な権威を提供した。
目次
人類は「なぜ?」を問う
「平和が大事と分かっているのに、なぜ戦争を止められないのか。」
「なぜあの人がこんな風に死ななければならなかったのか。」
「なぜ私はこんな酷い目に遭わなければならないのか。」
「政治はなぜ何もしてくれないのか。」・・
「なぜ」で始まるこんな疑問を、皆さんは持ったことがありますか。
私はあります。
というか、社会に関心があって、大学の先生になったくらいなので、以前はいつも「なぜこうなのか」「どうしたらよくなるのか」と考えていました。
でも、いまは、世の中で起きるどんなことについても、「なぜ」と考えることはなくなりました。
なぜかって?(笑)
「なぜ」と考えて、答えを見つけても、社会の「問題」が解消されることはない。「なぜ」と考えても、とりたてて世の中がよくなることはないと気づいたからです。
「なぜA」と「なぜB」
皆さんは、自然現象について「なぜ」と考えることがあると思います。
ゲリラ豪雨にあって驚いたら「なぜ?」と考え、インターネットで検索して、仕組みを調べるかもしれません。地震とか火山について調べたことがある人もいるでしょう。
同じ「なぜ?」でも、世の中に関する「なぜ?」と、自然現象に関する「なぜ?」は、意味が違うことが多いと思います。
世の中に関して「なぜ?」を問うとき、私たちが知りたいのは「誰が悪いのか」「どこに間違いがあったのか」です。目的は、「誰か」を断罪し「何か」を改善することで、その現象をなくすこと。「二度と起こしてはならない」とよく言われます。
こちらの「なぜ?」を「なぜA」と呼びましょう。
一方、自然現象について「なぜ?」と問うとき、私たちが知りたいと思っているのは、事実です。どのような仕組みで何が起こっているのか知った上で、被害を小さくする方法を考えたり、予知の方法を考えたりする人もいるでしょう。しかし、「火山が二度と噴火しないように」と考え、「地震をなくす方法」を問うているわけではない。
こちらの「なぜ?」は「なぜB」と呼びます。
私たちはなぜ、自然現象に対しては「なぜA」ではなく「なぜB」を問うのでしょうか(この文の「なぜ」はAとBのどちらでしょう)。
それは、私たち人間には自然を思い通りに操作する力がないということを分かっているからだと思います。
「私たちにできることは、事実を知って、対処方法を工夫することだけである。」
その認識が、私たちを「なぜA」ではなく「B」に向かわせるのです。
* * *
なので、神様だったら違うかもしれません。
この世界を創造した神様が、自然界が設計通りに動いていないことに気づいたとします。
「キーッ」と怒った神様は、「なぜこうなの?」(「A」です)と考えて、解決策を試してみるでしょう。
私だったら、そうですね。
鍋でおでんを煮ているときに、味見をして、おいしくなかったら、こうします。
「おいしくない!」と怒った私は、「なぜ?」(「A」です)と考え、しょうゆを足したり、みりんを足したり、火から下ろして、味がしみるのを待ったりするでしょう。
宇宙船の窓から眺める
今度は、適当な移住先を探して地球にやってきた宇宙人のつもりで、人間社会を観察してみて下さい。
過去から現在に至る人間社会の情報を収集し、人類のふるまいを興味深く眺めます。
人間にはいろいろな面があることが見えます。
人々の多くが、近隣の人に礼儀正しくふるまい、友人や家族と仲良く暮らす一方で、どの地域でも、たえず、殺人、事故、窃盗などが起こっている。努力してたくさんの富を生産する一方で、貧しくて住むところや食べるものにも事欠く人がいて、環境破壊も深刻になっている。
大きな災害が起これば、助け合って窮状を凌ぐ人たちがいる。
一方で、いつも、世界の何箇所かで、戦争や集団同士の殺し合いが発生しているのも目につくでしょう。
殺人、戦争、貧困、差別、環境破壊。そういうものが、宇宙人である彼らにとってマイナスの価値を持つものであったとしても、おそらく、彼らは「なぜA」を問うことはないと思います。
私たちが歴史として認識している約6000年の人類の歴史の中に、殺人や窃盗、死亡事故が起こらない日は1日もなく、戦争や大規模な虐殺が発生しなかった世紀もありません。
そのデータを見れば、それらの事象が「なぜA」の対象でないことは明らかです。
彼らは「なるほど、人間とはそのような生物なのだな」と理解し、「なぜB」とともに人間社会の調査研究を続け、共存の可能性を探るでしょう。
宇宙人は人類を軽蔑するか
一つ、考えていただきたいことがあります。
宇宙人の人たちは、人間がしばしば殺し合う生き物であることを、「地球における人類の生態に関する報告書」に明記するでしょう。
皆さんの中には、それを「恥ずかしい」と思う人がいるかもしれません。しかし「しばしば殺し合う」という事実を知ったことで、彼らは人類を軽蔑するでしょうか。
そうはならないんじゃないか、と私は思います。
人類が自然に対して敬意を抱き、動植物の営みに関心を抱くのと同様に、彼らも自然の一部である人類の営みに対して、大いなる関心と敬意を同時に抱くはずです。
戦争や殺戮は痛ましい。しかし、だからこそ、そのような仕組みを組み込んだ人類のシステムに、いっそう関心を抱くでしょう。
彼らは「なぜA」を問うて人間を断罪する代わりに、「なぜB」によってその仕組みを知ろうとします。彼らは、すべての人間の存在を認め、そのあり方を肯定し、その上で、共存の方法を探るのです。
なぜそんなことが分かるかって?
それは、あるときから、私の脳は、この宇宙人の脳になってしまったからです。
乗っ取られた?
人類は夢を見ている
私たちは、世の中の「問題」に接すると、つい「なぜA」を問うてしまいます。
「なぜ?」と言いながら、非難する相手を探し、修正するべき過ちを探そうとする。
それは、私たちが、自然をコントロールすることはできなくても、社会は思い通りに変えられると信じているからだと思います。
人間には知性があり、自由意思がある。
よく学び、正しい心で努力をすれば、この世を天国(争いがなく、飢餓がなく、病がなく、不慮の事故で人が死なない世界)に近づけることができるはずである。
文明誕生以来の人類の夢だと思いますが、近代になって拍車がかかりました。
もちろん、それは事実ではありません。世の中はおでんの鍋ではなく、私たちは神ではない。人間も、人間の社会もまた自然界の一部、神の被造物であり、人間が「こうしよう」と思えばこうなり、「ああするべきだ」といえばああなる。そのようなものではないからです。
それでも、多くの人は「なぜA」を問うことをやめない。
それは、「なぜA」をやめることは「あきらめる」ことだと考えられているからではないかと思います。
せっかく人間として、知性と自由意思をもって生まれたのだから、この世界をよりよい場所にするという夢をあきらめたくない。
あきらめたらそれで終わりではないか。
その気持ちは分かります。
でも、現実と地続きではない夢と心中するなんて、さすがにバカらしくはないですか。
知性と自由意思の使い方
ということで、「あきらめる」のとは違う、知性と自由意思の新しい(?)使い方を提案させていただきます。
宇宙人方式。
そうです、さっき出てきた宇宙人と同じやり方で、知性と自由意思を使うのです。
「なぜA」を問うて「悪」を指弾する代わりに、ひたすら観察をする。すべての人間や集団や価値観の存在を認め、その在り方を否定せず、共存の方法を探る。そういう構えを取るのです。
*なんか抽象的だなと思う方は、「悪」の箇所に、何でもよいので、文句がある対象物を入れてみて下さい。「ロシア」「アメリカ」「日本」「自民党」「立憲民主党」「統一教会」「テロリスト」「バカ」「差別主義者」 「感染症専門家」「反ワクチン」「マスコミ」「政治家」「資本主義」「職場」「学校」「家族」「自分の生育環境」‥‥ もちろん「○○」(特定の人名)でも「自分」でもOKです。
それでは世の中はよくならない。そうお思いですか?
私は、争い、事故、病、差別、そういったものがなくなることはないと思いますが、なるべく多くの人が冷静に対処することで、被害を軽減することはできると思います。
「夢見る人類方式」と宇宙人方式。どちらが「冷静な対処」に役立つかは、いうまでもありません。
「夢見る人類方式」の主な道具である「なぜA」は、ぶっちゃけ、「誰かが悪い」「何かのせいだ」、裏を返すと「それを排除すれば正義に近づける」という魔法の処方箋を引き出すための問いです。
戦争が起き、犯罪が起き、病が流行り、差別が発生したときに、「なぜA」を問うことは、憎悪と不安を増幅させ、社会の混乱を深めることにしかならない。責任を転嫁させ、対策を取り逃がすことにしかならない。実際、そうやって、社会は混迷を深めているのではないでしょうか。
* * *
もう一つ、宇宙人方式をお勧めする理由があります。
しょっちゅう「なぜA」が浮かんできてしまうようなことを、地道に「なぜB」に置き換えながら、観察と探究を続けてみて下さい。
そうすると、時間はかかっても、いつか必ず、「あ、そうなのか」という時が来ます。「なるほど、そういう仕組みなのか‥」と。
そこまで来たら、あなたの勝ち(?)なのです。
他人を変えようとしても変えられないし、社会を変えようとしても変えられない。自分だって、そうそう思い通りにはなりません。
しかし、「それ」が何なのかが分かり、自分なりに納得できれば、自分の行動に迷いはなくなります。
夢の中で理想を語り続ける代わりに、文句を言って手綱を「世の中」に預けてしまう代わりに、「分かった。じゃあ、自分はこうしよう」と、行動することができるのです。
何度も繰り返しますが、人類の社会から、戦争がなくなることも、殺人がなくなることも、病がなくなることも、同調圧力がなくなることも、あなたにとって理不尽に思える様々な事象がなくなることもありません。
しかし、「宇宙人の目」で生きてさえいれば、どんな状況も、私たちが自分の人生を生きる妨げにはならない。
怒りに震えることも、恐怖や憎しみ、漠然とした不安に囚われることもなく、驚きと知的興味に開かれた科学者の目で真っ直ぐに世界を捉え、自分がやるべきことを、自分で決めていくことができる。
社会に対して「宇宙人の目」を持つと、人生は圧倒的に自由になります。
そうやって生きる人の数が増えていけば、世の中はそれに合わせて、勝手に変化していくことでしょう。
その先には、もしかしたら、世界を漂う恐怖や憎悪、不安の総量が減って、争いが最小限に抑えられた世界がくるかもしれない。そうも思います。
* * *
いかがでしょうか。
私が大望を抱いていることは認めます。でも「人間が神のように賢くなってこの世を天国に変える」という夢よりは、ずっと現実的だと思うんですけど‥
目次
自然界に善悪はない
写真は夾竹桃(キョウチクトウ)。
私は広島に来るまで見たことも聞いたこともなかったが、広島ではどこにでも生えている。
「広島市の花」なのだ。
東京で見かけなかったのは、毒性が強いせいかもしれない。枝を串焼きの串に使っただけで死亡した事例があるほどで、wikipediaによると
花、葉、枝、根、果実すべての部分と、周辺の土壌にも毒性がある。生木を燃やした煙も有毒であり、毒成分は強心配糖体のオレアンドリンなど(#薬用も参照)。腐葉土にしても1年間は毒性が残るため、腐葉土にする際にも注意を要する。‥‥
なぜそれほど毒性の強いものが「広島市の花」なのか。
市のウェブサイトにはこうある。
原爆により75年間草木も生えないといわれた焦土にいち早く咲いた花で、当時復興に懸命の努力をしていた市民に希望と力を与えてくれました。
放射能汚染にも負けずに咲き誇るその強さと、毒性の高さは関係があるのだろう。自然界には善も悪もないということを思い出させてくれるよい話だと思う。
人間が作った「正しさ」
そう、自然界には善も悪もない。人間社会も自然界の一部なのであるから、やはり、善も悪もないはずである。それなのに、善と悪があり、正義と不正義があるような気がする理由は簡単で、人間がそれを作っているからである。
「正しさ」は、約7万年前に生まれた(多分)。人間が「社会」の中で生きるようになったとき、その社会を統制するために「正しさ」を作ったのだ。
「正しさ」を作ったといえばいかにも不遜な感じだが、カタツムリは殻がなければ生きられないのと同じで1本当にそうかと思って調べてみた。wikipediaにはこうある。「殻と体は別物ではなく、殻は体の器官の一つであり、中に内臓がある。よって、カタツムリが殻から出たらナメクジになるということはなく、殻が大きく破損したり、無理に取ったりした場合には死んでしまう。他の巻貝も同じである。」人間は社会を作らなければ生きられない。人間がそのような生物として存在している以上、社会に奉仕する「正しさ」にも存在意義はあり、それをほどほどに使って社会を整えることは、自然界の法則を侵すことではないだろう。
とはいえ「正しさ」が人間が(脳内で)作り出した便宜であることは、よくよく認識する必要がある。
もし宇宙に「正しさ」というものがあるとすれば、それを司るものは神である。
人間が、架空の「正しさ」を信じ、自ら神であるようにふるまえば、人間は宇宙(自然界)にとって有害な存在となり、やがて淘汰されていくだろう。
学問と「正しさ」
近代以前の世界で「正しさ」を作る最大の権威は宗教であり伝統であったが、近代以降は「学問」がそれを担うようになった。
学問が用いる手法は、近代以前の宗教と比べると、科学的であったり、(議論を重視するという意味で)民主的であったりする。しかし、「正しさを作る」という機能においては、宗教と一ミリも違わない。一ミリもだ。
「いや、少なくとも自然科学は、真実を探究しているのであって、「正しさを作る」などということはしていない」という方がいるだろう(いてほしい)。
半分賛成、半分反対である。
真実というものはある。生物のこれこれの形質がゲノムによって決まっているとか、ゲノム配列がこれこれだとかいうことは真実に属することであろうし、その他自然科学が扱っているほとんどの物事は、真実か真実でないかを問うているといえる。
しかし、自然科学は、それで満足するだろうか。
自然に関する真実の解明は、ほとんどの場合、技術開発につながっており、社会を「よく」したり、疾患や自然災害に「よりよく」対処するために用いられる。
もっとも顕著な例の一つは医学である。
医学は病気を治したり防いだり苦痛を緩和したりするための学問で、医学研究で得られた知見はすべてその目的のために役立てられることになっている。
そこにある「正しさ」は強烈である。「病は治るべきである」「病は防ぐべきである」、もっというと、「人は死ぬべきではない」。このような「正しさ」に仕える立場にあって、純粋に真実を探究するのは、ほぼ不可能だと私は思う。
自然科学は、科学的手法による真実の探究を手段として用いることで、真実とは別種の「正しさ」を作っている。「正しさ」への関与は人文科学に決して劣らないし、影響力の大きさ、そしてしばしばその自覚が皆無である点で、「正しさ構築度」はいっそう高いといえる。
・・・
私が研究者になったのは、自分がどんな世界に暮らしているのかを知りたかったからだと思う。そういう漠然とした気持ちだけがあって、何学部に入ったらいいのかとか、何を研究したらいいのかとかは全然分からなかったが、とりあえず大学に入り、研究者になった。
「世界とは何か(どんなところか)」というのは、真実を問う問いである。いろいろな切り口がありそうだし、みんなが納得する一義的な答えは決してでないであろうが、観察と吟味の積み重ねで、真実に近づくことはできる。そういう問いである。
私は学問とは「世界とは何か」という問いに取り組むことだと信じており、どの学問分野も最終的にはその問いに取り組んでいるのだと思っていた。
実際はそうじゃない、ということは入ってみて分かった。
学問の基本的な仕事は、それぞれの領域に関する「正しさ」を作り、それを責任を持って社会に提供することである。
より質の高い「正しさ」、より(人間の)役に立つ「正しさ」を目指す過程では、真実に触れ、目を瞬かせる瞬間があると思う。しかし、それは、大学に所属する研究者の本業ではない。職務に忠実な彼はすぐに我に返り、何事もなかったように、世間が求める仕事に戻るはずである。
一流の研究者とは
研究者がそのような仕事に従事する場合、人間界の「正しさ」がごく限られた意味しか持たないことを自然に理解していることが理想といえる。
社会内存在である前に宇宙内存在として生き、抑制的に「正しさ」に関わることができる人なら、その行動の全体で、「正しさ」を透過した向こう側の真実を表現できるに違いない。
自然科学の研究者であれば、この点は、一流の学者と二流以下の学者を分ける分水嶺として何となく認められているのではないかと思う。
その人柄を透かしてみたときに、学界しか見えてこない人は三流、人間の社会までしか見えてこない人もせいぜい二流、宇宙が透けて見える人が一流だ。
人間社会に対して真に透徹した目線を向ける人が、社会科学ではなく、自然科学の中からときどき出てくるように思えるのは、きちんと宇宙の中に立っている人が自然科学者には一定数いるからなのだろう。
アカデミアには難しい
人間が、架空の「正しさ」を信じ、自ら神であるようにふるまえば、人間は宇宙(自然界)にとって有害な存在となり、やがて淘汰されていくだろう。
「やがて」と書いたが、人間はもう長い間、その架空の世界で生きており、「正しさ」と真実の乖離は甚だしくなっているように思える。
宇宙(自然界)の観点から見たとき、学問に開かれている大いなる可能性は、宇宙の側に軸足を移し、人間が長年かけて作ってきた「正しさ」を解きほぐす作業に正面から取り組むことだろう。
その学問は、宗教とも旧学問とも異なり、人間を人間が思う災厄から救い出すことを約束するものではなく、人間社会における成功を約束するものでもない。人間に、人間自身を含むこの宇宙と折り合いをつけて、品よく生きる方法を教えるものとなるだろう。
しかし、そのような学問を、現在の学問制度の中で営むことができるかといえば、それは多分難しい。
近代以降の学問は、「より多くを知り(=より多くの「正しさ」を作出し)、自由で民主的で豊かな社会を構築する」という、識字化した人類が抱いた大いなる夢を体現する存在であり、この夢があってこそ、現在のアカデミアの隆盛(肥大ともいう)がある。
アカデミアが自ら率先して宇宙の側に立ち、自らが構築してきた「正しさ」を解体すること、それは例えていえば、18世紀、科学革命の衝撃に見まわれた宗教界が、自ら率先して神の不在を証明する作業に乗り出すようなものといえる。
アカデミアという権威がなくなること、そしてアカデミアが担ってきた「正しさ」の不在が露になることは、「大いなる夢」を内面化するアカデミアにとってだけでなく、虚構の「正しさ」に拠って立つ社会にとっても大変不都合なことである。
「社会の負託を受けて」学問をするアカデミアに、「自ら率先して正しさの不在を証明する」仕事を期待するのは現実的ではないだろう。
幸い(?)、アカデミアは真実を追究する存在であるという誤解が容易に解けることもないだろうし。
独自研究とは何か
そういうわけで、お勧めするのが、独自研究である。
独自研究とは何か。wikipediaに定義がある(一部抜粋)。
独自研究 (original research) とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語です。ここに含まれるのは、未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈などです。
なお、wikiによる「信頼できる媒体」の説明は、つぎのようなものである(一部抜粋)。
一般的に、最も信頼できる資料は、査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌です。常識的な判断として、事実の確認、法的問題の確認、文章の推敲などに多くの人が関わっていればいるほど、公表された内容は信頼できます。
Wikipediaが独自研究を排除するのは合理的である。現在の学術制度において信頼性を担保されている情報を提供するのが百科事典の役割だから。
しかし、もし、研究者が、現在の学術制度において評価されることを目指して研究を行い、査読者が歓迎し、主流の新聞や著名な出版社が喜んで出版しそうな研究を行うことを自らの使命としたらどうだろう。
学問は、既存の「正しさ」をなぞり、架空の城をいっそう煌びやかに飾り立てるだけの存在となるだろう。
「もし」と書いてはみたが、これは現実である。研究は行う前から評価が入り、査読論文の本数は研究者としての評価に大きな影響を与える。ほとんどの大学は、現在の学術制度で評価されることが確実な研究を行い、着実に成果を上げ続ける研究者を、理想と考えているだろう。
これを、学問が堕落した結果だと思う人がいるだろうが、そうではないと私は思う。制度としての学問は、最初から、「正しさ」を要求する人間社会に向けて「正しさ」を提供する仕組みとして存在し、その役割を果たし続けているだけなのだ。
大量に生産された「正しさ」のせいで、いっそう真実に近づき難くなっているということはあるにせよ。
再びそういうわけで、独自研究である。
変な言葉だ。
発表前の段階ではすべての研究はoriginalであるはずなのだから(wikiの定義でもそうなる)。
しかし、学問という制度の中では、通常行われる研究はoriginalではない。そのことを示すために、この言葉を選んでいる。
研究としてモノになりそうか、学術コミュニティが認めてくれそうか、先生が評価してくれそうか。世の中に受けそうか、これで食べていけそうか。
そういった社会内計算と無関係のところで、自分の興味だけを頼りに謎に取り組む。
制度としての学問が大いに発達した現代だからこそ、このようなやり方でなければ、真実に近づくことができなくなっている。
「逆説」といいたくなるけど、おそらくそうではない。
単純に、学問とは本来そういうものなのだ。
これは「学問のすすめ」ではありません
念のために言っておくと、人間界の「正しさ」を透過し、真実に近づくために、学問が必要だというわけでは決してない。
「正しさ」に真っ先に(進んで?)騙されるものは知性であり、中途半端な学問は、大抵の場合は「逆効果」となるはずである。
しかし、研究者マインドをもって生まれてきた人間にとって、今ほど面白い状況はなかなかないし、これほどやりがいのある研究課題はないだろう。
何しろ、学問が長年かけて積み重ねてきた「正しさ」が作り物であったことが半ば露わになり、真実がうっすら透けて見えてきているのだから。
架空の世界に住み続けて「正しさ」を練り上げ、世を嘆いて(そうなりますよね?)生きていくのか、それとも、敢然と「正しさ」を解きほぐし、宇宙(自然界)の側に主軸を置いて、真実を見据えて生きていくのか。
どちらが楽しいかははっきりしていると思う。
以上、世間で言われていることや、学問が教えることに違和感を持ち、「本当のことを知る方法はないのかなー」と思っている人に届いたらいいと思って、書きました。
- 1本当にそうかと思って調べてみた。wikipediaにはこうある。「殻と体は別物ではなく、殻は体の器官の一つであり、中に内臓がある。よって、カタツムリが殻から出たらナメクジになるということはなく、殻が大きく破損したり、無理に取ったりした場合には死んでしまう。他の巻貝も同じである。」
以下は、Ted Snider, Why Russia Went to War Now, April 26. 2022, Antiwar.com の雑な翻訳です。
取材と信頼に足る情報に依拠してコンパクトにまとめられた労作です。
ロシアとウクライナの戦争については、この記事やこの記事で背景事情に関する調査結果を書きましたが、戦争に至る過程におけるウクライナの動きなどをもうちょっと具体的に知りたいと思っていたところ、この記事に行き当たりました。
ウクライナ、アメリカ、ロシアがどう動いたかがよく分かります。
ご関心の方はぜひご一読ください。
* * *
2019年4月、ウォロディミル・ゼレンスキーは、決選投票で73%の票を獲得して大統領に選出された。選挙公約はロシアとの平和的関係の構築とミンスク合意への署名だった。ミンスク合意は、アメリカが支援した2014年の政変〔ユーロマイダン革命〕の後、住民投票で独立派が勝利したドネツク州とルガンスク州(ドンバス)の2州に自治権を約束するものだった。
しかし、平和構築のための重大な責務を引き受けたにもかかわらず、ゼレンスキーはロシアとの外交交渉路線を放棄せざるを得なかった。「もしプーチンとの交渉路線を続けるなら‥‥〔殺す〕」と極右勢力から脅迫を受けたためである(以上は、Stephen Cohen教授(Professor Emeritus of Politics and director of Russian Studies at Princeton)の2019年の発言による)。極右勢力は僅かな支持にかかわらず多大な権力を振るっていた。こうした圧力の下、ゼレンスキーは、「ナショナリストに挫折を強いられた」のだと、Richard Sakwa教授(Professor of Russian and European Politics at Kent)は筆者に語った。選挙公約に反し、ゼレンスキーは、ドンバスの州知事たちとの交渉およびミンスク合意の履行を拒否した。
ゼレンスキーが〔極右の脅迫にもかかわらず〕選挙公約の路線を維持するためにはアメリカからの支持が不可欠であったが、アメリカは彼を公約路線に押し戻すための助力を一切提供せず、平和路線からの離反を決定づけた。Sakwa教授によれば、「ミンスク合意に関して言えば、アメリカもEUも、キエフ〔ウクライナ政府〕に対して合意の履行を真剣に働きかけることはなかった」。Anatol Lieven(senior research fellow on Russia and Europe at the Quency Institute for Responsible Statecraft)も「彼らは、ウクライナに合意を履行させる努力を一切行わなかった」と述べている。
ミンスク合意に描かれた外交的道筋からの離反を余儀なくされ、復帰のための助力も圧力も得られなかったゼレンスキーは、極右勢力に屈し、選挙公約と正反対に、クリミアの奪還・再統合を目指し、そのためには武力行使も辞さないとするクリミア・プラットフォーム(Crimea Platform)を樹立する法令を制定した。第一回のクリミア・プラットフォームサミット会合には、全てのNATO加盟国が参加した。
ゼレンスキーはロシアとの戦争の用意があると威嚇し、Sakwa教授によれば、ウクライナは10万の兵力とドローンミサイルをドンバスに接する東の国境沿いに集めた。これは、2022年にロシアがドンバスに接する西側国境沿いの兵力増強を行う前のことである。モスクワはこれを、ウクライナが7年来の内戦をエスカレートさせ、ロシア系住民が多数を占めるドンバス地域を大規模に侵略することを知らせる「真の警鐘」と受け取った。
ちょうどこの頃、2022年2月、ウクライナによるドンバス地域への砲撃回数が劇的に増加し、警鐘はさらに高まった(砲撃の増加はOSCE(欧州安全保障協力機構)の国境監視ミッションによって確認されている)。Sakwa教授は、停戦合意違反のほとんどはウクライナのドンバス側での爆撃によるものだと筆者に語った。国連のデータによると、民間人を犠牲者とする被害の81.4%は、「自称「共和国」」(”self-proclaimed ’republics’” 〔ドネツクとルガンスクのこと〕)で起きていた。ロシアはウクライナが予告していた軍事作戦が開始されたと考えた。
ゼレンスキーはドンバスの州知事たちとの協議に応じず、ミンスク合意は死に体となった。ロシアはドンバス地域のロシア系住民に対する軍事行動を恐れた。同じ頃、ワシントンはウクライナを武器で溢れさせることを約束する武器供給網となり、かつ、NATOへの扉を開いた。どちらもプーチンが超えてはならない一線であることを明確にしていた行為である。
この戦争の1年前、アメリカはウクライナに4億円の防衛援助を行なっていた。バイデンは「新たな戦略的防衛フレームワーク」に言及、「防衛援助」に、新たに初のleathal weapons(核兵器?)を含む6000万円分のパッケージを追加することを約束した。
ウクライナをleathal weaponsを含む武器で溢れさせる一方、アメリカとNATOは、ウクライナのNATO不加盟を約束することを拒んだ。バイデンとの会合の席で、ゼレンスキーはまたしても「バイデン大統領と、この席で、ウクライナのNATO加盟のチャンスとそのスケジュールに関する大統領及び合衆国政府のヴィジョンについて議論したい」と述べた。バイデンはあからさまな間接表現で「ウクライナのヨーロッパ―北大西洋願望への支持」を表明し、アメリカのウクライナへの支持は「完全にヨーロッパと一体の動きとなる」と述べた。2021年10月、アメリカ合衆国国防長官ロイド・オースティンは再びウクライナに対する「NATOの扉は開いていると強調」した。
11月、アメリカは、ウクライナのNATO加盟に必要な〔防衛力〕刷新の援助のためのUS-ウクライナ戦略的パートナーシップ憲章に署名した。当該文書には、アメリカとウクライナは2008年のブカレストサミット宣言を指針とする旨の記載がある。2008年のブカレストにおいて、アメリカとNATOはウクライナがいずれNATOのメンバーになることを保証した。「NATOはウクライナおよびグルジアのNATO加盟に向けたヨーロッパ-北大西洋願望を歓迎する。われわれは今日、この両国が将来NATOのメンバーとなることに合意する。」
10年を優に超える期間を通じて、プーチンはNATOのウクライナへの拡大を超えてはならない一線として警告し続けてきた。今、ウクライナがドアを叩き、アメリカとNATOは勧誘の手を伸ばし続け、扉を閉めて施錠することを拒絶し続ける中、外交上の譲歩を余儀なくされたプーチンは、アメリカに相互防衛保証(mutual security guarantees)の提案を持ちかけ、直ちに交渉に応じるよう依頼した。
ワシントンは武器のコントロールに一定の柔軟性を示す一方で、「アメリカ合衆国は、ウクライナ領内における攻撃的地上発射ミサイルシステムおよび常設軍の配備の差し控えに関し、アメリカ合衆国とロシアの双方による条件ベースの互恵的で透明性のある手段および互恵的関与に関し、喜んで話し合う準備がある」と答えた。要するに、ウクライナのNATO加盟の可能性が開かれていることについては、議論の余地をキッパリと否定したのである。アメリカの反応は非妥協的で、「アメリカ合衆国はNATOの開放政策を固く支持する」という強固な立場を繰り返した。
ロシアは協議を持ちかけ、アメリカは応じようとしない。実際、アメリカに交渉に応じる意思は全くなかった。合衆国国務長官アントニー・ブリンケンの顧問であるDerek Cholletは最近NATOのウクライナへの拡大方針に関する交渉は一度も検討課題とならなかったことを認めた。
NATOのウクライナさらにはロシア国境への拡大という目の前の脅威に関するアメリカとの協議が実現する見込みはない。ウクライナは扉を叩き続け、アメリカは開放方針を堅持する。アメリカにとっては、ロシアとの交渉は検討課題ですらない。こうなれば協議は終了である。ウクライナはクリミアとドンバスを取り戻すと公言している。彼らは交渉を拒否しており、いまや国境に大量の兵力が集められた上、砲撃回数は恐ろしいほどに増加していた。ロシアはドンバス侵攻とロシア系住民に対する作戦が今すぐにも開始されることを恐れた。
ロシアがウクライナ侵略を決めた瞬間である。これらの事情は侵略を法的に正当化するものでも、倫理的に正当化するものでもない。しかし10年以上にわたる警告ののち、ロシアがなぜいま戦争を選んだのかの説明にはなるだろう。
これだけ知っておくといいかも
ウクライナ戦争
日本はアメリカの同盟国で、「西側」の一角です。
なので、「ロシアのプロパガンダ」には警戒するけど、「西側」のプロパガンダには弱い。「西側」に都合のよい情報以外はほとんど入ってきません。
でも、ロシアは日本のお隣の国で、これからも世界に存在し続けます。その人たちを排除して、仲間外れにして、言い分も聞かずに「制裁」して、平和なんて成り立つわけがないじゃん、と私は思います。
そう思って勉強し、私が理解した事実の中から、せめてこれだけ知っていれば、この戦争を公平に見ることができるのではないか。そう思える情報を、3点にまとめて、共有させていただきます。
①ウクライナ戦争は、ロシアとウクライナの戦争ではなく、ロシアとNATO(西側)の戦争です。
〔解説〕
・戦争に至るまでの交渉で、ロシアが要求していたのは、「NATOはウクライナを加盟させるな」の1点でした。交渉の相手がウクライナでなく、西側諸国の首脳であったのはそのためで、彼らが「ウクライナを加盟させない」といえば、戦争は防ぐことができました。しかし、西側は一切の譲歩を拒否し、ロシアの侵攻を招きました。
・西側は、この戦争を「ロシアのいわれのないウクライナ侵略」と位置付け、「被害者であるウクライナ側を支援する正義の味方」としてふるまっていますが、それは事実と違うと思います。この戦争の真の当事者は西側で、ちょっととげとげしい言い方をしますが、ウクライナはNATOの代わりにロシアと戦わされているのです。
・こうした事情を、ウクライナ国民の多くは理解していません。しかし、西側諸国はもちろん理解しているし、ゼレンスキーも(少なくともある程度は)理解していると思います。
②引き金を引いたのはロシアですが、ロシアに銃口を向け続けたのはNATO(西側)です。
〔解説〕
・共産圏封じ込めのために結成された軍事同盟であるNATOは、ソ連崩壊後も解散せず、「東方拡大」と呼ばれる拡大政策を続けました。東欧地域やバルト三国など、ロシアの周辺国をどんどん仲間に引き入れるNATOの動きは、ロシアから見れば、ソ連崩壊後も西側諸国(とくにアメリカ)がロシアを一方的に「敵」と位置付け、軍事的圧力を加えようとしていることの現れに他ならないと思います。
・とりわけ、隣国であり兄弟であるウクライナへのNATOの積極的な働きかけは、ロシアには非常識なほど攻撃的に見えると思います。(架空の例に例えていうと、日本の中央政府に不満を持った東北地方が、中国・北朝鮮との軍事同盟に誘い込まれる、みたいな感じでしょうか。)
・とくにコソヴォ紛争の例を念頭に置くと、ウクライナへのNATO軍の展開は、ロシアへの宣戦布告くらいの意味を持ちうるのですが、ご関心のある方はこの部分をご覧ください。
③独立ウクライナの国家経営は順調ではなく、その政情不安はロシアの懸念材料でした。NATO(西側)はその懸念を理解せず、不満分子の暴発を「民主化運動」と捉えて支援し、政情のいっそうの不安定化を促しました。
・ソ連崩壊によって独立したものの、困難な状況から抜け出せなかったウクライナでは、とくに貧しい西部地域で不満が高まり、ナショナリズム(≒ 反ロシア)が高揚しました(ロシアが「ネオナチ」「ファシスト」に言及することにはそれなりの理由があります)。
・ウクライナはロシアの隣国である上、ロシア系住民が多数住んでいます。ウクライナの不安定化はロシアにとっては深刻な脅威です。
・西側諸国は、こうしたロシアの懸念を理解せず、「反ロシア勢力=民主化勢力」と短絡的に理解して、台頭する西部勢力を支援し、NATOに誘い、彼らのナショナリズム(≒ 反ロシア感情)を煽りました。
・西側の行動は、ロシアには、隣国の政情不安に付け込んで、自らの軍事的勢力圏を拡大しようとする無責任で攻撃的な行動に見えると思います。
・ ・ ・
ロシアがついにウクライナに軍事侵攻をしてしまう背景には、このような事情がありました。こうした構図は、「西側」の私たちにはほぼ知らされていませんが、ロシアの人々が見ている絵であり、ロシア以外の「非西側」諸国の人々も、同じような絵柄を見ているはずです。
私は戦争一般を好みませんが、ウクライナ戦争が、平和を望む西側に対し、好戦的なロシアが一方的に仕掛けた戦争であるとは見ていません。平和を望んでいたのはロシアも同じです。なので、ロシアだけに全責任を負わせようとする「西側」の態度は、公正ではないと感じています。
だからどうということはありません。どちらがいいとかよくないとか言いたいわけでもありません。ただ、読んでくださった方の気持ちがほんの少しでもニュートラルな方に傾けば、その分だけでも世界は平和に近づくのではないかと思って、このようなものを書いている次第です。