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アメリカ II (2)
ー国家をまとめる5つの方法ー

 

はじめに

アメリカは、家族システムの「権威」が供給する諸機能を持たないにもかかわらず、国家を誕生させ、成長し、歴史上稀有な繁栄を見せた。

いったい、どういうやり方で、国家に必須の機能を補い、国を成り立たせてきたのだろうか。

アメリカの習慣的な行動の中には、「たぶん、これだな」と思わせるものがいくつかある。まず、それらのツールをまとめておこう。

アメリカの「権威」代替ツール

(1)合衆国憲法

建国時、原初的核家族だったゲルマン諸民族はキリスト教を「借り物」の権威として役立てた。

アメリカの場合はどうだろう。ピルグリム・ファーザーズの神話化といったもっともらしい事実があるものの、私は、キリスト教の信仰がアメリカの建国に本質的な役割を果たしたとは考えていない。

ピューリタンの情熱は「プレ近代化」局面にあった人々が「自分たちにふさわしい信仰」を求めた結果であり、彼らはすでに文字を読み、合理的に考える習慣を持ち始めていた。

そのような人々にとって、宗教そのものが真に「権威」の代わりになりうるとは思えないのだ。

権威に代わるものがあったとすれば、それは、合衆国憲法ではなかったかと思われる。

宗教と学問」で書いた通り、西欧は脱宗教化の過程で、学術・イデオロギーの繚乱の時期を迎えた。それは、一神教の神を希求する心の形が、(一時的に)世俗の事物に転用された結果であった。

自由、人権、人民主権、三権分立。こうした輝かしい概念は、言ってみれば、一神教の神の後継者なのだ。

独立宣言、合衆国憲法。誰にでも読める言葉で書かれたそれらの文書は、脱宗教化バージョンの「聖書」として、国家統合の象徴となった。

第一世界大戦での世界デビュー以来、アメリカが何かにつけて「自由と民主主義」などの理念に言及するのは、それがアメリカという国家のアイデンティティそのものとして機能しているからなのだろう。

(2)二項対立

二項対立は、絶対核家族のイギリス、原初的核家族のアメリカが「正しさ」を定立する際の基本的なスタイルであるが、これも権威の軸を代替する機能を果たしているように思われる。

*当事者二者が争う裁判制度や二大政党が争う政治制度を想定しています。 

イギリスの場合、薄いながらも縦型の軸が存在している。おそらく、その薄っすらした軸を中心に、構成員(集団と書いたが近代国家の成立以後は主に個人)が二つに分かれて争うことで、中心に向かう凝集力と似た力を生み、権威の軸を強化しているのだ。  

*比較対象(直系家族)↓

「権威」ありの直系家族の場合 

アメリカの場合には、中心に軸があるとすれば、憲法(的理念)であろう。後で見るように、アメリカでは、建国後まもなく自然に党派対立が発生し、以後の政治の基本システムとなったが、憲法を中心に、二者が対立し、政権を実際に行ったり来たりさせることでバランスを取り、権威の軸に似たものを生み出し、国の統合を保つ仕組みと考えられる。

しかし、「なんとなく」ではあるが、このやり方で安定を保てるのは、国の規模が比較的小さい場合に限られるのではないか、という気がする。

近年のアメリカは、二大政党はあり、政権交代もあるけれど、政治・経済・外交の基本路線は変わらないという状況に陥っている。

なぜそうなったのかは後で検討するが、二項対立という核家族の基本ツールが使えなくなっていることと、アメリカの不調とは関係があると思われる。

(3)戦争

アメリカの歴史には目立った党派対立がなく、あるいは政権交代が起こらない時期が間欠的に発生しているが、それは大抵大きな戦争の(戦中)戦後期である。

*1812年戦争(米英戦争・第二次独立戦争ともいう)後の「好感情の時代」、南北戦争から再建期の共和党時代、第二次大戦前後の民主党時代

このことは、戦争がアメリカにおけるもう一つの国家統合ツールとして機能していることを推測させる。

そう、アメリカ史は何より戦争と征服の歴史である。まずイギリスと戦って独立し、北米大陸を征服(普通は「開拓」といいますが)すると、中南米、太平洋島嶼部を勢力圏として固め、アジアにも進出。

第一次世界大戦への参戦でいよいよ世界をリードしようと試み、第二次大戦でついに並ぶもののない大国となったが、なお共産主義の封じ込めに躍起になって冷戦を始めてしまう。

冷戦期には朝鮮戦争やベトナム戦争などの目に見える軍事介入とともにCIAによる対外工作(クーデターなど)を多用。ソ連崩壊でついに名実ともに「唯一の超大国」となったが、それでも各種戦争や軍事介入、対外工作をやめられず、現在に至る。

という感じである。

*第二次大戦後にCIA等によって行われた秘密作戦の数は500以上とされている。
さしあたりこちらを参照。

この地図を見てほしい。2020年現在、アメリカは現在世界各地に800に及ぶ軍事基地を展開しているのだ。

http://www.overseasbases.net

これを見ていて私の頭をよぎったものがあった。

実を言うと、アメリカ以前にも、「原初的核家族の大帝国」という語義矛盾のような事態が実現したことが(おそらく一度だけ)ある。

アレクサンドロスの帝国である。

アレクサンドロス(前356-323)の頃のマケドニアの家族システムについて確かな情報を得ることはできないが、ギリシャの周縁という地理的・文化的な位置を考えると、原初的核家族と仮定してそれほど的外れではないと思う。

*トッドは古典期のギリシャについて一時的父方同居を伴う核家族(私の用語では原初的核家族の一種)という仮説を立てている。

アレクサンドロスは征服に征服を重ねて大帝国を築き上げ、行く先々に都市「アレクサンドリア」(ペルシャ語・アラビア語ではイスカンダル)を建設するが、帝国は彼の死後間もなく分裂し、マケドニアはやがてローマの属州となる。

これが彼が各地に建設したアレクサンドリアである。
まるで米軍基地みたいではないか。

発達した家族システムを持たない不安定な「帝国」でも、君臨する王が異民族を征服し領土を拡張し続けているうちは求心力を保てる。しかし、征服を止め、覇権戦争をやめると、バラバラに崩壊し、国家として成り立たなくなってしまうのだ。

「戦い続けているうちは倒れない」。国家維持のこの方式を「アレクサンドロス方式」と呼ぼう。

アメリカも、アレクサンドロスと同様に、この方式を(もちろん意図せずに)採用しているのではないだろうか。

(4)暫定権威

以上に加え、はっきりした権威の軸が存在しないアメリカ社会には、つねに「混乱期におけるヤクザ方式」の暫定権威も働いているように思われる。

「混乱期ヤクザ方式」とは、そのときどきでもっとも規律のある機関が存在感を高め、権力を掌握するというシステムだが、建国当時のアメリカでそのヤ‥‥いや、暫定権威の地位に着いたのは、連邦裁判所である。

アメリカにおける連邦司法の権限と影響力の大きさは、合衆国憲法に書き込まれた「計画通り」のものではない。

違憲立法審査権なども、連邦最高裁が自らの判決を通じて、既成事実として確立させていったものなのだ。

国として動き出せば、さまざまな場面で「正しさ」が求められるが、「権威」なき合衆国にはその機能がなかった。そこで、憲法の権威を背負う連邦裁判所に、その任が回ってきたのであろう。

こうして、初期のアメリカ政治における基本体制は、「暫定権威としての連邦裁判所(backed by 憲法)+党派対立」と合い成った。

なお、アメリカの政治学者の中に、これとほぼ同じことを述べている人がいる。スティーヴン・スコウロネクという人である(以下、貴堂嘉之『南北戦争の時代』(岩波新書、2019年)112頁以下参照)。

彼によると、建国当時のアメリカの特徴は、常備軍や中央の課税権限を拒否して政府権力を分散させている点、すなわち「国家不在(statelessness)」にある。

そして、「国家不在」状況において、政府としての一体性を保持する役割を果たしたのは、連邦裁判所と政党であり、当時のアメリカは「裁判所と政党からなる国家」であった、というのである。

*原典は Stephen Skowronek, Building a New American State: The Expansion of National Administrative Capacities, 1877-1920, Cambridge University Press, 1982(私は読んでいません)

アメリカが「国家不在」となったのはアメリカの家族システムが「権威不在」だったからであり、要するに、彼は私と全く同じことを言っているのである。

だから何だという話ではあるが、私がそうそう奇妙キテレツな見解を述べているわけではないと安心していただけるかと思ってご紹介した次第である。

二項対立が今ひとつ機能しなくなっているのと同様に、連邦司法の方も、政治に絡め取られ、往時の輝きを失っているように見える。

では、その代わりに誰が暫定権威を担うようになったのか、ということが、おそらく現在のアメリカを理解する鍵の一つである。

(5)排外主義

トッドはアメリカの人種主義に「平等」を支える機能を認めたが、人種主義を含む排外主義には「権威」に代替する機能があることも見逃せない。

権威の重要な機能の一つは、「自然な一体感」つまり凝集力である。前回述べたように、これは秩序の基盤であると同時に、外敵からの防衛(国防)の際に力を発揮する。

家族システムに「権威」を持たない人々が、凝集力を高めなければならない状況に追い込まれたとき、発生するのが排外主義だ。

何らかの対象を強く排斥することによって、その反動によって、凝集力を生むのである。

アメリカの場合、まず、先住民と黒人奴隷を排除することで、建国を成し遂げた。

領土拡張の歴史は先住民排除の歴史でもあり、1830年にはインディアン強制移住法が成立している。

先住民排除(というか虐殺)の動きは、南北戦争の後、より国家らしい国家に生まれ変わる「新たな建国」の時期(後で説明します)に、さらなる高まりを見せた。

西部では1860年から1890年までの間に、伝統的なエリート層のまったくいない社会が開花していったが、それに伴っていたのは、大平原のインディアン25万人の殲滅、人種感情が最高潮に達する状況の中で発生した殺戮であった。

下・23頁

20世紀初頭、アメリカが「国際警察」を名乗って「帝国」への道を歩み始めた時期(これも後で)は、投票要件の厳格化による黒人からの実質的な投票権剥奪や、「ジム・クロウ法」と呼ばれる公共の場での物理的な人種隔離の法制化など、新たな形での黒人差別制度が生まれた時期と重なる。

第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけ、大きな政府を持つ中央集権国家に生まれ変わっていった時期には、まず排外主義の高まり(1920〜 第二次KKK、厳格で差別主義的な移民政策)があり、日系人差別が激化した(1940〜 強制収容、原子爆弾によるジェノサイドも?)。

*第二次世界大戦後の黒人差別についてはこちらをご覧ください。

権威か平等かー排外主義の扱い
 
本文でも書いたが、トッドは排外主義を活用したアメリカのデモクラシーを一貫して「平等」の観点から分析している。国家の統合について考えるときに、日本人である私が「権威」に着目し、フランス人であるトッドが「平等」に着目するのは、日本という国家の統合の軸は「権威」であり、フランス統合の軸は「平等」だからだと思われる。

共同体家族が統べる「帝国」を、国家統合のお手本と考えてみよう。彼らの家族システムは「権威=平等」の組み合わせである。このうち、平等が未発達で「権威」だけを持っているのが日本、ローマ帝国で一度は成立した「権威=平等」のうち権威が衰退し、平等だけが残ったのがフランスなのだ。

だから「平等」に国家をまとめる力があるのは分かるし、「平等」の観点から国家の統合を論じることが可能であるのも分かる。アメリカの場合、権威も平等も持っていないから、どちらから論じても議論が成り立つということも分かる。

分かるが、直系家族(権威)→共同体家族(権威+平等)というのが国家形成を促す通常の進化の過程であることを考えると、トッドのアプローチが倒錯していることは否めないと思う。

アメリカ史 第二の基層ー教育と時代精神

(1)教育の進展

日本やヨーロッパと異なり、アメリカは最基層(家族システム)の変化を経験していないので、「時代精神」は教育の層に見事に規定されている。

アメリカ史総論としてまとめておこう。
まずは教育の進展状況である。

初等教育については最初から高い。

中等教育(高校)の充実で世界に先駆け、その後の発展の基礎を築いた。 

*こうして改めて初等・中等教育のデータを眺めていると、イギリスから渡ってきたプロテスタントの人々が、聖書を読み、子供たちに基本的な教育を与えようと地域で努力したことがアメリカの発展の基礎だったんだなあとしみじみと感じます。

高等教育については、まずトッドの本から。

『我々はどこから来て、今どこにいるのか』英語版(Lineages of Modernity) 208頁

1960年以前については次のグラフで感じが分かる(パーセンテージではなく数)。

https://nces.ed.gov/pubs93/93442.pdf

(2)アメリカ史の時代精神

教育の進展状況と「時代精神」の対応関係は、つぎのように整理できる。
(次回の準備として政府の大きさも入れた。)

 

並列はほぼ同じものの言い換え、「/」は二つの傾向の併存

みんなが読み書きできる状況が開拓精神(自由主義)を生み、中等教育の普及が「よりよい社会を目指そう」という進歩主義(理想主義)につながり、高等教育の頭打ちが見えてくると理想主義への反発が生まれ、さらに階層化が進むと開き直って新自由主義に突っ走るのだ。 

(3)教育と「大きな政府」

教育の普及度合いは「大きな政府」の制御能力にも関わりがあることを付言しておく。

「権威」を持たないアメリカで、「大きな政府」がもっともよく機能したのは20世紀前半。中等教育が社会全体に広く拡大する一方、高等教育受益者はごく少数に止まっていた時期である。

高等教育受益者が希少である時期(15%以下を「エリート段階」とするモデルがよく知られている)、彼らは本物のエリートとして機能する。5%とか15%の知識層がその力を発揮していくには、社会に関わり、社会全体のために奉仕するしかないからだ。 

20世紀前半のアメリカは、中等教育の普及による理想主義・進歩主義と、その実現のために奉仕するエリートの両方を備えていた。「大きな政府」機能させるのに最適の条件を持っていたのである。

やがて、20%、30%と拡大していくと、高等教育受益者はエリートとしてのメンタリティを持たなくなり、その力をただ自分たちの利益のために使っていくようになる。社会は高等教育受益者とそれ以外の二つに分かれ、全体に対して責任を担う者はいなくなる。

20世紀後半以降のアメリカが、実際には極めて大きな政府を持っているにもかかわらず、小さな政府を志向する(→「お前たちの面倒を見る気はない」という意味だ)という奇妙な事態に立ち至ったのは、おそらくこのためである。

(次回に続く)

今日のまとめ

  • アメリカにおける権威の代替物は、①合衆国憲法、②二項対立、③暫定権威、④戦争、⑤排外主義 である。
  • 合衆国憲法の理念は一神教の神の後継者であり、ゲルマン民族が建国時に利用したキリスト教(借り物の権威)の近代版である。
  • 建国当初は連邦裁判所が暫定権威を担い、「連邦裁判所+党派対立」がアメリカ政治の基本体制となった。
  • アメリカの時代精神は教育の進展状況に規定されている。
  • アメリカの「大きな政府」は、「中等教育の普及+少数の高等教育受益者(エリート)」の局面で最もよく機能した。
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アメリカ II(1)
ー権威なき帝国の謎ー

目的

アメリカがグローバリズムに走って著しい格差と分断を生み出した機序については、私は基本的にはトッドの説明に納得している。しかし分からないこともある。

新自由主義の弊害はかなり早くから認識されていた。その上、2008年には世界金融危機も起きたし、2012年には大規模な抗議運動「Occupy Wall Street(ウォールストリートを占拠せよ)」も起きた。

格差が生まれてしまったことは仕方がないとして、アメリカはなぜこのときに至ってもブレーキをかけられなかったのだろうか(大統領はオバマだった)。

また、経済格差が顕在化した1980年から現在という時期は、アメリカがCIAなどの諜報機関による代理戦争、代理テロ、その他、ありとあらゆる手法による世界秩序の撹乱に熱中しはじめた時期と一致している。

 *私はウクライナ戦争もこの一部と捉えています。

不平等の下意識が拡大したからってなぜそんな秘密作戦にのめり込まなければならないのか。

私は「よい人間がよい社会を作り、悪い人間が悪い社会を作る」という考えを採用していない。アメリカが何かうまくいっていないように見えるのは、彼らが悪いからでも愚かだからでもなく、システムと状況の相互作用によるものなのであるはずなのだ。

その機序を解明しよう、というのがこの文章の目的である。

仮説:原初的核家族の帝国

トッドの分析を読んで、私はアメリカは絶対核家族というより原初的核家族なのではないかと考えるようになった。アメリカ II はその方向で行かせてもらう。

*絶対核家族だとしても「直系家族の痕跡を喪失した絶対核家族」なので大して変わりはない。

現在のアメリカの混迷は、アメリカが大きくなりすぎたことによる、というのが私の基本的な仮説である。

原初的核家族とは、狩猟採集社会における部族(tribe)のシステムである。本来は国家の形成すら困難な狩猟採集民が、なぜか並ぶもののない超大国として世界を率いることになってしまった、というのが現在のアメリカなのである。

問題が起きない方がおかしいといえるが、
どういう問題なのかは特定される必要がある。

アメリカの大きさ

1776年の独立宣言から数えて約250年、1788年の合衆国憲法誕生発効からだと235年という短期間の間に、アメリカは、人口、領土、そして中央政府の規模という点で、驚くべき膨張を遂げている。

まずはその様子を確認しておこう。

(1)人口

人口はまずこんな感じ。ずっと増え続けているが、とくに19世紀後半からの伸びが著しい。

*1860年頃にイギリスを抜いていると思います。

しかしその割に、人口密度は19世紀の間はあまり上がっていない。領土が大幅に拡張したためである。

ちなみに、日本の人口密度は2010年がピークでその後低下を始めているが、アメリカは当分増え続ける見込みである

(2)領土

建国の基礎となった13州はこれだけである(濃いピンクの部分)。これだけでもかなりの広さではあるが。

その後少しずつ領土を拡張し、1803年にフランスからルイジアナを購入してこれだけ大きくなった(濃いオレンジ、水色、濃い緑)。

そして、1840年代にテキサス、オレゴン、カリフォルニア、ニューメキシコを含む広大な領土を獲得し、ほぼ現在のアメリカ、大西洋岸から太平洋岸に至る大陸国家アメリカになるのである(濃いオレンジ、水色、濃い緑)。

https://maps.lib.utexas.edu/maps/histus.html

(3)連邦政府の規模

詳しくは次回に見るけれど、中央政府にあたる連邦政府の機能は18世紀後半から強化され始め、その後は基本的に拡大の一途をたどる。

アメリカといえば「小さな政府」というイメージがあるが、20世紀以降のアメリカには当てはまらない。

連邦予算の推移を見ると、とりあえず「膨張しているな」ということは分かると思う(青が歳入、赤が歳出)。 

https://stats.areppim.com/stats/stats_usxbudget_history.htm

未開社会と国家はどう違う?
ー「権威」の機能

アメリカ帝国の驚異とは「これだけ大きな国家を原初的核家族が運営している」ということに尽きる。

国家規模の拡大は、歴史的には、家族システムの進化とともに起こるものだった。メソポタミアにおける国家成立の背景には原初的核家族から直系家族への進化があったし、ハンムラビ王がメソポタミアを統一し、秦の始皇帝が中国を統一する背景には、直系家族から共同体家族への進化があった。

それなのに、アメリカは、どういう運命のいたずらか、原初的核家族のままで大国を率いることになってしまったのである。

さて、しかし、原初的核家族であることのいったい何が問題なのであろうか。未開社会と比較して、国家における「権威」の機能をおさらいしておこう。

(1)未開社会

約7万年前から、人類は何らかの倫理観念を持ち、集団の紐帯として役立てていた。その小さな部族的集団(親族が基本)の中では、人間たちはそうそう争うことはなく、大体同じようなことを考えて生きていたのではないかと思われる。

*ときどきニュースなどで「人間の脳には共感を司る部位があることが解明された」「利他性を司る部位が・・」とかいう話があるのはおそらくその関連で、人間の身体(脳を含む)は基本的に毎日接する相手や考え方を「正しい」と前提し、助け合って生きていく仕組みになっているように思う。

こういった集団にも、「長老の発言権が大きい」などの緩やかな権威は存在するであろう。しかし、その種の権威には持続性がなく、国家の軸にはまだ弱い。

狩猟採集民は移動生活が基本なので、移動できる広いスペースがある限り、他の集団との「正しさ」(倫理)の違いが深刻な問題を生じることはない。彼らは素朴に自分たちの考えを正しいものと信じて生きていくことができるのだ。

何らかの事情で他の集団と争いとなった場合、相手集団は単純に「敵」である。戦うか、離れるか。基本的にはその二択で対応するだろう。

*なお、国家の成立に関する社会科学や哲学の議論は「個人」を主体として観念することが多いが(近代化に向かう時期の核家族エリアで始まったからだ)、近代国家が生まれる以前の人類は例外なく集団を基本単位として暮らしていた。国家も「個人と個人」の関係性ではなく「集団と集団」の関係性から生まれたはずなのだ。ということで、少し違和感を感じる人が多いと思うが、集団を基本単位として議論を進める。

↓権威の機能についてはこの記事でも(ほとんど同じ話を‥‥)書いているのでよろしければどうぞ。

(2)国家

定住が始まり、人口が増え、土地が希少になったときが、国家成立のタイミングである。

部族的集団同士の間で「正しさ」のすり合わせた必要になるタイミングと、土地を子孫に受け継ぐことが必要になるタイミングが一致するというのがミソで、土地の継承のために生まれる直系家族の権威の軸が、共有物としての「正しさ」=「法」の基礎を提供する。

未開社会の部族民と(直系家族以上の)国民の根本的な違いは、「正しさ」の基準が自分の内側にあるか外側にあるかであると考えられる。

未開社会の人々が自分たちの考えを素朴に「正しい」と信じるのに対し、「権威」の軸を持つようになると、人々は「正しさ」とは自分の外側にあるものだと感じるようになるのである。

日本には「権威」の軸があるので、その作用は日本人には理解しやすいであろう。私たちの多くは、誰もいない所でも「お天道様が見ているから」行動を律しなければならないという感覚を持っていると思う。これこそが、家族システムの中に「権威」があるということの意味であり、効果なのだ。

権威の軸を持つ社会では、各集団(に属する人間たち)はその軸を「正しさの源」と見て(具体的な中身が分からなくても)それに従おうとする。

それによって生まれる「凝集力」。これが国のまとまりの源である。

これが出来てしまえばシメたもので、あとはこの軸に、行政組織とか、いろいろ付け足していけば、立派な国家ができあがる。この軸を持ってさえいれば、国家を維持することは、大して難しいことではないのである。

(3)国家における権威の機能

①秩序維持

国家において「権威」が果たしている役割は非常に根源的で総合的なものだが、「ないとどういう風に困るか」を理解していただくため、その機能を3つに分けて説明してみたい。

第一は、秩序維持機能である。

権威が確立した社会では(おそらく特に直系家族の場合)、人々は自ら行動を律する傾向を持つようになるし、法を定立することも、警察、司法制度を機能させることも容易になる。

限られた領域に大勢の人間が暮らしている場合、少なくとも最小限の秩序維持機能は絶対に必要といえる。それがなければ、弱肉強食、血で血を洗う抗争の世界となってしまうから。

そのため、限られた領域に人間がひしめいているにもかかわらず、権威が確立していない場合(原初的核家族はこれにあたる)、何が起きるかというと、たいてい、最も強い規律と実力を持つ組織が「権威」を代替することになる。

日本でも、戦後の混乱期などには、ヤクザ組織が地域を治めているケースがあった(と思う)。シチリアのマフィアなどもそういう機能を果たしていただろう。

また、急に国家としてやっていかなければならなくなった国では、とりあえず軍が国の中枢を担うことが多い。他に有効に機能する権威がないからだ。軍事政権は「悪」の代名詞みたいに言われるが、ヤクザだってマフィアだって軍だって、ないよりはあった方がましなのだ。

これも新興国にありがちなもう少し穏当なケースとしては、裁判所(司法機関)が実質的に一番強い権力を持っている場合がある。比較的安定した社会では、信頼感と規律の高さで司法機関が優越するのかもしれない。

大事なことなのでもう一度言う。

広大な領域に少ない数の人間が暮らしているだけなら「権威」が存在する必要はない。自由、自律、すばらしいことである。

しかし、限られた領域に大勢の人間が暮らすときには、権威は絶対に必要である。だからこそ、それがない場所では、自動的に「暫定権威」が生まれてくるのである。

②行政の適正

国家に権威が不可欠である理由のもう一つは、権威があってはじめて行政機能の維持が可能になるためである。

行政とは公共サービスである。したがって、自分の利益よりも「みんなの利益」を優先できるメンタリティが普及していないと、国の行政機能を適正に維持するのは難しい。それを可能にするのは、「権威」の存在なのだ。

フィリピンの入管施設の(日本から見ると)デタラメぶりに驚いた日本人は多いと思う。しかし、「公務の廉潔性」というのは原初的核家族にはよく分からない概念であろう。

*フィリピンは原初的核家族(『家族システムの起源 I 上』336頁以下)。

権威の軸(この文脈では「正しさの基準」)を持たない人々にとって、入所者から金をもらって優遇してやることは単に「win-win」である。自分が得をして、相手も得をする。それだけだ。

したがって、今後もその種の腐敗がなくなることはおそらくないし、当地の一般の人たちは別段問題とも思っていないはずである。

そういうわけなので、アメリカ建国期の「小さな政府」は、原初的核家族には適した仕組みであったといえる。しかし、上に見たように、現在のアメリカ政府は巨大なのだ。

③自然な一体感

上の図を見てもらうとわかりやすいと思うが、権威の軸には、社会に自然な一体感を醸成する機能がある。

日本語だと「同じ太陽の下」とか「ひとつ空の下」と表現される感覚がそれに当たり、社会が適正サイズに収まっている場合には、おそらく、それほど抑圧的に働くものではないと思われる。

*今の日本が抑圧的でないと言っているわけではありません。現代の直系家族国家がやや窮屈なのは、多分、規模が大きすぎるせいなのです(そのうち書きます)。

そうして得られる一体感やまとまり感(凝集力)は、秩序のおおもとでもあるし、外敵から身を守る国防力の源泉でもあるだろう。

したがって、それを持たない人々が、一体感やまとまり感を持つ必要に迫られた場合、何らかの代替的手法を編み出していくはずである。それが何かは、次回の主なテーマとなる。


家族システムにおける「権威」とは、国家の成立に不可欠な基本機能を供給してくれるありがたい存在である。

直系家族は権威の軸を持ち、共同体家族はもっと強力なそれを持ち、絶対核家族は持っていないけど、例えばイギリスであれば、ノルマン貴族の末裔である王侯貴族、彼らが作った行政の伝統、ローマに由来する教会組織などの「権威」の痕跡が数多く残された土地を持っている。

ところが、アメリカは、それに類するものを何一つ持たずに、世界に冠たる超大国となってしまった。

これがどれほど奇妙で、「ありえない」と思しき事態か、ご想像いただけたであろうか。

今日のまとめ

  • アメリカの混迷は、狩猟採集民の家族システムのまま、超大国を率いることになったことによる(仮説)。
  • 進化した家族システムを持つ標準的な国家の場合、権威の軸がもたらす凝集力が国家のまとまりの源となっている。
  • 権威は、①秩序維持機能、②行政の適正、③自然な一体感 を国家に供給している。
  • 歴史的には、国家規模の拡大は家族システムの進化を伴う。「権威なき」アメリカの事例はかなり「ありえない」事態である。
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世界を学ぶ

彼らは友人だったー9/11に寄せて(翻訳)

 

 

以下は “Ted Snider, Remembering Our Friends on 9/11″の翻訳です。ウクライナ戦争勃発以後、この人の記事が琴線に触れることが多く、今回もそうだったので訳しました。

https://original.antiwar.com/ted_snider/2022/09/08/remembering-our-friends-on-9-11/

世界の首脳の中で、9/11同時多発テロ(2001年)の後ブッシュ大統領に一番に電話をかけてきたのはウラジミール・プーチンだった。実は彼は2日前の9月9日にもブッシュに電話をかけ、長期に渡って準備されてきた何かがまもなく実行される兆しがあることを知らせ、警告していたのだ。

ツインタワービルが破壊される様子をテレビで見たプーチンはただちにブッシュに連絡し、弔意と同情を示した。エアフォース・ワンに搭乗中だったブッシュにはつながらなかったが、プーチンは迷わずコンドリーザ・ライスに伝言を託した。翌朝、ブッシュと直接話をしたプーチンは「この困難を乗り切るため、団結し協力しよう」と約束した。

プーチンは同情と団結の意思を示しただけではなかった。彼はブッシュが何を決断しようとそれを全面的にサポートすると約束したのだ。プーチンとブッシュはその後40分間語り合った。次の月曜、プーチンは、機密情報の共有、人道支援のための(米の)ロシア上空の通行許可、捜索救難活動への参加、アフガニスタンの北部同盟への軍事的支援の増強を申し出た。そればかりか、彼は、少しの躊躇の後、ロシア軍の上級司令官の反対にもかかわらず、米軍の中央アジアへの派兵を認めると申し出て、アメリカを唖然とさせた。アメリカはキルギスタンとウズベキスタンへの軍事基地の建設を許されたのである。

ロシアは自身の戦争を通じてアフガニスタンについて詳細な知見を得ていたため、その機密情報の共有には非常に大きな価値があった。ロシアの諜報機関は確かな地図をアメリカに提供し、カブールと数多くの山や洞窟を案内した。ロシアの諜報機関は、9/11以前の2000年6月頃までにも、アフガニスタンからのテロリストの脅威に関する情報をアメリカに提供していた。

このとき、プーチンはまだアメリカおよび西側との関係改善に望みを抱いていた。彼はアメリカへの援助と協力がそれを促進することを期待した。プーチンは9/11の悲劇を、アメリカに対し、ロシアをパートナーとする形での国際秩序が可能であることを知らしめる契機と捉えていた。2011年11月のワシントンでのスピーチでプーチンは次のように述べている。「テロとの戦いにおける我々の相互協力を露米関係の単なる一エピソードとして終わらせてはなりません。これを長期のパートナーシップと協力関係のスタートとすることこそが重要なのです。」

しかし、その10年前にアメリカがソ連を罠にはめて敗戦に追い込んだアフガニスタンの地で、アメリカの勝利を助けてくれたロシアは、その返礼として何一つ得ることはなく、NATOは東方拡大を続けた。2004年までに、NATO拡大の「ビックバン」はロシア国境沿いのバルト諸国に達していた。

Philip Shortの著書『プーチン』によると、イギリス版NSA(国家安全保障局)にあたるGCHQの当時の長であったFrancis Richardsは次のように述べていた。「われわれは9/11後のプーチンからの援助に非常に感謝していたが、その感謝をあまり示していなかった。私は受け取るだけでなく与えることもしなければならないと人々を説得することに努めたのだが‥おそらくロシアの人々はNATOの問題を通じて彼らは騙されて利用されたと感じていたと思う。そして、それは事実だったのだ。」

9月11日、中国主席の江沢民は、テレビでテロ攻撃を見つめていた。2時間と経たないうちに、彼はブッシュに電話をし、哀憐と援助の意思を示した。

9/11への中国の反応は、アフガニスタン戦争が混迷を極めていくにつれ、複雑さを増していった。中国はタリバンのテロの脅威が国際社会および中国国内に及ぼす影響を懸念していたが、それと同程度に、長引く駐留で近隣でのアメリカの軍事的存在感が高まることを恐れていた。

中国は国境地域で(中国の)同盟国パキスタンが米軍基地の受け入れと移動ルートの提供を強要されていること、パキスタンに完全なアメリカ寄りの傀儡政権が建設される可能性を懸念していた。

戦争が長引くと、中国はタリバンとアメリカのどちらも全面的に支持しない姿勢を取るようになり、タリバンと外交関係を維持した上、武器を提供することすらあった。

しかし2011年9月のあの最初の数時間、中国のリーダーは直ちにアメリカ大統領に電話をかけて援助を申し出ていた。Andrew Smallの著書『The China-Pakistan Axis』によれば、中国は機密情報の共有と地雷除去装置の提供を申し出た上、北京にFBIのオフィスを設置することまで提案した。アメリカは中国からの援助の申し出のほとんどを拒絶したが、しかし、中国は援助を申し出たのだ。

イランもまた、9/11の後、アメリカの支援者となった一人である。アメリカでのテロ攻撃の後、イランは直ちにアメリカ側に付き、タリバンおよびアルカイダに反対する立場を明らかにした。ロシアや中国と同様にアメリカとの関係改善を望んでいた改革派の大統領セイイェド・モハマド・ハータミーは、この悲劇を彼らのパートナーシップと友情を証明する不幸であるがよい機会と捉えた。

イランは国境地域に逃げ込んできた何百人ものアルカイダおよびタリバンの戦士たちを逮捕した。イランは200人以上のアルカイダおよびタリバンの逃亡者たちの身元を特定して国連に文書を提供し、その多くを彼らの出身国に送り返した。送還させられない者たちの多くに対しては、イラン国内での受け入れを提案した。イランはまたアメリカの捜索要請に応えてアメリカが特定したアルカイダ工作員たちの相当数を逮捕し移送した。

アメリカと同盟国がアフガニスタンを侵攻した際に反タリバン戦闘員の多くを提供した北部同盟を取りまとめ、アメリカとの協力関係に置いたのは概ねイランである。イランはその空軍基地をアメリカに提供し、アメリカが撃ち落とされた米軍機の捜索救助活動を行うことを許した。イランの人々はタリバンとアルカイダの容疑者に関する機密情報も提供した。

イランの外交官たちは2001年10月までにアメリカ政府高官と秘密会合を持ち、タリバンを排除しアフガニスタンに新たな政府を作る計画を練った。2001年11月のボン会議で、イランはイラン専門家や『Losing an Enemy』の著者Trita Parsi によれば、アフガニスタンのポストタリバン政権の樹立に「決定的に重要な役割」を 果たしたという。

ロシアと同じく、イランもその返礼は何一つ得ていない。アメリカが彼らに与えたものは「悪の枢軸」のメンバーの地位だけである。 

ロシア、中国、イランというアメリカにとっての大悪魔(arch enemies)たち3人は皆そろって、9/11の後、友情からの支援の手を差し伸べていた。言葉だけではない。彼らの両手は本物の支援策でいっぱいだった。アメリカが差し伸べられた手を取って、Francis Richards がいうように感謝を表し、受け取るだけでなく与えることもしていたら、今日の世界はもう少しましなところになっていたかもしれない。