カテゴリー
ARTICLE

「権威主義」を使いこなそう (1)

目次

はじめに

みなさん、新型コロナウィルス対策ワクチンを打ちましたか? 私のことは秘密です。どっちにしてもいろいろめんどくさいので。

新型コロナウィルス対応をめぐって、日本の政治、専門家集団、マスコミ、職場の在り方・・要するに「日本社会」そのものについて、疑問や不満をもっておられる方は多いと思います。

ただ、ずっと日本社会のことを研究してきた立場からすると、これって「いつものこと」です。室町時代の途中からこんな感じになり始めて、ずっと続いているらしいのです。なので、多くの方が「なぜ日本はこうなのか」と思っている、その部分については、少なくとも向こうしばらくは、変わることはないと思います。

一個人としては、その「変わらない部分」については、この社会の「くせ」あるいは弱点として受け止めてしまった方が、心穏やかでいられると思います。

ただ、社会全体としてどうするべきかは、問題です。疑問や不満の対象となるのは、主に、欧米と違っていて、(その部分だけを見ると)欧米の方が優れていると感じられる部分なので、明治以来の日本はずっと、それを「変えよう」「直そう」としてきたと思います。今もそうでしょう。

「変えよう」といって変わるならいい。でも、変わらないとしたら、どうでしょう。「変えよう」「直そう」と言い続けることで、私たちは、自分たち自身に、「まだまだだめだ」「遅れてる」という劣等感を植えつけてきました。しかも、いくら言い続けても、実際には「変わらない」。ということは、その部分に起因する現実の問題は、一つも解決されないわけです。

「変えよう」という前向きな言葉も、こうなるとほとんど「呪い」です。こんな馬鹿げたことは、早くやめた方がいい。むしろ、「変わらない部分」については、「そういうもの」という理解を社会全体で共有し、問題を軽くするための具体的な対策を工夫する方が、ずっと建設的だと思います。背が低いなら台に乗ればいいし、目が悪いなら眼鏡をかければいい。背が低いことも目が悪いことも、恥じることではないのですから。

日本の「くせ」は、農村の家族から

新型コロナウィルス対応に関連して感じられるいろいろな問題点、「誰が決めているのかよくわからない」「対策の効果を検証しているように見えない」「同じやり方に拘泥している」「マスコミの報道が偏っている」「同調圧力が強い」といったことは、すべて、日本社会の権威主義的な性格から来ています。

「ああやっぱり。日本は権威主義的で、嫌な社会だよね!」と思った方がいるかもしれませんが、「権威主義的である」=「よくない」というのは単なる思い込みです。直ちに「嫌だ!」という反応をされた方は、「近代的な(=西欧流の)自由主義=正義」という刷り込みが強すぎる可能性があります。つい先ごろまで私もそうでしたので、気持ちは非常によく分かりますが、今はとりあえず、その考えはどっかの棚にしまって、続きをお読みください。

*エマニュエル・トッドの「人類学システム」*

以下でお伝えする私の考えは、エマニュエル・トッドという人の研究成果をもとにしています。彼は、近代化以降の各社会のイデオロギー体系(政治・経済・行動様式のすべてに関わる基本的な価値体系)は、それぞれの社会の近代化以前の家族システムをほぼそのままに反映していることを明らかにしました。まず、共産主義圏の地図が「外婚性共同体家族」というシステムの地図と一致することに気づき、そこから各地域のイデオロギーシステムと家族システムの重なり合いを検証したのです。結果は驚くべきものでした。

近代化以前の社会とは農村中心の社会で、家族のつながりが中心にある社会です。近代化によって、農業中心の社会は、商工業を中心とした社会に変化しますから、中心となる生活圏も農村から都市に移ります。かつては農村で親族と近接して住んでいた人々も多くは都市に移り住み、狭いアパートなんかで核家族を営むようになるわけです。このとき、一見すると、古い家族システムは崩壊したように見えます。しかし、トッドの研究によれば、家族を司っていたシステムは、近代国家の統合原理として生き続ける。近代化によって、システムが機能する場所は家族から国家に変わるけれども、社会全体の統合のシステムには変化がないのだというのです。

家族のシステムだと思われていたものは、実際には、人類の社会的統合の原理であった。ということから、このシステムのことを、トッドは「人類学システム」と呼ぶようになりました。

権威主義って何?

日本の人類学システムは、直系家族システムです。トッドは最初、この家族を「権威主義家族」と呼んでいましたが、「権威主義」だと「悪!」と決めつけてしまう人が出てくるので、より中立的な名称に変更したのでしょう。

人類学システムの定義において、トッドは「自由」と「権威」を対立概念として用いています。

何についての「自由」、何についての「権威」なのか?

トッドは、常識の延長線上にある自然な言葉遣いを好み、用語の定義を嫌います。そのため、自由や権威についても明確な説明はないのですが、私の理解では、ここで問題となっているのは「正しさ」です。

核家族システムでは、子どもは成長したら直ちに独立し、親子は別世帯となります。直系家族のように「子どもが家を継ぐ」ということはないわけです。大人になるまで面倒を見ることは親の責任ですが、「○○家の後継ぎに相応しい価値観を身に付けさせること」は不要です。このシステムでは、親子の関係は対等な友人の関係に近く、親子(とくに子ども)はそれぞれ価値判断において「自由」です。

一方、直系家族の場合、親は祖先から受け継いだ「家」を子どもの世代に伝えるという重い責任を負っています。親は子どもにきちんとしたしつけ、よい教育を与えようとします。そうすることで、「何が正しいか」「どうふるまうべきか」を子どもに教え込む。

では、親に「正しさ」を決める権限があるのか、というと、そうもいえません。このシステムでは、何が正しいかを決めているのは、親というよりは祖先であり、歴史であるからです。

子どもとの関係では親に決定権がありますが、親の背後により大きな権威が控えている。このシステムでは、親にも子にも、「正しさ」をめぐって論争する自由は与えられていないのです。

権威主義は何のため?

この文章では、権威主義システムに由来する問題点を中心に見ていくわけですが、その前に、このシステムには良い面もたくさんあることを確認しておきたいと思います。

しっかり子どもをしつけ、よい教育を与える。これは日本国民の全体的な民度の高さにつながっていますし、受け継がれた価値観に従うという態度は、安定した社会秩序の基盤です。伝統文化の継承、例えば日本には個性的な日本酒を醸す小さな酒蔵がたくさんありますが、これなどは明らかに、「細々と長く伝統を受け継ぐ」直系家族システムの産物です。フランスにも小さなワイナリーがたくさんあるけど、とお思いの方がいるかもしれませんが、フランスという国は、核家族の地域と直系家族の地域に分かれていて、有名なワインの産地はどこも直系家族なのです。

どういう事情で、このようなシステムが発達してきたのでしょうか?大きな要因は、土地が希少になり、耕作地を子孫に受け継ぐ必要が生じたこと、加えて、家族を中心とする社会的絆を安定させ、縦型の規律を整えることが、軍事力の強化にもつながったことにあると考えられています。

日本では縄文時代の終わり頃から農耕が始まったとされていますが、農耕が始まっても、人口が少なく、土地があり余っているうちは、親から子への継承のメカニズムはとくに必要ではありません。子どもは自活できるようになったらさっさと親の家を出て、他の土地を開拓すればいいわけですから。

しかし、やがて、人口が増え、開拓するべきよい土地がなくなるときがやって来ます。親が持っている土地が「守るべきもの」となる瞬間です。親の土地がよほどたくさんあるなら、分割して子どもに分け与えることもできますが、そうやって分けていくと、一人の持ち分はどんどん小さくなり、効率的な生産ができなくなります。それよりは、誰か一人をリーダーと決めて土地を継承させ、そのリーダーの下で、協力して農業を営んでいくことが合理的です。

では、そのリーダー、どうやって決めましょうか?

「子どもたちの中で一番優れた者」に受け継ぐのがよいかもしれませんが、それが「争いの元」であることはお分かりだと思います。成人した子どもたちのそれぞれに、それぞれの思惑を持った親世代が味方して戦い、殺し合いになったりしたら、元も子もありません1実際、直系家族システムが生成する直前、鎌倉時代の終わり頃には、相続争いがたくさん起きるようになっていたそうです。 近藤成一『鎌倉幕府と朝廷』(岩波新書、2016年)207–208頁参照

それを防ぐために「相続するのは長男」と決めてしまったわけです。直系家族システムにもバリエーションがあって、男女を問わずに長子に相続させるところや、末の娘に相続させるところなどもあるそうですが、日本で長男の相続が主流になったのは、システムが生成した当時の時代背景(武士の時代ですね)において、高い軍事力の保持が家族システムに期待される機能の一つであったためと考えられます。

直系家族システムの権威主義は、親族内部での争いを防ぎ、土地を安定的に子孫に受け継いでいくために生まれました。そうすることで、システムに属する人々は、安定的に食物を生産することができ、(統率力を高めて)外敵から身を守ることもできる。要するに、生き延びていく可能性を高めるものだったのです。

この仕組みは、今の時代に同じように必要とはいえません。なので、無理して、頑張って、維持することはないと思います。しかし、この社会は何百年にも渡ってこのやり方で生き延びてきたので、いくら変えたくても、一朝一夕には変わらない。その点は覚悟しなければなりません。

「ま、仕方ないな」と私は思うので、以下では、どうやって「問題点」に対処していくかを考えたいと思います。

  • 1
    実際、直系家族システムが生成する直前、鎌倉時代の終わり頃には、相続争いがたくさん起きるようになっていたそうです。 近藤成一『鎌倉幕府と朝廷』(岩波新書、2016年)207–208頁参照