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彼らは友人だったー9/11に寄せて(翻訳)

 

 

以下は “Ted Snider, Remembering Our Friends on 9/11″の翻訳です。ウクライナ戦争勃発以後、この人の記事が琴線に触れることが多く、今回もそうだったので訳しました。

https://original.antiwar.com/ted_snider/2022/09/08/remembering-our-friends-on-9-11/

世界の首脳の中で、9/11同時多発テロ(2001年)の後ブッシュ大統領に一番に電話をかけてきたのはウラジミール・プーチンだった。実は彼は2日前の9月9日にもブッシュに電話をかけ、長期に渡って準備されてきた何かがまもなく実行される兆しがあることを知らせ、警告していたのだ。

ツインタワービルが破壊される様子をテレビで見たプーチンはただちにブッシュに連絡し、弔意と同情を示した。エアフォース・ワンに搭乗中だったブッシュにはつながらなかったが、プーチンは迷わずコンドリーザ・ライスに伝言を託した。翌朝、ブッシュと直接話をしたプーチンは「この困難を乗り切るため、団結し協力しよう」と約束した。

プーチンは同情と団結の意思を示しただけではなかった。彼はブッシュが何を決断しようとそれを全面的にサポートすると約束したのだ。プーチンとブッシュはその後40分間語り合った。次の月曜、プーチンは、機密情報の共有、人道支援のための(米の)ロシア上空の通行許可、捜索救難活動への参加、アフガニスタンの北部同盟への軍事的支援の増強を申し出た。そればかりか、彼は、少しの躊躇の後、ロシア軍の上級司令官の反対にもかかわらず、米軍の中央アジアへの派兵を認めると申し出て、アメリカを唖然とさせた。アメリカはキルギスタンとウズベキスタンへの軍事基地の建設を許されたのである。

ロシアは自身の戦争を通じてアフガニスタンについて詳細な知見を得ていたため、その機密情報の共有には非常に大きな価値があった。ロシアの諜報機関は確かな地図をアメリカに提供し、カブールと数多くの山や洞窟を案内した。ロシアの諜報機関は、9/11以前の2000年6月頃までにも、アフガニスタンからのテロリストの脅威に関する情報をアメリカに提供していた。

このとき、プーチンはまだアメリカおよび西側との関係改善に望みを抱いていた。彼はアメリカへの援助と協力がそれを促進することを期待した。プーチンは9/11の悲劇を、アメリカに対し、ロシアをパートナーとする形での国際秩序が可能であることを知らしめる契機と捉えていた。2011年11月のワシントンでのスピーチでプーチンは次のように述べている。「テロとの戦いにおける我々の相互協力を露米関係の単なる一エピソードとして終わらせてはなりません。これを長期のパートナーシップと協力関係のスタートとすることこそが重要なのです。」

しかし、その10年前にアメリカがソ連を罠にはめて敗戦に追い込んだアフガニスタンの地で、アメリカの勝利を助けてくれたロシアは、その返礼として何一つ得ることはなく、NATOは東方拡大を続けた。2004年までに、NATO拡大の「ビックバン」はロシア国境沿いのバルト諸国に達していた。

Philip Shortの著書『プーチン』によると、イギリス版NSA(国家安全保障局)にあたるGCHQの当時の長であったFrancis Richardsは次のように述べていた。「われわれは9/11後のプーチンからの援助に非常に感謝していたが、その感謝をあまり示していなかった。私は受け取るだけでなく与えることもしなければならないと人々を説得することに努めたのだが‥おそらくロシアの人々はNATOの問題を通じて彼らは騙されて利用されたと感じていたと思う。そして、それは事実だったのだ。」

9月11日、中国主席の江沢民は、テレビでテロ攻撃を見つめていた。2時間と経たないうちに、彼はブッシュに電話をし、哀憐と援助の意思を示した。

9/11への中国の反応は、アフガニスタン戦争が混迷を極めていくにつれ、複雑さを増していった。中国はタリバンのテロの脅威が国際社会および中国国内に及ぼす影響を懸念していたが、それと同程度に、長引く駐留で近隣でのアメリカの軍事的存在感が高まることを恐れていた。

中国は国境地域で(中国の)同盟国パキスタンが米軍基地の受け入れと移動ルートの提供を強要されていること、パキスタンに完全なアメリカ寄りの傀儡政権が建設される可能性を懸念していた。

戦争が長引くと、中国はタリバンとアメリカのどちらも全面的に支持しない姿勢を取るようになり、タリバンと外交関係を維持した上、武器を提供することすらあった。

しかし2011年9月のあの最初の数時間、中国のリーダーは直ちにアメリカ大統領に電話をかけて援助を申し出ていた。Andrew Smallの著書『The China-Pakistan Axis』によれば、中国は機密情報の共有と地雷除去装置の提供を申し出た上、北京にFBIのオフィスを設置することまで提案した。アメリカは中国からの援助の申し出のほとんどを拒絶したが、しかし、中国は援助を申し出たのだ。

イランもまた、9/11の後、アメリカの支援者となった一人である。アメリカでのテロ攻撃の後、イランは直ちにアメリカ側に付き、タリバンおよびアルカイダに反対する立場を明らかにした。ロシアや中国と同様にアメリカとの関係改善を望んでいた改革派の大統領セイイェド・モハマド・ハータミーは、この悲劇を彼らのパートナーシップと友情を証明する不幸であるがよい機会と捉えた。

イランは国境地域に逃げ込んできた何百人ものアルカイダおよびタリバンの戦士たちを逮捕した。イランは200人以上のアルカイダおよびタリバンの逃亡者たちの身元を特定して国連に文書を提供し、その多くを彼らの出身国に送り返した。送還させられない者たちの多くに対しては、イラン国内での受け入れを提案した。イランはまたアメリカの捜索要請に応えてアメリカが特定したアルカイダ工作員たちの相当数を逮捕し移送した。

アメリカと同盟国がアフガニスタンを侵攻した際に反タリバン戦闘員の多くを提供した北部同盟を取りまとめ、アメリカとの協力関係に置いたのは概ねイランである。イランはその空軍基地をアメリカに提供し、アメリカが撃ち落とされた米軍機の捜索救助活動を行うことを許した。イランの人々はタリバンとアルカイダの容疑者に関する機密情報も提供した。

イランの外交官たちは2001年10月までにアメリカ政府高官と秘密会合を持ち、タリバンを排除しアフガニスタンに新たな政府を作る計画を練った。2001年11月のボン会議で、イランはイラン専門家や『Losing an Enemy』の著者Trita Parsi によれば、アフガニスタンのポストタリバン政権の樹立に「決定的に重要な役割」を 果たしたという。

ロシアと同じく、イランもその返礼は何一つ得ていない。アメリカが彼らに与えたものは「悪の枢軸」のメンバーの地位だけである。 

ロシア、中国、イランというアメリカにとっての大悪魔(arch enemies)たち3人は皆そろって、9/11の後、友情からの支援の手を差し伸べていた。言葉だけではない。彼らの両手は本物の支援策でいっぱいだった。アメリカが差し伸べられた手を取って、Francis Richards がいうように感謝を表し、受け取るだけでなく与えることもしていたら、今日の世界はもう少しましなところになっていたかもしれない。

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社会のしくみ

国家と宗教
ー一神教と多神教ー

神は権威を支える

国家を統治するために不可欠の道具は「正しさ」である。武力でも一時的な秩序維持は可能だが、長きに渡って共存していくことを前提とするのが国家である以上、いずれその正統性を「正しさ」(=法)に求めなければならないときが来る。

強さとは異なり「正しさ」は自然界に存在しないので、統治に使うには裏付けが必要である。それを担うのが権威だ。

縦型の権威がないところに国家がなく、権威が生まれると同時に国家が誕生するのは、そういうわけである。

そう考えると、国家の誕生と同時に歴史(=文字)が生まれ、宗教が生まれるという事実も驚くには当たらない。

直系家族(国家誕生の第一段階である)の場合、権威の基礎は先祖代々家系が受け継がれてきたという事実にあるので、歴史を書き記し後世に伝えることは欠かせない。

そして、直系家族に限らず、権威を自他に対して納得させるには、彼岸から、神に支えてもらうのが一番なのだ。

直系家族の神

世界で初めて都市国家を生んだシュメールの宗教は多神教である。

この点は、同じ直系家族の日本人には分かりやすい。

直系家族システムを支えるのは縦のラインだが、そのラインは一本ではないし、それぞれの線が一人の先祖だけにつながっているわけでもない。

田中さんには田中さんの先祖がいて、鈴木さんには鈴木さんの先祖がいる。

それぞれの家系に、お父さん、おじいさん、ひいおじいさん、ひいおばあさん(女性が権威を担うこともある)・・と沢山の人々が連なって、権威を構成しているわけなので、神様は一人で済むわけがないのだ。

エマニュエル・トッドは直系家族と一神教のつながりを論じたことがある(『移民の運命』198頁以下)。しかし、これはちょっと無理筋だと私は思う。ルター派の強い神のイメージと浄土真宗の阿弥陀信仰に共通性を見出したりするのだが、ドイツは直系家族の成立以前にキリスト教を受容しているからその範囲内でアレンジしただけと思われるし、浄土真宗が阿弥陀を大事にするからといって日本人の信仰が一神教的であるとは到底いえないだろう。トッドは当初ユダヤ人を直系家族と見ていたので(のちに撤回している)、それに引っ張られた面もありそうだ。

勝手に断言しよう。
直系家族システムの権威を支える宗教体系は多神教だ。

間違いない。

帝国を支える神

中東では、直系家族とともに都市国家が生まれた後、都市国家間の争いが絶えない時代を経て統一国家が生まれ、やがて帝国に発展する。そのとき、社会の基層では、共同体家族システムが形成されていた。

国家統一がなされると何となく一神教が生まれそうな感じもするが、おそらくそうではない。

帝国では、王は何らかの形で神格化され、王にその身を投影する神は最高神とされるであろう。しかし、ほかにもさまざまな神、妃や母に当たる女神や、帝国に服属する地域の神などがいて、皆が揃って最高神を崇める、といった形で現実の王の権威を支えるのが典型的ではないかと思われる。

共同体家族の帝国では、頂点に君臨するのは生身の王であり、その人格こそが権威の源泉である。直系家族にも当てはまることだが、すでに確固たる権威が存在する国家において、宗教に期待されるのは補強の役割にすぎない。世俗の権威を凌駕するような強大な神にいてもらってはむしろ困るのだ。

王が君臨する国家と一神教の相性の悪さは、旧約聖書にも描かれている。

唯一神ヤハウェは、預言者サムエルを通じて、イスラエルの人々に、異教の神々への信仰を捨て、ヤハウェのみに心を定めることを要求する(一神教であるゆえんである)。しかし、ヤハウェの要求はそれにとどまらない。ヤハウェは人々に、世俗の王を求めず、ひたすらヤハウェのみに従うことを求めるのである。

聖書が王の君臨する国家をロクでもないものと考え、ほとんど憎しみすら抱いていることは、世俗の王を求める民に預言者サムエルが伝える次の言葉に現れている。

君達を支配する王の習慣(ならわし)は次のようなものだ。彼は君達の息子をとって、自分の為にその戦車に乗り組ませ、王の軍馬に乗らせ、又王の車の前を走らせる。又彼らを千人の隊長、百人の隊長とし、更にその耕地を耕させ、刈入れの労働に服させ、又武器の製造と戦車の装備にあたらせる。君達の息女(むすめ)達をとって、香料作りとし、料理女とし、又パン焼き女とする。王は君達の畑地と葡萄園と橄欖畑のよきものを取り上げ、それを彼の宦官と役人達に与える。又、君達の下僕(しもべ)、婢女(はしため)、又君達の牛のよきものと驢馬とを取って、自分の為に働かせる。彼は君達の家畜の群の十分の一を取り上げ、君達は遂に彼の奴隷となるであろう。君達はその時自ら選んだ君達の王の前に泣き叫ぶであろう。しかしヤハウェは最早その時君たちに答え給わない。 

『サムエル記』(関根正雄訳)岩波文庫、昭和32年、29頁

それでも人々は、自分たちにもよその国と同じように王が必要であると言って聞かない。そこで、ヤハウェは彼らに王(サウル)を与えるが、サウルはヤハウェの命令に背いたことで王位を奪われ、王国の樹立はつぎのダビデの治世まで持ち越されることになる。

一神教を必要とするのは誰か

直系家族システムの国家には縦に連なる権威の軸が存在し、家々の祖先達を思わせる多神教の神々がそのイメージを補強する。

共同体家族システムの帝国には生身の王が君臨し、下位の神々の上に最高神が君臨する天界のイメージが、王の権威の正統性を強化する。

現実世界に確固とした権威を備えたこれらの国家は、決して、世俗の権威を否定するような強大な神を彼岸に生み出すことはない。

ではいったい誰が一神教の神を必要とするのだろうか。

家族システムと国家の対応関係を知った後では、答えは明らかなように思われる。

原初的核家族である。

親子関係兄弟関係国家形態
原初的核家族不定(イデオロギーなし)不定(イデオロギーなし)なし
直系家族権威不平等都市国家 / 封建制 
共同体家族 権威平等帝国
(表1)家族システムの「進化」と国家

原初的核家族とは、関係性を律する規則を持たない「家族システム以前」の状態(あるいはそれに近い状態)を指し、彼らは内発的に国家を生み出すことはない。

それでも、近隣に都市国家やら帝国やらが林立してその勢力が迫ってくると、自身も国家を組織しなければアイデンティティを保つことができない状況に陥るであろう。しかし、彼らの家族システムは国家形成に必要な権威を欠いている。

窮地に陥った彼らは、天上にその権威を求める。
それが一神教の神である。

世俗の人々を導いてくれる強い神、全知全能で唯一絶対の神の姿を彼岸に描き、その支配を受け入れることで、世俗の権威に代替するのである。

以上が私の仮説である。さて、これが実例で証明できるかどうか。
試してみよう。

例証① ユダヤ教

もともと遊牧民であったため、長く未分化な核家族性を保持していたユダヤの人々が、国家(イスラエル王国)を形成するに至ったのは、紀元前11世紀の終わり頃である。

世界史の教科書によると、シリア・パレスチナ地方では、紀元前13世紀頃の「海の民」の進出によりエジプト、ヒッタイトという大国が勢力を後退させ、それに乗じてアラム人・フェニキア人・ヘブライ人(ユダヤ人)が活動を開始していた。

このうち、アラム人とフェニキア人はそれぞれシリアと地中海沿岸に多くの都市国家を建設していた。アラム文字は楔形文字に代わってオリエント世界の多くの文字の源流となり、フェニキア文字はアルファベットの起源となったということでも知られる。そして、彼らの宗教は多神教である。都市国家、文字、多神教‥‥おそらく、彼らの家族システムは直系家族だ。

一方、原初的核家族のユダヤ人には国家がなかった。しかし「海の民」の一派であるペリシテ人との争い等を通じ、ユダヤの人々は王が統率する国家の成立を待望するようになっていた。

その経緯は、旧約聖書の「サムエル記」(「王国の書」の別名もある)で扱われている。

預言者サムエルの下でヤハウェに忠実であった間、ペリシテ人は撃退され、再度イスラエルを侵すことはなかった。やがてサムエルは年を取り、その息子達を後継に任じたが、彼らは父と違って行いが悪く、およそ頼りにならなかった。

人々はサムエルに訴える。

「御覧下さい。あなたは既にお年を召され、あなたの息子達はあなたの歩まれた道を守りません。さあ、どうかわれわれを審(さば)く為、総ての異国の民と同じようにわれわれに一人の王を与えて下さい。」

『サムエル記』28頁

前々項で引用した「王の習慣(ならわし)」に関するサムエルの言葉は、この訴えに対する回答の中で述べられたものである。しかし、人々はそれを聞こうともせず、こういうのである。

「いや、われわれには王が必要です。私達もそうすれば他の総ての国民と同じようになるでしょう。王は私達を審き、先頭に立って出陣し、われわれの戦いを闘ってくれるでしょう」。

『サムエル記』29頁

エジプトやヒッタイトはもちろん、アラム人にもフェニキア人にもペリシテ人にも王があり国家があるのに、ユダヤの民にはそれがない。しかし、彼らだって人並みに、先頭に立って彼らを率いてくれる王が欲しかったのだ。

家族システムの中に権威を持たない彼らは、そのままでは国家を作れない。そこで、必要に駆られた人々は、その彼岸に、強大な神ヤハウェを頂く一神教を作り上げた。

天上の権威を地上の権威に代替することで、国家の建設を可能にしたのである。

と、このように考えると、かなり辻褄が合うように思われる。

例証② キリスト教

キリスト教については、1世紀以後ローマ帝国の版図内で勢いを増し、コンスタンティヌス帝の下での公認(313年)を経て、テオドシウス帝の下で国教とされるに至った(392年)、その「時期」に着目したい。

共和政末期から帝政の初期にかけて(前1世紀~)、ローマはガリア全土(現在のフランス、ベルギー)とブリタニア(イギリス)を征服、ヒスパニア(スペイン)を吸収し、西ヨーロッパ全体を版図に収め、北アフリカとエジプトも支配下に置いた。

ローマ帝国は絶頂期を迎えたわけだが、西と南に向かう版図の拡大は、水面下で、というか社会の最基層、家族システムの層において、後の解体につながる本質的な変化をもたらしていた。

トッド入門講座の方で扱ったが、当初は父系制で共同体的であったローマの家族システムは、「共和政末期から後期ローマ帝国に至る少なくとも6世紀に渡る期間」に一種の退行を見せ、おそらくは征服した核家族地域(西ヨーロッパとエジプト)の影響で、より核家族的なシステムに変化していったのである。

キリスト教が普及し、迫害、公認を経て、ローマ帝国の国教となって定着する期間(後1世紀~5世紀)は、ちょうどローマが西ヨーロッパを版図に収め、家族システムを退行させていく期間と一致する。

未分化の核家族であるユダヤ人の間で生まれたキリスト教が、この時期に帝国版図内の人々の心を掴んでいったのは、やはり未分化の核家族であった西ヨーロッパの人々にとっては、帝国という現実に順応するのに必要な(意識下の)「権威」を、その一神教が彼らに供給してくれたためかもしれない。

帝国中央部の人々にとっては、(家族システムの退行により)薄らいでいく権威を、その一神教が補充してくれるのが感じられたためかもしれない。

もちろん、それでも帝国の分裂を回避することはできず(395年)、西ローマ帝国の方はまもなく滅亡に至る(476年)。しかし、この地に根付いたキリスト教は、おそらく、多くは未分化の核家族であったゲルマン人に権威を貸し与えることで、その国家形成を促すことになるのである(次回扱う予定です)。

例証③ イスラム教

最後はイスラム教である。

唯一神アッラーへの信仰を説いたムハンマド(570頃-632)が、軍事的・宗教的指導者としてイスラム共同体を成立させ、アラビア半島の大半を支配するに至った頃、アラブ人の家族システムは(内婚制)共同体家族システムであった。

しかし、アラブ人が生粋の共同体家族の民であったかというと、決してそうではない。

メソポタミアから見れば辺境であるアラビア半島で遊牧生活を送っていた彼らは、中央部で共同体家族が確立してからも長い間、未分化の家族システムを保っていた。

彼らの共同体家族は、2-3世紀から5-6世紀の間に受容した、比較的新しいものなのだ(システムの新しさは一般にシステムの弱さを意味します)。

後に中東を席巻した内婚制共同体家族というシステムは、アラブ人が(外婚制)共同体家族を受容したとき、叔父方イトコとの結婚を理想とする「内婚制」を付け加えたことで生み出されたものである(比較的男女平等であったアラブ人が女性の地位を確保するために編み出した工夫ではないかというのがトッドの仮説である)。

元々のシステムから来る彼らのメンタリティは、硬質の共同体家族とはミスマッチであり、修正を加えなければ受け入れることができなかったのである。

国家形成に不向きな「システム以前」の状態にあったアラブ人に、たった数世紀の間に、統一国家、さらにはイスラム帝国を建設させるだけの軍事的・政治的統率力を与えたもの、その一つはもちろん共同体家族の伝播であるが、それを補強したのが一神教の受容ではなかったかと思われる。

ムハンマド以前、アラビア半島には国家も大都市もなかったが、アラブの人々は、隣接するササン朝ペルシアとビザンツ帝国から強い影響を受けていた。各地の有力者はササン朝皇帝の「総督」という称号を受けてそれぞれの地を抑え1(後藤明「巨大文明の継承者」『都市の文明イスラーム(新書 イスラームの世界史①)』講談社現代新書、1993年)57頁)、半島の外れ(シリアなど)にはビザンツ帝国の衛星国家的な小国もあったという2(小杉泰『イスラーム帝国のジハード』講談社学術文庫、2016年)27頁)

おそらく、彼らは、ササン朝から共同体家族を受け取り、ビザンツ帝国から一神教を受け取った(キリスト教とユダヤ教は5世紀頃から浸透していた)3(後藤・47-48頁)。一神教の神の権威は、女性の地位の確保のために弱めざるを得なかった共同体家族の父の権威を補い、イスラム帝国の大攻勢を可能にしたのである。

おまけ 韓国のキリスト教

国家を成立させるために必要な権威を代替するのが一神教であると考えると、近代朝鮮(韓国)におけるキリスト教定着の基盤も理解できるような気がする。

朝鮮半島は直系家族が中心と考えられ、もともと国家形成がまったく不得意というわけではない。しかし、共同体家族の帝国が隣接していた朝鮮半島で、直系家族が独立を維持していくことは容易ではなく、朝鮮の王朝はつねに中国の強い影響下にあった。

14世紀以来の朝鮮王朝(李氏朝鮮)は、中国の弱体化により後ろ盾を失い、日本に併合されて滅亡する。その日本もすぐに敗戦し、権力の空白が生まれる。

韓国でキリスト教が広がったのはまさにこの時期(19世紀末~)、誇り高い韓国の人々が国家の中心となるべき世俗の権威を失った時期である。

異国(日本ですが)の侵略下で、世俗の王に代わる寄る辺となって韓国社会を支えたもの、それが一神教の神であった、という仮説は、それなりに説得力があるような気がするが、いかがでしょうか。

今日のまとめ

  • 国家は「正しさ」(=法)の裏付けとして権威を必要とする。
  • 直系家族の権威を支えるのは、家々かつ代々の祖先たちを思わせる多神教の神々である。
  • 共同体家族の帝国では、王は神格化され、多神教の神々が最高神に服する形で王の強大な権威を支える。
  • 確固たる権威を備えた社会は、世俗の権威を凌駕するような強大な一神教の神を生み出すことはない。
  • 権威を欠く原初的核家族が国家形成の必要に迫られたとき、地上の権威の代替として生み出すのが一神教の神である。




  • 1
    (後藤明「巨大文明の継承者」『都市の文明イスラーム(新書 イスラームの世界史①)』講談社現代新書、1993年)57頁)
  • 2
    (小杉泰『イスラーム帝国のジハード』講談社学術文庫、2016年)27頁)
  • 3
    (後藤・47-48頁)
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社会のしくみ

国家の誕生

 

「国家の誕生」は突然に

人類にとって、「人間らしさ」の獲得(約7万年前)に次ぐ大事件は、国家の誕生(紀元前3300年頃)だと思われる。

「社会」はおそらく7万年前から存在していた。農業も紀元前12000年頃には始まっていたとされる。人々は、互いに協力して、狩猟や採集、農耕によって食糧を確保し、子供を育て、外敵から身を守り、老いた者の面倒をみていた。踊りを踊って親睦を深めたり、何か決める必要があるときには話し合いもしただろう。

しかしその何万年かの間に国家が生まれていた形跡はない。つまり、この世界にまだ王はなく、法も、軍隊も、官僚も、宗教も、歴史も存在しなかった。

「人間らしさ」の獲得と同様に、国家の誕生も、漸進的な過程とは違う。人類が少しずつ進歩して法、軍隊、官僚、宗教、歴史を育んだ、というのではなくて、紀元前3300年前後、人類史の時間的尺度からすれば「一瞬」と言って差し支えないある時期に、その全てが同時に生まれたのである。

いったい、何が起きたのだろうか。

国家を生んだのは仲間内の争い

きっかけとなったのは、一つの単純な事実。人口の集中である。

メソポタミアでは、気候の乾燥が河川沿いへの移住をもたらしたらしいが、ともかく、大勢の人が一定の領域内に定住するようになり、土地が不足したのだ。

土地の不足は土地をめぐる争いを生む。
誰の間で?

社会契約説だと、人々は万人の万人に対する闘争状態(ホッブズ)を回避するために自由を差し出す。万人と万人はどっちも、無色透明の一個の個人であることが想定されている。

しかし、土地をめぐる争いが国家の誕生につながったのは、その争いが「万人の万人に対する争い」というよりも、味方同士、もっといえば、身内同士の争いだったからなのである。

国家以前の社会

国家形成以前の7万年の間、人類がどんな社会で暮らしていたかは、大体見当がついている。

夫婦二人と子供の核家族が基本単位。この家族がいくつか集まって、ともに移動し、狩猟や採集や移動農耕を行う一つのグループを形成している(血縁があることが多い)。

出入りは自由、regroupあり、上下関係もない横のつながりだが、原則としてこのグループの範囲では結婚しない(「バンド(band)」とか「小村(hamlet)とかいうが、以下「バンド」で統一)。

その外側にはさらに一定の領域内に暮らす1000人くらいのコミュニティがある。これも横のつながりで、上下関係はない。親戚ではないが、地縁に基づく仲間という感じのつながりで、人々は通常この範囲の中で結婚相手を探すことになる。

彼らが帰属する社会はここまで。この外の人間たちは基本「よそ者」であり、潜在的な敵である。

*なお、国家形成以前の階層化が進んでいない社会でも、すべての人間が平等の個人として観念されるということは決してなく、集団単位で、仲間とそれ以外、味方と敵というくくりを持っていたという。Todd, Lineages of Modernity, pp75-77. 本文の記載もこの本の63頁以下を主に参照。

こういう社会で、法律とか国王とかが必要かといえば、必要ではないだろう。

バンドやコミュニティの絆はゆるいから、内部での深刻な争いは起きにくい。バンド内で揉めたら一方が出ていって、どこか他のバンドに入れてもらえばいい。コミュニティの中に居場所がないという事態はおそらく(ゆるいので)生じないし、どうしてものときは出ていけばいい。

外部の人間との争いは実力勝負だ。
敵を裁くのに法はいらない。
負けた方が滅び、または撤退するのみ。

プレ国家状況

人口集中による土地の不足は、こうした状況を大きく変えた。

同じコミュニティとりわけバンド内というもっとも近しい身内の間で、のっぴきならない争いが頻発するようになったのだ。

農耕社会における土地の不足。それは、親は土地を持っていても、その子供たちが新たに開墾する土地は残っていないということを意味する。

今までは、子供たちは成人したら家を出て、新たに開墾した土地で新たな世帯を営めばよかったのだが、それができなくなるのである。

一家は、親の土地を子供に伝えることを考えるようになる。最初はきょうだいに分け与えることができても、それを続ければ土地は狭小になる。農業効率の低下を避けるには、分割せずに継承させることが不可欠だ。

さあ、誰に継がせるか。

というところで、争いが起きる。それも、一軒や二軒の話ではない。地域一帯のすべての家で同様の争いが起き、バンド内の誰は誰の味方に、誰は誰の味方になったりして何かややこしいことになり、戦争だって起きかねない(というか起きる)。

国家とは、どうやら、こういうときに発生するものらしい。

家族システムの誕生

世界史の教科書には、メソポタミアで都市国家が成立した頃に、文字が生まれ、王、官僚、軍隊、宗教、法が生まれたことが書かれている。

*最古の法典として知られるウルナンム法典は紀元前2000年前後の編纂とされるが、「法典」はそれ以前に通用していた法を整理してまとめたものだから、法そのものはそれよりずっと古いと考えられる。

しかし、国王、官僚制度、軍隊、宗教、法制度、そのすべてを成り立たせるのに不可欠な「権威」は、どこから調達されたのだろうか。

都市国家は誕生するとすぐに都市国家同士で戦争を始めるものだが(これはシュメールでも中国でも日本でも同じ)、都市国家の成立そのものは軍事的征服の結果ではない。軍事力以外のいったい何が、最初の王の誕生を可能にしたのか。

世界史の教科書には書かれていないが、答えは分かっている。
家族の体系化である。

人口の集中により土地が不足すると、親の土地を誰か一人の子供に受け継ぐという仕組みが開発される。これによって生まれる世代間の絆が、システム形成の基礎になる。

最初はルールが曖昧で、親が死んだらまずは親の兄弟に譲り、兄弟が死ぬと子供の世代に、とかってやるんだけど(Z型継承という)、それをやっていると相続争いは止まらない(日本だと南北朝の動乱とか応仁の乱とかって完全にこれだと思う)。

よし、それなら長男に継がせると決めてしまおう。
これで長子相続制が完成だ。

長子相続制(=直系家族)の完成によって、親子をつなぐ縦の絆は、家系をつなぐ一本の線となり、親から子(長子)、子から孫(長子)へと連綿と受け継がれることになる。社会の中に、確固たる縦型の権威の軸が据えられるのである。

直系家族契約による構造化

ここまでくれば、国家はできたも同然だ。

「親の権威を認め、親の権威が長子に受け継がれることを認め、家の繁栄と永続のために結束する」という社会契約が結ばれたことで、ゆるやかな横のつながりでしかなかったバンド、コミュニティの人間関係は、一気に縦型に構造化される。

共通の祖先をいただくコミュニティ内の「家長」が王となり、兄弟の序列に擬えて家と家の関係性が定まり、官僚機構が形成される。

国家以前(家族システム以前)の世界では、争いの解決は実力によるしかないのだが、権威が生まれたことで、法に基づく解決が可能になる。前述の契約に基づき、権威者の裁定に従い、権威者の定めるルールに従うことが、人々の義務となる。

と、まあこんな感じで、最初の国家は生まれたと考えられる。

人類最初の国家を生んだ社会契約は万人の万人に対する闘争状態を回避するために自由を差し出すというような契約ではなく、最初の国家は激しい闘争を勝ち抜いた者が人民を征服することで生まれたのでもない。

農耕社会における土地の不足という非常に具体的な条件の下で、土地の細分化および土地をめぐる争いを回避し、家系の維持(≒人類の生存)を確実にするために、人々は「親の権威を認め、親の権威が長子に受け継がれることを認め、家の繁栄と永続に協力する」という契約を結んだ。

この契約によって地球上に初めて発生した「権威」。これこそが、王、官僚制度、軍隊組織、宗教制度、法制度のすべてを成り立たせ、国家の成立を可能にしたのである。

今日のまとめ

  • 自然状態において人類はグループに分かれ、仲間とそれ以外、味方と(潜在的)敵を区別している。
  • 農耕社会における土地の不足で仲間内での争いが避けられなくなったとき、家族システムの最初の進化が起こり、同時に国家が発生する。
  • 最初の社会契約は「親の権威に従い、親の権威が長子に受け継がれることを認め、家の繁栄と永続のために結束する」という直系家族契約だった。
  • 直系家族の親の権威が、国家の成立に不可欠な権威を提供した。
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知性と自由意思の使い方
:「夢見る人類方式」から「宇宙人方式」へ

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人類は「なぜ?」を問う

「平和が大事と分かっているのに、なぜ戦争を止められないのか。」

「なぜあの人がこんな風に死ななければならなかったのか。」

「なぜ私はこんな酷い目に遭わなければならないのか。」

「政治はなぜ何もしてくれないのか。」・・

「なぜ」で始まるこんな疑問を、皆さんは持ったことがありますか。

私はあります。

というか、社会に関心があって、大学の先生になったくらいなので、以前はいつも「なぜこうなのか」「どうしたらよくなるのか」と考えていました。

でも、いまは、世の中で起きるどんなことについても、「なぜ」と考えることはなくなりました。

なぜかって?(笑)

「なぜ」と考えて、答えを見つけても、社会の「問題」が解消されることはない。「なぜ」と考えても、とりたてて世の中がよくなることはないと気づいたからです。

「なぜA」と「なぜB」

皆さんは、自然現象について「なぜ」と考えることがあると思います。

ゲリラ豪雨にあって驚いたら「なぜ?」と考え、インターネットで検索して、仕組みを調べるかもしれません。地震とか火山について調べたことがある人もいるでしょう。

同じ「なぜ?」でも、世の中に関する「なぜ?」と、自然現象に関する「なぜ?」は、意味が違うことが多いと思います。

世の中に関して「なぜ?」を問うとき、私たちが知りたいのは「誰が悪いのか」「どこに間違いがあったのか」です。目的は、「誰か」を断罪し「何か」を改善することで、その現象をなくすこと。「二度と起こしてはならない」とよく言われます。

こちらの「なぜ?」を「なぜA」と呼びましょう。

一方、自然現象について「なぜ?」と問うとき、私たちが知りたいと思っているのは、事実です。どのような仕組みで何が起こっているのか知った上で、被害を小さくする方法を考えたり、予知の方法を考えたりする人もいるでしょう。しかし、「火山が二度と噴火しないように」と考え、「地震をなくす方法」を問うているわけではない。

こちらの「なぜ?」は「なぜB」と呼びます。

私たちはなぜ、自然現象に対しては「なぜA」ではなく「なぜB」を問うのでしょうか(この文の「なぜ」はAとBのどちらでしょう)。

それは、私たち人間には自然を思い通りに操作する力がないということを分かっているからだと思います。

「私たちにできることは、事実を知って、対処方法を工夫することだけである。」

その認識が、私たちを「なぜA」ではなく「B」に向かわせるのです。

* * *

なので、神様だったら違うかもしれません。

この世界を創造した神様が、自然界が設計通りに動いていないことに気づいたとします。

「キーッ」と怒った神様は、「なぜこうなの?」(「A」です)と考えて、解決策を試してみるでしょう。

私だったら、そうですね。

鍋でおでんを煮ているときに、味見をして、おいしくなかったら、こうします。

「おいしくない!」と怒った私は、「なぜ?」(「A」です)と考え、しょうゆを足したり、みりんを足したり、火から下ろして、味がしみるのを待ったりするでしょう。

宇宙船の窓から眺める

今度は、適当な移住先を探して地球にやってきた宇宙人のつもりで、人間社会を観察してみて下さい。

過去から現在に至る人間社会の情報を収集し、人類のふるまいを興味深く眺めます。

人間にはいろいろな面があることが見えます。

人々の多くが、近隣の人に礼儀正しくふるまい、友人や家族と仲良く暮らす一方で、どの地域でも、たえず、殺人、事故、窃盗などが起こっている。努力してたくさんの富を生産する一方で、貧しくて住むところや食べるものにも事欠く人がいて、環境破壊も深刻になっている。

大きな災害が起これば、助け合って窮状を凌ぐ人たちがいる。

一方で、いつも、世界の何箇所かで、戦争や集団同士の殺し合いが発生しているのも目につくでしょう。

殺人、戦争、貧困、差別、環境破壊。そういうものが、宇宙人である彼らにとってマイナスの価値を持つものであったとしても、おそらく、彼らは「なぜA」を問うことはないと思います。

私たちが歴史として認識している約6000年の人類の歴史の中に、殺人や窃盗、死亡事故が起こらない日は1日もなく、戦争や大規模な虐殺が発生しなかった世紀もありません。

そのデータを見れば、それらの事象が「なぜA」の対象でないことは明らかです。

彼らは「なるほど、人間とはそのような生物なのだな」と理解し、「なぜB」とともに人間社会の調査研究を続け、共存の可能性を探るでしょう。

宇宙人は人類を軽蔑するか

一つ、考えていただきたいことがあります。

宇宙人の人たちは、人間がしばしば殺し合う生き物であることを、「地球における人類の生態に関する報告書」に明記するでしょう。

皆さんの中には、それを「恥ずかしい」と思う人がいるかもしれません。しかし「しばしば殺し合う」という事実を知ったことで、彼らは人類を軽蔑するでしょうか。

そうはならないんじゃないか、と私は思います。

人類が自然に対して敬意を抱き、動植物の営みに関心を抱くのと同様に、彼らも自然の一部である人類の営みに対して、大いなる関心と敬意を同時に抱くはずです。

戦争や殺戮は痛ましい。しかし、だからこそ、そのような仕組みを組み込んだ人類のシステムに、いっそう関心を抱くでしょう。

彼らは「なぜA」を問うて人間を断罪する代わりに、「なぜB」によってその仕組みを知ろうとします。彼らは、すべての人間の存在を認め、そのあり方を肯定し、その上で、共存の方法を探るのです。

なぜそんなことが分かるかって?

それは、あるときから、私の脳は、この宇宙人の脳になってしまったからです。

乗っ取られた?

人類は夢を見ている

私たちは、世の中の「問題」に接すると、つい「なぜA」を問うてしまいます。

「なぜ?」と言いながら、非難する相手を探し、修正するべき過ちを探そうとする。

それは、私たちが、自然をコントロールすることはできなくても、社会は思い通りに変えられると信じているからだと思います。

人間には知性があり、自由意思がある。

よく学び、正しい心で努力をすれば、この世を天国(争いがなく、飢餓がなく、病がなく、不慮の事故で人が死なない世界)に近づけることができるはずである。

文明誕生以来の人類の夢だと思いますが、近代になって拍車がかかりました。

もちろん、それは事実ではありません。世の中はおでんの鍋ではなく、私たちは神ではない。人間も、人間の社会もまた自然界の一部、神の被造物であり、人間が「こうしよう」と思えばこうなり、「ああするべきだ」といえばああなる。そのようなものではないからです。

それでも、多くの人は「なぜA」を問うことをやめない。

それは、「なぜA」をやめることは「あきらめる」ことだと考えられているからではないかと思います。

せっかく人間として、知性と自由意思をもって生まれたのだから、この世界をよりよい場所にするという夢をあきらめたくない。

あきらめたらそれで終わりではないか。

その気持ちは分かります。

でも、現実と地続きではない夢と心中するなんて、さすがにバカらしくはないですか。

知性と自由意思の使い方

ということで、「あきらめる」のとは違う、知性と自由意思の新しい(?)使い方を提案させていただきます。

宇宙人方式。

そうです、さっき出てきた宇宙人と同じやり方で、知性と自由意思を使うのです。

なぜA」を問うて「悪」を指弾する代わりに、ひたすら観察をする。すべての人間や集団や価値観の存在を認め、その在り方を否定せず、共存の方法を探る。そういう構えを取るのです。

*なんか抽象的だなと思う方は、「悪」の箇所に、何でもよいので、文句がある対象物を入れてみて下さい。「ロシア」「アメリカ」「日本」「自民党」「立憲民主党」「統一教会」「テロリスト」「バカ」「差別主義者」
「感染症専門家」「反ワクチン」「マスコミ」「政治家」「資本主義」「職場」「学校」「家族」「自分の生育環境」‥‥ もちろん「○○」(特定の人名)でも「自分」でもOKです。

それでは世の中はよくならない。そうお思いですか?

私は、争い、事故、病、差別、そういったものがなくなることはないと思いますが、なるべく多くの人が冷静に対処することで、被害を軽減することはできると思います。

「夢見る人類方式」と宇宙人方式。どちらが「冷静な対処」に役立つかは、いうまでもありません。

「夢見る人類方式」の主な道具である「なぜA」は、ぶっちゃけ、「誰かが悪い」「何かのせいだ」、裏を返すと「それを排除すれば正義に近づける」という魔法の処方箋を引き出すための問いです。

戦争が起き、犯罪が起き、病が流行り、差別が発生したときに、「なぜA」を問うことは、憎悪と不安を増幅させ、社会の混乱を深めることにしかならない。責任を転嫁させ、対策を取り逃がすことにしかならない。実際、そうやって、社会は混迷を深めているのではないでしょうか。

* * *

もう一つ、宇宙人方式をお勧めする理由があります。

しょっちゅう「なぜA」が浮かんできてしまうようなことを、地道に「なぜB」に置き換えながら、観察と探究を続けてみて下さい。

そうすると、時間はかかっても、いつか必ず、「あ、そうなのか」という時が来ます。「なるほど、そういう仕組みなのか‥」と。

そこまで来たら、あなたの勝ち(?)なのです。

他人を変えようとしても変えられないし、社会を変えようとしても変えられない。自分だって、そうそう思い通りにはなりません。

しかし、「それ」が何なのかが分かり、自分なりに納得できれば、自分の行動に迷いはなくなります。

夢の中で理想を語り続ける代わりに、文句を言って手綱を「世の中」に預けてしまう代わりに、「分かった。じゃあ、自分はこうしよう」と、行動することができるのです。

何度も繰り返しますが、人類の社会から、戦争がなくなることも、殺人がなくなることも、病がなくなることも、同調圧力がなくなることも、あなたにとって理不尽に思える様々な事象がなくなることもありません。

しかし、「宇宙人の目」で生きてさえいれば、どんな状況も、私たちが自分の人生を生きる妨げにはならない。

怒りに震えることも、恐怖や憎しみ、漠然とした不安に囚われることもなく、驚きと知的興味に開かれた科学者の目で真っ直ぐに世界を捉え、自分がやるべきことを、自分で決めていくことができる。

社会に対して「宇宙人の目」を持つと、人生は圧倒的に自由になります。

そうやって生きる人の数が増えていけば、世の中はそれに合わせて、勝手に変化していくことでしょう。

その先には、もしかしたら、世界を漂う恐怖や憎悪、不安の総量が減って、争いが最小限に抑えられた世界がくるかもしれない。そうも思います。

* * *

いかがでしょうか。

私が大望を抱いていることは認めます。でも「人間が神のように賢くなってこの世を天国に変える」という夢よりは、ずっと現実的だと思うんですけど‥

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独自研究のすすめ

 

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自然界に善悪はない

写真は夾竹桃(キョウチクトウ)。

私は広島に来るまで見たことも聞いたこともなかったが、広島ではどこにでも生えている。

「広島市の花」なのだ。

東京で見かけなかったのは、毒性が強いせいかもしれない。枝を串焼きの串に使っただけで死亡した事例があるほどで、wikipediaによると

花、葉、枝、根、果実すべての部分と、周辺の土壌にも毒性がある。生木を燃やした煙も有毒であり、毒成分は強心配糖体のオレアンドリンなど(#薬用も参照)。腐葉土にしても1年間は毒性が残るため、腐葉土にする際にも注意を要する。‥‥

なぜそれほど毒性の強いものが「広島市の花」なのか。
市のウェブサイトにはこうある。

原爆により75年間草木も生えないといわれた焦土にいち早く咲いた花で、当時復興に懸命の努力をしていた市民に希望と力を与えてくれました。

放射能汚染にも負けずに咲き誇るその強さと、毒性の高さは関係があるのだろう。自然界には善も悪もないということを思い出させてくれるよい話だと思う。

人間が作った「正しさ」

そう、自然界には善も悪もない。人間社会も自然界の一部なのであるから、やはり、善も悪もないはずである。それなのに、善と悪があり、正義と不正義があるような気がする理由は簡単で、人間がそれを作っているからである。

「正しさ」は、約7万年前に生まれた(多分)。人間が「社会」の中で生きるようになったとき、その社会を統制するために「正しさ」を作ったのだ。

「正しさ」を作ったといえばいかにも不遜な感じだが、カタツムリは殻がなければ生きられないのと同じで1本当にそうかと思って調べてみた。wikipediaにはこうある。「殻と体は別物ではなく、殻は体の器官の一つであり、中に内臓がある。よって、カタツムリが殻から出たらナメクジになるということはなく、殻が大きく破損したり、無理に取ったりした場合には死んでしまう。他の巻貝も同じである。」人間は社会を作らなければ生きられない。人間がそのような生物として存在している以上、社会に奉仕する「正しさ」にも存在意義はあり、それをほどほどに使って社会を整えることは、自然界の法則を侵すことではないだろう。

とはいえ「正しさ」が人間が(脳内で)作り出した便宜であることは、よくよく認識する必要がある。

もし宇宙に「正しさ」というものがあるとすれば、それを司るものは神である。

人間が、架空の「正しさ」を信じ、自ら神であるようにふるまえば、人間は宇宙(自然界)にとって有害な存在となり、やがて淘汰されていくだろう。

学問と「正しさ」

近代以前の世界で「正しさ」を作る最大の権威は宗教であり伝統であったが、近代以降は「学問」がそれを担うようになった。

学問が用いる手法は、近代以前の宗教と比べると、科学的であったり、(議論を重視するという意味で)民主的であったりする。しかし、「正しさを作る」という機能においては、宗教と一ミリも違わない。一ミリもだ。

「いや、少なくとも自然科学は、真実を探究しているのであって、「正しさを作る」などということはしていない」という方がいるだろう(いてほしい)。

半分賛成、半分反対である。

真実というものはある。生物のこれこれの形質がゲノムによって決まっているとか、ゲノム配列がこれこれだとかいうことは真実に属することであろうし、その他自然科学が扱っているほとんどの物事は、真実か真実でないかを問うているといえる。

しかし、自然科学は、それで満足するだろうか。

自然に関する真実の解明は、ほとんどの場合、技術開発につながっており、社会を「よく」したり、疾患や自然災害に「よりよく」対処するために用いられる。

もっとも顕著な例の一つは医学である。

医学は病気を治したり防いだり苦痛を緩和したりするための学問で、医学研究で得られた知見はすべてその目的のために役立てられることになっている。

そこにある「正しさ」は強烈である。「病は治るべきである」「病は防ぐべきである」、もっというと、「人は死ぬべきではない」。このような「正しさ」に仕える立場にあって、純粋に真実を探究するのは、ほぼ不可能だと私は思う。

自然科学は、科学的手法による真実の探究を手段として用いることで、真実とは別種の「正しさ」を作っている。「正しさ」への関与は人文科学に決して劣らないし、影響力の大きさ、そしてしばしばその自覚が皆無である点で、「正しさ構築度」はいっそう高いといえる。

・・・

私が研究者になったのは、自分がどんな世界に暮らしているのかを知りたかったからだと思う。そういう漠然とした気持ちだけがあって、何学部に入ったらいいのかとか、何を研究したらいいのかとかは全然分からなかったが、とりあえず大学に入り、研究者になった。

「世界とは何か(どんなところか)」というのは、真実を問う問いである。いろいろな切り口がありそうだし、みんなが納得する一義的な答えは決してでないであろうが、観察と吟味の積み重ねで、真実に近づくことはできる。そういう問いである。

私は学問とは「世界とは何か」という問いに取り組むことだと信じており、どの学問分野も最終的にはその問いに取り組んでいるのだと思っていた。

実際はそうじゃない、ということは入ってみて分かった。

学問の基本的な仕事は、それぞれの領域に関する「正しさ」を作り、それを責任を持って社会に提供することである。

より質の高い「正しさ」、より(人間の)役に立つ「正しさ」を目指す過程では、真実に触れ、目を瞬かせる瞬間があると思う。しかし、それは、大学に所属する研究者の本業ではない。職務に忠実な彼はすぐに我に返り、何事もなかったように、世間が求める仕事に戻るはずである。

一流の研究者とは

研究者がそのような仕事に従事する場合、人間界の「正しさ」がごく限られた意味しか持たないことを自然に理解していることが理想といえる。

社会内存在である前に宇宙内存在として生き、抑制的に「正しさ」に関わることができる人なら、その行動の全体で、「正しさ」を透過した向こう側の真実を表現できるに違いない。

自然科学の研究者であれば、この点は、一流の学者と二流以下の学者を分ける分水嶺として何となく認められているのではないかと思う。

その人柄を透かしてみたときに、学界しか見えてこない人は三流、人間の社会までしか見えてこない人もせいぜい二流、宇宙が透けて見える人が一流だ。

人間社会に対して真に透徹した目線を向ける人が、社会科学ではなく、自然科学の中からときどき出てくるように思えるのは、きちんと宇宙の中に立っている人が自然科学者には一定数いるからなのだろう。

アカデミアには難しい

人間が、架空の「正しさ」を信じ、自ら神であるようにふるまえば、人間は宇宙(自然界)にとって有害な存在となり、やがて淘汰されていくだろう。

「やがて」と書いたが、人間はもう長い間、その架空の世界で生きており、「正しさ」と真実の乖離は甚だしくなっているように思える。

宇宙(自然界)の観点から見たとき、学問に開かれている大いなる可能性は、宇宙の側に軸足を移し、人間が長年かけて作ってきた「正しさ」を解きほぐす作業に正面から取り組むことだろう。

その学問は、宗教とも旧学問とも異なり、人間を人間が思う災厄から救い出すことを約束するものではなく、人間社会における成功を約束するものでもない。人間に、人間自身を含むこの宇宙と折り合いをつけて、品よく生きる方法を教えるものとなるだろう。

しかし、そのような学問を、現在の学問制度の中で営むことができるかといえば、それは多分難しい。

近代以降の学問は、「より多くを知り(=より多くの「正しさ」を作出し)、自由で民主的で豊かな社会を構築する」という、識字化した人類が抱いた大いなる夢を体現する存在であり、この夢があってこそ、現在のアカデミアの隆盛(肥大ともいう)がある。

アカデミアが自ら率先して宇宙の側に立ち、自らが構築してきた「正しさ」を解体すること、それは例えていえば、18世紀、科学革命の衝撃に見まわれた宗教界が、自ら率先して神の不在を証明する作業に乗り出すようなものといえる。

アカデミアという権威がなくなること、そしてアカデミアが担ってきた「正しさ」の不在が露になることは、「大いなる夢」を内面化するアカデミアにとってだけでなく、虚構の「正しさ」に拠って立つ社会にとっても大変不都合なことである。

「社会の負託を受けて」学問をするアカデミアに、「自ら率先して正しさの不在を証明する」仕事を期待するのは現実的ではないだろう。

幸い(?)、アカデミアは真実を追究する存在であるという誤解が容易に解けることもないだろうし。

独自研究とは何か

そういうわけで、お勧めするのが、独自研究である。

独自研究とは何か。wikipediaに定義がある(一部抜粋)。

独自研究 (original research) とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語です。ここに含まれるのは、未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈などです。

なお、wikiによる「信頼できる媒体」の説明は、つぎのようなものである(一部抜粋)。

一般的に、最も信頼できる資料は、査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌です。常識的な判断として、事実の確認、法的問題の確認、文章の推敲などに多くの人が関わっていればいるほど、公表された内容は信頼できます。

Wikipediaが独自研究を排除するのは合理的である。現在の学術制度において信頼性を担保されている情報を提供するのが百科事典の役割だから。

しかし、もし、研究者が、現在の学術制度において評価されることを目指して研究を行い、査読者が歓迎し、主流の新聞や著名な出版社が喜んで出版しそうな研究を行うことを自らの使命としたらどうだろう。

学問は、既存の「正しさ」をなぞり、架空の城をいっそう煌びやかに飾り立てるだけの存在となるだろう。

「もし」と書いてはみたが、これは現実である。研究は行う前から評価が入り、査読論文の本数は研究者としての評価に大きな影響を与える。ほとんどの大学は、現在の学術制度で評価されることが確実な研究を行い、着実に成果を上げ続ける研究者を、理想と考えているだろう。

これを、学問が堕落した結果だと思う人がいるだろうが、そうではないと私は思う。制度としての学問は、最初から、「正しさ」を要求する人間社会に向けて「正しさ」を提供する仕組みとして存在し、その役割を果たし続けているだけなのだ。

大量に生産された「正しさ」のせいで、いっそう真実に近づき難くなっているということはあるにせよ。

再びそういうわけで、独自研究である。

変な言葉だ。

発表前の段階ではすべての研究はoriginalであるはずなのだから(wikiの定義でもそうなる)。

しかし、学問という制度の中では、通常行われる研究はoriginalではない。そのことを示すために、この言葉を選んでいる。

研究としてモノになりそうか、学術コミュニティが認めてくれそうか、先生が評価してくれそうか。世の中に受けそうか、これで食べていけそうか。

そういった社会内計算と無関係のところで、自分の興味だけを頼りに謎に取り組む。

制度としての学問が大いに発達した現代だからこそ、このようなやり方でなければ、真実に近づくことができなくなっている。

「逆説」といいたくなるけど、おそらくそうではない。
単純に、学問とは本来そういうものなのだ。

これは「学問のすすめ」ではありません

念のために言っておくと、人間界の「正しさ」を透過し、真実に近づくために、学問が必要だというわけでは決してない。

「正しさ」に真っ先に(進んで?)騙されるものは知性であり、中途半端な学問は、大抵の場合は「逆効果」となるはずである。

しかし、研究者マインドをもって生まれてきた人間にとって、今ほど面白い状況はなかなかないし、これほどやりがいのある研究課題はないだろう。

何しろ、学問が長年かけて積み重ねてきた「正しさ」が作り物であったことが半ば露わになり、真実がうっすら透けて見えてきているのだから。

架空の世界に住み続けて「正しさ」を練り上げ、世を嘆いて(そうなりますよね?)生きていくのか、それとも、敢然と「正しさ」を解きほぐし、宇宙(自然界)の側に主軸を置いて、真実を見据えて生きていくのか。

どちらが楽しいかははっきりしていると思う。

以上、世間で言われていることや、学問が教えることに違和感を持ち、「本当のことを知る方法はないのかなー」と思っている人に届いたらいいと思って、書きました。

  • 1
    本当にそうかと思って調べてみた。wikipediaにはこうある。「殻と体は別物ではなく、殻は体の器官の一つであり、中に内臓がある。よって、カタツムリが殻から出たらナメクジになるということはなく、殻が大きく破損したり、無理に取ったりした場合には死んでしまう。他の巻貝も同じである。」
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なぜロシアはいま戦争を始めたのか (翻訳・紹介)

以下は、Ted Snider, Why Russia Went to War Now, April 26. 2022, Antiwar.com の雑な翻訳です。

取材と信頼に足る情報に依拠してコンパクトにまとめられた労作です。

ロシアとウクライナの戦争については、この記事この記事で背景事情に関する調査結果を書きましたが、戦争に至る過程におけるウクライナの動きなどをもうちょっと具体的に知りたいと思っていたところ、この記事に行き当たりました。

ウクライナ、アメリカ、ロシアがどう動いたかがよく分かります。

ご関心の方はぜひご一読ください。

* * *

2019年4月、ウォロディミル・ゼレンスキーは、決選投票で73%の票を獲得して大統領に選出された。選挙公約はロシアとの平和的関係の構築とミンスク合意への署名だった。ミンスク合意は、アメリカが支援した2014年の政変〔ユーロマイダン革命〕の後、住民投票で独立派が勝利したドネツク州とルガンスク州(ドンバス)の2州に自治権を約束するものだった。

しかし、平和構築のための重大な責務を引き受けたにもかかわらず、ゼレンスキーはロシアとの外交交渉路線を放棄せざるを得なかった。「もしプーチンとの交渉路線を続けるなら‥‥〔殺す〕」と極右勢力から脅迫を受けたためである(以上は、Stephen Cohen教授(Professor Emeritus of Politics and director of Russian Studies at Princeton)の2019年の発言による)。極右勢力は僅かな支持にかかわらず多大な権力を振るっていた。こうした圧力の下、ゼレンスキーは、「ナショナリストに挫折を強いられた」のだと、Richard Sakwa教授(Professor of Russian and European Politics at Kent)は筆者に語った。選挙公約に反し、ゼレンスキーは、ドンバスの州知事たちとの交渉およびミンスク合意の履行を拒否した。

ゼレンスキーが〔極右の脅迫にもかかわらず〕選挙公約の路線を維持するためにはアメリカからの支持が不可欠であったが、アメリカは彼を公約路線に押し戻すための助力を一切提供せず、平和路線からの離反を決定づけた。Sakwa教授によれば、「ミンスク合意に関して言えば、アメリカもEUも、キエフ〔ウクライナ政府〕に対して合意の履行を真剣に働きかけることはなかった」。Anatol Lieven(senior research fellow on Russia and Europe at the Quency Institute for Responsible Statecraft)も「彼らは、ウクライナに合意を履行させる努力を一切行わなかった」と述べている。

ミンスク合意に描かれた外交的道筋からの離反を余儀なくされ、復帰のための助力も圧力も得られなかったゼレンスキーは、極右勢力に屈し、選挙公約と正反対に、クリミアの奪還・再統合を目指し、そのためには武力行使も辞さないとするクリミア・プラットフォームCrimea Platform)を樹立する法令を制定した。第一回のクリミア・プラットフォームサミット会合には、全てのNATO加盟国が参加した

ゼレンスキーはロシアとの戦争の用意があると威嚇し、Sakwa教授によれば、ウクライナは10万の兵力とドローンミサイルをドンバスに接する東の国境沿いに集めた。これは、2022年にロシアがドンバスに接する西側国境沿いの兵力増強を行う前のことである。モスクワはこれを、ウクライナが7年来の内戦をエスカレートさせ、ロシア系住民が多数を占めるドンバス地域を大規模に侵略することを知らせる「真の警鐘」と受け取った。

ちょうどこの頃、2022年2月、ウクライナによるドンバス地域への砲撃回数が劇的に増加し、警鐘はさらに高まった(砲撃の増加はOSCE(欧州安全保障協力機構)の国境監視ミッションによって確認されている)。Sakwa教授は、停戦合意違反のほとんどはウクライナのドンバス側での爆撃によるものだと筆者に語った。国連のデータによると、民間人を犠牲者とする被害の81.4%は、「自称「共和国」」(”self-proclaimed ’republics’” 〔ドネツクとルガンスクのこと〕)で起きていた。ロシアはウクライナが予告していた軍事作戦が開始されたと考えた。

ゼレンスキーはドンバスの州知事たちとの協議に応じず、ミンスク合意は死に体となった。ロシアはドンバス地域のロシア系住民に対する軍事行動を恐れた。同じ頃、ワシントンはウクライナを武器で溢れさせることを約束する武器供給網となり、かつ、NATOへの扉を開いた。どちらもプーチンが超えてはならない一線であることを明確にしていた行為である。

この戦争の1年前、アメリカはウクライナに4億円の防衛援助を行なっていた。バイデンは「新たな戦略的防衛フレームワーク」に言及、「防衛援助」に、新たに初のleathal weapons(核兵器?)を含む6000万円分のパッケージを追加することを約束した。

ウクライナをleathal weaponsを含む武器で溢れさせる一方、アメリカとNATOは、ウクライナのNATO不加盟を約束することを拒んだ。バイデンとの会合の席で、ゼレンスキーはまたしても「バイデン大統領と、この席で、ウクライナのNATO加盟のチャンスとそのスケジュールに関する大統領及び合衆国政府のヴィジョンについて議論したい」と述べた。バイデンはあからさまな間接表現で「ウクライナのヨーロッパ―北大西洋願望への支持」を表明し、アメリカのウクライナへの支持は「完全にヨーロッパと一体の動きとなる」と述べた。2021年10月、アメリカ合衆国国防長官ロイド・オースティンは再びウクライナに対する「NATOの扉は開いていると強調」した。

11月、アメリカは、ウクライナのNATO加盟に必要な〔防衛力〕刷新の援助のためのUS-ウクライナ戦略的パートナーシップ憲章に署名した。当該文書には、アメリカとウクライナは2008年のブカレストサミット宣言を指針とする旨の記載がある。2008年のブカレストにおいて、アメリカとNATOはウクライナがいずれNATOのメンバーになることを保証した。「NATOはウクライナおよびグルジアのNATO加盟に向けたヨーロッパ-北大西洋願望を歓迎する。われわれは今日、この両国が将来NATOのメンバーとなることに合意する。」

10年を優に超える期間を通じて、プーチンはNATOのウクライナへの拡大を超えてはならない一線として警告し続けてきた。今、ウクライナがドアを叩き、アメリカとNATOは勧誘の手を伸ばし続け、扉を閉めて施錠することを拒絶し続ける中、外交上の譲歩を余儀なくされたプーチンは、アメリカに相互防衛保証(mutual security guarantees)の提案を持ちかけ、直ちに交渉に応じるよう依頼した。

ワシントンは武器のコントロールに一定の柔軟性を示す一方で、「アメリカ合衆国は、ウクライナ領内における攻撃的地上発射ミサイルシステムおよび常設軍の配備の差し控えに関し、アメリカ合衆国とロシアの双方による条件ベースの互恵的で透明性のある手段および互恵的関与に関し、喜んで話し合う準備がある」と答えた。要するに、ウクライナのNATO加盟の可能性が開かれていることについては、議論の余地をキッパリと否定したのである。アメリカの反応は非妥協的で、「アメリカ合衆国はNATOの開放政策を固く支持する」という強固な立場を繰り返した。

ロシアは協議を持ちかけ、アメリカは応じようとしない。実際、アメリカに交渉に応じる意思は全くなかった。合衆国国務長官アントニー・ブリンケンの顧問であるDerek Cholletは最近NATOのウクライナへの拡大方針に関する交渉は一度も検討課題とならなかったことを認めた。

NATOのウクライナさらにはロシア国境への拡大という目の前の脅威に関するアメリカとの協議が実現する見込みはない。ウクライナは扉を叩き続け、アメリカは開放方針を堅持する。アメリカにとっては、ロシアとの交渉は検討課題ですらない。こうなれば協議は終了である。ウクライナはクリミアとドンバスを取り戻すと公言している。彼らは交渉を拒否しており、いまや国境に大量の兵力が集められた上、砲撃回数は恐ろしいほどに増加していた。ロシアはドンバス侵攻とロシア系住民に対する作戦が今すぐにも開始されることを恐れた。

ロシアがウクライナ侵略を決めた瞬間である。これらの事情は侵略を法的に正当化するものでも、倫理的に正当化するものでもない。しかし10年以上にわたる警告ののち、ロシアがなぜいま戦争を選んだのかの説明にはなるだろう。

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これだけ知っておくといいかも
ウクライナ戦争

日本はアメリカの同盟国で、「西側」の一角です。

なので、「ロシアのプロパガンダ」には警戒するけど、「西側」のプロパガンダには弱い。「西側」に都合のよい情報以外はほとんど入ってきません。

でも、ロシアは日本のお隣の国で、これからも世界に存在し続けます。その人たちを排除して、仲間外れにして、言い分も聞かずに「制裁」して、平和なんて成り立つわけがないじゃん、と私は思います。

そう思って勉強し、私が理解した事実の中から、せめてこれだけ知っていれば、この戦争を公平に見ることができるのではないか。そう思える情報を、3点にまとめて、共有させていただきます。

①ウクライナ戦争は、ロシアとウクライナの戦争ではなく、ロシアとNATO(西側)の戦争です。

〔解説〕

・戦争に至るまでの交渉で、ロシアが要求していたのは、「NATOはウクライナを加盟させるな」の1点でした。交渉の相手がウクライナでなく、西側諸国の首脳であったのはそのためで、彼らが「ウクライナを加盟させない」といえば、戦争は防ぐことができました。しかし、西側は一切の譲歩を拒否し、ロシアの侵攻を招きました。

・西側は、この戦争を「ロシアのいわれのないウクライナ侵略」と位置付け、「被害者であるウクライナ側を支援する正義の味方」としてふるまっていますが、それは事実と違うと思います。この戦争の真の当事者は西側で、ちょっととげとげしい言い方をしますが、ウクライナはNATOの代わりにロシアと戦わされているのです。

・こうした事情を、ウクライナ国民の多くは理解していません。しかし、西側諸国はもちろん理解しているし、ゼレンスキーも(少なくともある程度は)理解していると思います。

②引き金を引いたのはロシアですが、ロシアに銃口を向け続けたのはNATO(西側)です。

〔解説〕

・共産圏封じ込めのために結成された軍事同盟であるNATOは、ソ連崩壊後も解散せず、「東方拡大」と呼ばれる拡大政策を続けました。東欧地域やバルト三国など、ロシアの周辺国をどんどん仲間に引き入れるNATOの動きは、ロシアから見れば、ソ連崩壊後も西側諸国(とくにアメリカ)がロシアを一方的に「敵」と位置付け、軍事的圧力を加えようとしていることの現れに他ならないと思います。

・とりわけ、隣国であり兄弟であるウクライナへのNATOの積極的な働きかけは、ロシアには非常識なほど攻撃的に見えると思います。(架空の例に例えていうと、日本の中央政府に不満を持った東北地方が、中国・北朝鮮との軍事同盟に誘い込まれる、みたいな感じでしょうか。)

・とくにコソヴォ紛争の例を念頭に置くと、ウクライナへのNATO軍の展開は、ロシアへの宣戦布告くらいの意味を持ちうるのですが、ご関心のある方はこの部分をご覧ください。

③独立ウクライナの国家経営は順調ではなく、その政情不安はロシアの懸念材料でした。NATO(西側)はその懸念を理解せず、不満分子の暴発を「民主化運動」と捉えて支援し、政情のいっそうの不安定化を促しました。

・ソ連崩壊によって独立したものの、困難な状況から抜け出せなかったウクライナでは、とくに貧しい西部地域で不満が高まり、ナショナリズム(≒ 反ロシア)が高揚しました(ロシアが「ネオナチ」「ファシスト」に言及することにはそれなりの理由があります)。

・ウクライナはロシアの隣国である上、ロシア系住民が多数住んでいます。ウクライナの不安定化はロシアにとっては深刻な脅威です。

・西側諸国は、こうしたロシアの懸念を理解せず、「反ロシア勢力=民主化勢力」と短絡的に理解して、台頭する西部勢力を支援し、NATOに誘い、彼らのナショナリズム(≒ 反ロシア感情)を煽りました。

・西側の行動は、ロシアには、隣国の政情不安に付け込んで、自らの軍事的勢力圏を拡大しようとする無責任で攻撃的な行動に見えると思います。

・ ・ ・

ロシアがついにウクライナに軍事侵攻をしてしまう背景には、このような事情がありました。こうした構図は、「西側」の私たちにはほぼ知らされていませんが、ロシアの人々が見ている絵であり、ロシア以外の「非西側」諸国の人々も、同じような絵柄を見ているはずです。

私は戦争一般を好みませんが、ウクライナ戦争が、平和を望む西側に対し、好戦的なロシアが一方的に仕掛けた戦争であるとは見ていません。平和を望んでいたのはロシアも同じです。なので、ロシアだけに全責任を負わせようとする「西側」の態度は、公正ではないと感じています。

だからどうということはありません。どちらがいいとかよくないとか言いたいわけでもありません。ただ、読んでくださった方の気持ちがほんの少しでもニュートラルな方に傾けば、その分だけでも世界は平和に近づくのではないかと思って、このようなものを書いている次第です。

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私に講師資格はあるのでしょうか?(エマニュエル・トッド入門講座 講師自己紹介)

 

日本における法学

私のもともとの専門は法学(刑法学)です。2018年度まで法科大学院で刑法を教えていました。

つまり、人類学者でも人口学者でも歴史学者でもないのですが、ある日ふと、「(日本では)法学者って意外とこの任務に向いてるんじゃないか?」と思いました。考えて、確信が持てたので、「エマニュエル・トッド入門講座」を始めることにしたのです。

「法律、それも刑法なんていう狭そうな領域の研究者がトッドの理論の解説に向いてるなんて、あるわけないだろう」と思った方のために、ちょっとご説明させていただきます。

明治時代、日本に初めて大学ができたとき、どんな学部があったかご存じですか。

明治10年に発足した東京大学が持っていたのは、法学部、文学部、理学部、医学部の4つでした。政治学部もないし、経済学部もない。社会科学にあたるものは、法学しかありません。

ちなみに現在も日本に「政治学部」というのは存在せず(過去にはあったそうですが)、法学部の中にあるケースが多いです。現代のヨーロッパやアメリカでは、政治学は独立していたり人文社会科学や歴史と結びついているケースが多いようなので、法学との結合がスタンダードである日本は特殊なケースだと思います。

なぜか。いくつかの理由を思いつきますが、一番本質的な理由は、日本を西欧に伍する近代国家にするためには、何よりもまず、西欧と同じような(=近代的意味の)法制度そのものの構築が必要であったということだろうと思います。

なお、「近代的意味の法」とか「近代法」とかいう言葉は、専門用語の一種です。近代に法律を作れば何でも「近代法」になるというわけではなく、「近代法」というためには、いろいろとうるさい条件があります。

こうした条件を備えた法制度を持ち、それに基づいて国家が運営されているということが、欧米列強から信頼に値する国家と認められるためにどうしても必要だった。当時の日本にとって、新しい社会を作るということは、新しい法制度(に基づく国家)を作るということとほとんどイコールであったのです。

このような事情の下で、法学という学問は、明治以降の日本に、西欧的な「新しい常識」を導入するチャネルとして機能することになりました。西欧から思想や制度を輸入して、日本で受け入れ可能な形に整えて、社会に供給する。社会の要請の下で、日本を西欧式の国家に変えるための革命の綱領を作り続けたのが法学であった、といういい方もできるでしょう。

最近は廃れてきましたが、戦前・戦後の日本には、一般社会人を目指している(=法曹資格を取るつもりがなく、公務員を目指しているわけでもない)人が進んで法学部に入って勉強するという伝統がありました。それは、法学が、西欧に学んで新たな文明国家を築き上げるための「新しい常識」を供給する学問だったことの反映です。当時はみんなが「西欧式の新しい常識を身につけなければいけない」と思っていたのですね。

「新しい常識」(ないし革命の綱領)の根幹にあるのは、もちろん、近代主義=西欧中心思想です。つまり、法学は、エマニュエル・トッドの理論によって否定される運命にあるその思想の普及について、非常に大きな責任を担っているのです。

革命は成功しなかったー法学者は知っている

もう一つ、トッドへのコミットメントという点ではより本質的かもしれない事情があります。

法学は、明治以来、西欧的な常識に基づいた法制度の構築を助け、講義し、その運用を見守ってきました。行政の審議会やら民間の様々な会議に出席し、人々が従う制度が法の基本を踏み外さないように注視し、意見を述べてきました。

しかし、それによって、西欧的な法制度は日本に定着したのか、というと、してません。何度でも言いますが、「近代法」の一番肝心な部分(「法の支配」と言われるものです)は、日本に根づいていません。そして、そのことを一番よく知っているのは、法学者なのです(よく知らない法学者もいるとは思いますが、ちょっとおめでたい人だと思います)。

「法の支配」が根付いていないとはどういうことか。一言でいいます。日本は法治国家(「法の支配する国家」の意味で使います)としては、行政の裁量権が強すぎるのです。「法の支配」の核心は統治機関(≒行政機関)を法のコントロールの下に置くことにあります。しかし、日本の場合、法は形ばかりは存在し行政の上に君臨しているようなフリをしているけれども(行政も法に従っているようなフリをしているけれども)、あらゆる領域で、重要事項の決定権を持っているのは行政です(ある行為を犯罪として処罰するかどうかを決める権限ですら、実際に行使しているのは検察官(=行政官)です)。

法律があろうがあるまいが行政が様々なことを差配し、国民がそれに従うというのは日本の人にとっては普通のことです。普通すぎて、「法の支配」とかその派生原理である「法律による行政」などを説明してもポカンとされてしまう。そのくらい普通だし、それこそが行政の責任だと思っている人も少なくない(行政官の中にもそういう人がたくさんいます)。このような社会のあり方は、しかし、もしも日本が西欧式の法治国家であるならば、明確に否定されなければならないはずのものなのです。

トッドは何度か日本を訪れていて、日本の研究者と対談や議論をしています。その記録を読んでいて、感じるのは、文学や歴史人口学の専門家の方たちが、トッドの理論の妥当性について疑念を持っている、あるいは確信を持てていないということです。この「迷い」は、おそらく、彼らに(例えば「トッド入門」を書くような)トッドの理論への全面的なコミットメントを躊躇わせる理由になっています。

彼らには、つぎのような逡巡があるようなのです。

「確かにトッドの理論にはなるほどと思うことが多い。しかし、家族システムにかかわらず、政治制度や法制度は、国家が法律を定め、制度を打ち立てることで、変えることができるはずである。そう考えなければ、明治以降(あるいは少なくとも第二次対戦後)の日本で、「近代的な」(西欧風の)政治制度、法制度が確立されたという事実を否定することになってしまうのではないか。」

例えば、速水融(歴史人口学)は、トッドとの対談で、次のような問いを発しています。

速水 ‥‥ 政治とか国家とか法制、これをどうお考えでしょうか。つまり、政治や国家や法制によって、家族構造あるいは農地制度というのは変わるものなのかどうか。というのは、日本を考えたときに‥‥明治になって日本が統一されてはじめて、明治政府が日本全体に適用される法律をつくろうとします。‥‥明治政府がまずやったことは、特に民法ですけれども、フランスからボワソナードという民法学者を呼んで、日本の民法を作ろうとしました。ところが民法典の案ができた時に、ドイツ法を学んだ穂積八束という日本の法学者が猛反対しました。つまりこれは日本の慣行に合わないと。そこで民法典論争という猛烈な論争が起こって、結局、ボワソナード派は負けてしまいます。そして日本的な民法、つまり長子単独相続を基本とする民法ができ、それが戦後までずっとつづきます。ところが戦後になって、今度は日本はアメリカに占領されて、そこでまた民法の改正があって、分割均分相続になります。

そのように法律がどんどん変わっていきます。こういうことは、たぶんフランスでは考えられないと思いますけれども、現実にわれわれ日本に生きている者としては、そういう中で変わっていくものだと考えざるをえない。民法だけでなくて、憲法からしていろいろ問題を含んでいますけれども、一体全体、政府や国、とくに法律はそういう社会の慣行を変える力を十分もっているとお考えかどうか伺いたいのです。

エマニュエル・トッド(石崎晴己 編)『世界像革命』(藤原書店、2001年)157-158頁)

ふふふ。
ご安心ください。

今から約20年前(2001年)、内閣に設置された司法制度改革審議会は、司法制度の改革に向けた意見書をまとめました。

この意見書は、なんと(?)、つぎのような文章で始まっています。

民法典等の編さんから約100年、日本国憲法の制定から50余年が経った。当審議会は、‥‥近代の幕開け以来の苦闘に充ちた我が国の歴史を省察しつつ、司法制度改革の根本的な課題を、「法の精神、法の支配がこの国の血肉と化し、『この国のかたち』となるために、一体何をなさなければならないのか」、「日本国憲法のよって立つ個人の尊重(憲法第13条)と国民主権(同前文、第1条)が真の意味において実現されるために何が必要とされているのか」を明らかにすることにあると設定した。

これを読んで、驚く方もいるのではないでしょうか。何しろ、2001年の日本における根本的な課題が、「法の精神、法の支配を「この国のかたち」とすることであり、個人の尊重と国民主権を実現すること」なのです。「日本国憲法って何なんですか」と言いたくなりますね。

しかも、この「意見書」の中に、日本がいかに法の支配を欠き、個人の尊重、国民主義を実現できていないかを論証する文章はありません。つまり、この文章を読む関係者にとって、「法の精神、法の支配が日本に根づいていない」という認識は、争うまでもない、当然の前提として共有されているのです。

私の経験

私自身の経験もちょっとお話ししようと思います。

私は、中高生のころから、ただ社会に興味がありました。どの専門科目を選べばよいのかわからなかったので(今もわかりません)、何となく法学部に入りました。講義に出て直ちに「間違えた!」と悟り、あまり授業に出ない学生として4年間を過ごしました。

でも、学者にはなりたかった。なりたかったので、手近にあった刑法学の道に進みました。

真面目に取り組んでみたらこれが意外に面白く、資質としては向いていました。

よく覚えているのは、好き放題に本を読んで物を考えていた大学時代を終えて、大学院で法学の研究を始めたとき、「なんかラク」と感じたこと。

何ていうのでしょう。法学の中の概念って、みんなカッコがついているのです。まったく手ぶらで、ただ一人の思索がちの人間として、例えば自由という言葉を使うとすると、そんなものは本当にありうるのか、あるとしたら何なのか、そんなものを論じることに意味があるのか、‥‥と無限に疑問がついてまわってくるものですが、法学の中だと、ある程度専門用語として、「ここでいう自由はその自由ではなくて、あくまで「法学的な意味の」自由ですから~」という感じで、さくさくと議論を先に進めていける。しかも、その議論は、現に存在し機能している法制度をよりよく機能させるための議論なのですから、大前提として「意味はある」。

しかも、法学、なかでもとくに刑法学という学問は、根っこにある価値観が、リベラリズム、それも(詳しくは知りませんが)古典的リベラリズムといわれる、イギリス庶民(あるいはパンクロック)のような素朴な自由主義思想です。

自分の知的能力を駆使して、素朴な自由主義に基づく分析をすれば、評価され、世の中の役に立つ(らしい)。何と夢のようなことでしょうか。

そういうわけで、私は、非常に消極的な理由で選んだ刑法学の道を歩み続けることになりました。ずっと後になって「カッコがついている」ということの意味を思い知ることになるのですけど。

日本社会の現実を知る

私は刑法学者であると同時に医事法学者でもあります。医療や医学研究の領域では、様々な形で現場と関わる仕事をさせてもらいました。

研究機関の倫理委員会から、研究プロジェクトの法的・倫理的・社会的課題を検討するための委員会、厚生労働省や文部科学省の審議会にも多数参加しました。医療や医学研究に関連する学会などのシンポジウムなどに呼んでいただいて講演をしたり討議をすることもありました。

私に声をかけてくれる方というのは、基本的に、現在の法制度(というより、多くの場合は、インフォーマルな行政指導的規制)に満足しておらず、「なんかおかしいと思うんだけど本当のところどうなの?」「本当に自分たちが妥当だと思うことを正当に実施していくためにはどうしたらいいの?」と思っている方たちです。

そういう方達と一緒に、あるべき姿を考えていく仕事は本当に楽しかった。法学者から見ると、行政の規制のあり方や現場の常識などはツッコミどころ満載なので、「法学的にはここはすごくおかしくて、ほとんど憲法違反」「こうやれば問題ないはず」「ここについては公的な規制がない状況だから、自主的にガイドライン的なものをつくってやっていくのがよい」等々と指摘し、実際にルール案を一緒に考えたりもしました。

「おかしい」という法学者からの指摘は、医学系の研究者の方々にとっては、目から鱗というか「え、ほんと?」という驚きであったようでした。私たちの指摘や提案は、彼らには喜んで受け入れられ、とてもやりがいを持って仕事をすることができました。

しかし、10年以上もそんな仕事を続けると、頭でっかちな法学徒にも、日本の現実が見えてきます。

私たちがどれほど法理論上の誤りを指摘し、みんなを感心させても、現場の状況がまったく変化しないのはなぜなのか。

この間には私自身も少し偉くなり、行政の審議会などで、法案の内容に正面から意見を言える立場になっていました。しかし、ごく標準的な法学的立場に立って意見を述べて、その場にいるほとんどの人を納得させても、はたまた行政官と裏で何度も議論をし、憲法違反の疑いを払拭するために必要な措置を伝え、何度「わかりました」と言わせても、肝心なポイントが修正されることは決してない。いったいなぜなのか。

答えは一つしかありません。

日本の法制度は、日本の社会で通用していないということです。

日本社会は、法学の教科書(=社会科の教科書)に書いてあるのとは異なる、固有のシステムで成り立ち、動いている社会である

もし、これが「近代化の遅れ」であるなら、改善の努力を続ければよいのですが、私一人の経験からも、そんな生やさしいものでないことは、明らかであるように思えました。その上、「民法典等の編さんから約120年、日本国憲法の制定から70余年」が経った2021年に、このシステムはビクともせず、見ようによっては、ますます強まっているように見えるのです。

さて、どうしたものか。

法学を離れる

法学者の中には「法が大好き」という人がいます。近代法の思想に強く惹かれ、それを法制度として機能させることに情熱を抱く人たちです。この人たちは、日本社会に、近代法が定着していないことを知っていると思いますが、「少しでもそれに近づけることが日本社会をよくする道だ」と信じて、活動を続けているのだと思います。

また、東大を出て、とくに優秀な東大教授として名を馳せるような人たちは、日本社会と法理論との齟齬をおそらく熟知していますが(意識化の程度は人によります)、その中でなんとか折り合いをつけることを自らの使命としている人たちといえます。

近代主義の理想との相違をことごとしく非難したりせず、職人的なバランス感覚で落とし所を探るのが彼らの職責です。

私は、法に関心があったわけでも、エリート官僚的なメンタリティで日本社会を導くことに関心があったわけでもなく、単に「社会に興味がある」というだけで法学者になりました。近代法の理想(リベラリズムですね)は、自由を求める若い者には何しろ魅力的なものなので、私もしばらくの間は幻惑され、「法が大好き」という人たちと同じように、「日本社会を少しでもそれに近づけること」に対して、情熱をもって取り組むことができました。

しかし、「教科書に書いてあることって、全部フィクションだったのか」と、おなかの底からしみじみと理解してしまったとき、それでも同じ活動を続けるのは、私には無理でした。

私は不可能なことのために活動することができない人間なのです。ご存知のように、なかには道徳的な感情、価値あるいは善なるものを提唱するだけで満足し、それが実現できるかどうかについては関心をもたない人々がいますが、私はそうではありません。絶望の歌が最も美しい歌であるとは思わないのです。虚空に向かって叫ぶこと、自己満足のためにいくつかの価値を提唱することには、関心がありません。

エマニュエル・トッド(石崎晴己 編)「世界像革命」(藤原書店、2001年)120頁

この状況で、社会科学者である自分のやるべきことは、現実をフィクションに近づけようとすることではなく、現実をよりよく知り、伝えていくことであるように思えました。何より、高校生の自分は、まさに「それ」を知りたかったのですから。

しかし、それはもう刑法学の仕事ではありません。法学とも言えないでしょう。仕方なく、私は仕事を辞めて、現在に至ります。

奇跡に見舞われる

では、法学部に入り、刑法学者になったことを後悔しているかというと、それは全くしていません。

大学を辞めて、歴史とか、経済とか、いくつかの気になる分野を勉強し、同時に、改めて、トッドの理論に取り組みました。そのとき感じた気持ちを、どう表現したらよいのか。

昔、福田恒存が小林秀雄の文章について、「(この文章を)これほど味わうことができるのは自分だけではないかと、これは自惚れとはまったく異なる、深い幸福感のようなものを堪能した」という趣旨のことを書いているのを読んだことがあります。池田晶子さんも小林秀雄について同じようなことを書いていたかもしれない(福田恒存のその文章も引用していたかもしれない)。

「こんなことを言えるなんて、すごいな~」と思っていましたが、いま、私がトッドの理論について感じるのはまさにこれです。

社会に関心を持ちつつ、なりゆきで実定法学者になり、西欧近代の物差しを現代日本にきっちり当てはめてみた。ああすればいい、こうすればいいと言ってやってみても、その目盛り一つがどうしても動かない。その過程で得た認識、経験した感情のすべてが、現在、私がトッドの理論に全幅の信頼を置き、理解し、味わい尽くす下地になっているのです。

おかげで、現在の私は、高校生のときに知りたかったことをすべて知り、その先を考えることができるようになっています。なんてありがたいことでしょうか。奇跡です、奇跡。いや、本当に。大して興味もないのによく法学を選び、研究者にまでなったと、自分を褒めたい気持ちでいっぱいです。

他の領域で研究をしていたとしたら、おそらく、文理を問わず、社会に一定の関心がある真面目で良心的な人々のほとんど全てが抱いているリベラリズムの夢ないし幻想を完全に捨て切ることはできなかったでしょう。

ちょっとおかしいと思いつつ、「合理的な」提案をし、変える努力をして、変わらないと嘆くことを繰り返す。そんな知識人であり続けたと思います。

いま、そこら辺から外に出て、次に進むことがとても大事だと思うので、準備ができている人たちと一緒に、それをしようと思います。

その第一弾が、エマニュエル・トッド入門講座です。

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行政の立ち位置

 

普通に頭がよさそうで、普通にいい人そうな人が、日本の総理大臣になるのはすごく久しぶりだ。それだけで私はとても嬉しい。

それ以上に政治家に多くを期待する習慣はないが、岸田氏にはほかにもずいぶん期待できるところがある。新自由主義的政策の転換もそうだし「政治主導」とか言わないところもいい。行政官に対して敬意を示し、協力を仰いでやっていく姿勢を示しているのは、日本における自民党の立ち位置をよく理解していることの表れだと思う。本当によかった。

書斎の窓の連載で「第4回 日本の近代ーー国家篇」を書いたとき、原稿段階では「行政の立ち位置」という項目を設けていた。字数の関係で削除せざるを得なかったので、この機会に、貼り付けておきます。

・・・

行政の立ち位置

行政が占めているのは「優秀な次男坊」の地位であると私は見ている。家督は継げないので、試験を受けて活躍する道を選んだ人たちである(システムの説明である)。

政治を弱点とする日本で、その代わりを務めてきたのは行政であり、この人たちのがんばりなしに、現在の日本はない。にもかかわらず、長男(この文脈では政治であろう)は優秀な彼らをやっかみ、親族一同(国民一同である)は「次男のくせに」と軽んじる。一言でいえば、私たちは彼らに甘えてきたのである。

新たに政治を目指そうという人たちには、行政の経験に学び、行政と信頼関係を築くことを第一に考えてほしいと思う。エリート行政官たちは、理想としてのリベラル・デモクラシーと日本の現実との間で悩みながらも社会を動かし続けてきたのであり、そこには、日本人にフィットしたやり方で民主的な意思決定を行うための知恵が受け継がれている。理想化するつもりはないが、新しく作られる政治に役立つ知恵と経験を持つ「先輩」は、日本には彼らしかいないのである。末期自民党政権が行政の自律性を軽んじ、居丈高にバカ殿の尻拭いをさせるような真似をしてきた後であればこそ、清新でしたたかな政治勢力が最大限の敬意をもって臨めば、彼らは応じてくれるのではないだろうか。

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「権威主義」を使いこなそう(3・マスコミ 日常生活編)

目次

大本営発表的マスコミ報道ーーNHK国営化案

今回、私が結構ショックを受けているのは、マスコミがワクチン摂取後の死亡例に関する報道をひどく抑制していることです。日本の人々は安全性に対して非常に敏感ですから、「こんなにがむしゃらにワクチン接種を推進して、死亡事例が出たりしたら大変なんじゃ…」と思っていたのですが、1000件以上も疑い例が出ているのに大きな騒ぎにならない。騒ぎにならないようにマスコミが報道を抑えている。「無責任に不安を煽るのがマスコミだ」とお思いの方も多いと思いますが、どの不安をどう煽るかについて、マスコミはしっかり空気を読んでいます。権威による統制は、効きすぎるほど効いているのです。

もちろん、報道に携わっているのはごく普通の日本の人たちですから、こうなるのは自然なことです。この社会の一員として、彼らだって、キョロキョロと周りを見て、みんなと「正しさ」を擦り合わせたい。日本の人たちは、長らくそうやって生き延びてきたのですから。

しかし、やはりそれでは困ります。困りますよね?

「少数派」にとってはもちろんですが、基本的には権威に合わせることを好む人たちにとっても、さまざまな情報が提示された上で「合わせる」を選ぶのか、まったく知らないで「合わせる」のかでは、意味が異なります。

選挙で政権が変わることがほとんどない社会でも、日本は「民主的」であると胸を張って言えるのは、人々が、政権に有利な情報にも不利な情報にもアクセス可能な状態で、自らの行動を選択し、選挙に臨んでいる(はず)だからです。政府による締め付けがあろうがなかろうが、権威にとって不都合な情報が出回らない社会を「民主的」ということはできません。

「公共放送」NHKは国営ではありません。政府の資金によって運営すると公平中立な報道ができない、という考え方によるもののようですが、果たしてそうでしょうか。

政治権力からの自由、権力に対する批判性を旗印とする欧米のジャーナリズムは、明らかに「親子関係の自由」を基礎とする核家族システムの産物です。彼らは、力による強制さえなければ、勝手に権力を批判し、そのために必要な情報を探し出してきます。だから、政府との「紐」を外しさえすれば、中立が実現できるのです。

一方、日本のような社会では、権威に配慮するというのは、市井の人々の心に深く根付いた伝統の行動様式であって、強権的な力やら「金」なんかの問題ではありません。紐があろうがなからろうが、勝手に配慮してしまうのです。民営にすればよい、議会の意向を反映させればよい、などという思想には「日本の権威主義なめんな」と言いたくなります。

それでも、民主主義国家の運営のために、(少なくとも「ある程度」)批判的な(=権威から自由な)ジャーナリズムを欠くことができないとしたら、どうしたらいいか。

・ ・ ・

ここまで考えて、私の心に浮かぶものがあります。司法制度です。あれの真似をしたらいいんじゃないか。

「法の支配」の思想に基づく近代的な司法制度は、国民だけでなく、政府にも「法」の制約の下で行動することを求めます。したがって、国民は、政府のやることに文句がある場合には、司法に訴えて、政府をその判断に従わせることができる。

このようなシステムは、核家族システムの人々にとっては「当たり前」です。もともと人間は自由なのだから、政府が便宜的にそれを規制する機能を担うとしても、その範囲が無制限でないのは当然だ、と彼らは考え、このような「自由主義的な」仕組みを作った。

日本の人にとっては全然当たり前ではないこの制度ですが、西欧に学んで制度を作り、真面目に運用することによって、それなりに機能させています。夫婦別姓を求める人が国の立場の不当性を訴えることができるのも、彫師が医師法違反による処罰の適正を争って無罪を勝ち取ることができたのも、日本が近代的な司法制度を導入し、国の機能として、独立の司法機関(裁判所)を営んでいるおかげなのです。

日本の裁判官は、平均的には、保守的な人たちだと思います。しかし、その人たちが、(あえていえば)官僚的な職業意識をもって、真面目に「法」を守ってくれているおかげで、この権威主義的な社会の中に、近代的司法制度という「異界」を維持することができているのです。

・ ・ ・

権威から自由な報道は、民主主義国家にとって絶対に不可欠なものです。これほど重要な社会的機能が、「規制しない」という消極的な方法では実現できないのなら、国は自ら積極的にその機能を作り出す必要があるのではないでしょうか。

NHK(の報道部門?)を国営化するのはどうでしょう。報道規範を法制化し、裁判所と同様の、独立の機関として運営するのです。そうなれば、NHKの人々は、公正中立な報道を保護する者としての責任感と、官僚的生真面目さによって、その機能を日本社会に提供し続けてくれると私は思います。そのときには、NHKの報道が模範となり、民間の報道機関も、過度に空気を読むことを止めるでしょう。

私は冗談を言っていません。本気です。

各社会にそれぞれ固有のシステムがあるということを理解し、真面目に受け止めると、このくらいドラスティックに考える必要が出てくるのです。

「すごくいい案だ!」と私は思うのですが、いかがでしょうか。

同調圧力と忖度

最後に取り上げるのは、同調圧力と忖度です。

責任の不在、過ちの修正が困難、といった「問題」は、主に、権威関係の上位の側に関わるものでした。しかし、社会を作っているのは「上」の人たちだけではない。われわれ全員です。意識するとしないとにかかわらず、ほとんどの人は、この社会のあり方を維持するために、一定の機能を果たしています。

普通の人々が、権威によって統制された社会を守ろうとする、自分もその一部であろうとするとき、よく用いられるのが「同調を求める」という態度です。そして、「正しさ」がどこらへんにあるのかを探ることで、自分もその一部であろうとするときには、上の人の意向を伺う「忖度」になると考えられます。「空気を読む」のも同じです。

このような意思疎通の仕方を生んでいるのは、この地域に定住した人類が、より生存の可能性を高めるために培ってきた「心の習慣」なので、そう簡単には変わりません。そして、今もそうかもしれませんが、社会が「危機」を感じたときに、より強く現れる傾向があります。

「なんで日本だけ」と不快に思う方もいると思うのですが…(本当に日本だけなのかどうかについては、いつか詳しく書きます)でも、これが、イワシがマグロに食べられないように大群で動くとか、犬が人間と仲良くすることで生存可能性を高めているとかいうのと同じように、人類がこの世界に適応して生き抜いていくために獲得した習慣(の一つ)なんだと思うと、まあ、仕方ない、という感じがしませんか。

・ ・ ・

それでも、一つ、はっきり言えることがあります。それは、こうした「心の習慣」に従うかどうかは、倫理の問題ではないということです。

「誰も「空気を読む」ことが倫理的に正しいなんて思ってないよ」と思った方もいると思いますが、本当にそうでしょうか。

「他人に迷惑をかけない」ことを、人として最低限の倫理だと思っている方って少なくないと思います。というか、むしろ、ほとんどの人が、そう思っているような気がします。

たしかに、「迷惑」が、他人を殴るとか、物を盗むとか、そういうことだけを指しているなら、「最低限の倫理」かもしれないと思うのですが、普通、窃盗犯人を指して「あの人、ちょっと迷惑だよね」とか、言いませんよね。

私たちが普段、(自他に対して)「迷惑だなあ」とか「迷惑かも?」と感じる対象は、もっと些細なことです。滔々と意見を述べて会議を長引かせるとか、みんなが単品のパスタなのに自分だけコースメニューを頼むとか、忙しい日に風邪で休むとか、お葬式に普段着で来るとか。

「他人に迷惑をかけない」というときの「迷惑」は、こんな感じで、「空気を読まない言動による和の乱れ」に対して使われることがほとんどです。ということは‥‥そう、そうなのです。「他人に迷惑をかけない」ことを倫理規範として受け入れるということは、世間の空気に従うことを、自らの「倫理的な」行動規範として受け入れることにほかならないのです。

実際、同調圧力や忖度の行き交う社会を「息苦しい」と感じるとしたら、それは、自分自身の中に、「この件については従いたくない気がする。でも‥」「やっぱり、従う方が(倫理的に)「正しい」のかなあ。」「いやあ、でも‥」という葛藤があるからではないか、という気がします。そりゃそうです。日常生活の中で、しょっちゅう倫理的葛藤に苛まれていたら、呼吸が浅くなるに決まっています。

ですので、まずは、はっきり言わせていただきます。「空気を読んでそれに従うことを自他に求める心の習慣」は、生存可能性を高めるという実利的な観点から人類が編み出した適応方法(生存戦略)の一つに過ぎず、倫理(形而上的な善悪)に関わるものではありません。

それは、「倫理的に正しいからルール化された」のではなく、「私たちが(実利的な生存戦略として)ルールを身につけたから「正しい」と感じようになった」(倫理とはそういうものだと言ってしまえばそれまでですが)。順番が逆なのです。

直系家族システムの生存戦略は、実利面から、つまり、現代の世界を生きる知恵として見た場合、「長所もあれば短所もある」という以上のものではありません(他のシステムも同じです)。

ですから、結論としては、「どっちでもいい」。

「是非とも守るべき」という理由はないですし、目くじらを立てて否定することもない。従う方も、従わない方も、好きにすればよいと思います。罪悪感を抱くべき合理的理由は、まったく、これっぽっちもないのですから。

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社会に刷り込まれた「心の習慣」「心のくせ」は、簡単には変わりません(何度も繰り返してすみません)。なので、差し当たっては、社会の側の変化を期待せず、しかし、自分はそれにとらわれずに行動するというのが、お勧めです。

ただ、その「心の習慣」が、誰かよその人が作ってしまったもので、私たちにはどうしようもないのかといえば、決してそうではありません。

集合的心性(心の習慣)は、社会に暮らす人々の心の成分が集まってできています(共通の要素がくっついて層になって底に溜まっている、というイメージです。別稿で詳しく書く予定ですが、さしあたりこちらをご覧ください)。なので、一人が「いち抜け」して、それにとらわれなくなると、その分、集合的心性の濃度は薄まります。空気に加担する(=巻き込まれる)側から、客観的に眺めて笑ってしまう側に移動すると、きっちり一人分、確実に、社会の「権威主義」濃度が下がるのです。

自分自身が自由になる(=倫理的葛藤がなくなって楽になる)ことで、社会全体が「自由」の方向に変わるなんて、すごくラクで、楽しそうで、希望の持てることだと思いませんか。(終わり)