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基軸通貨ドル

基軸通貨ドル:私たちはどんな世界に暮らしてきたのか ③グローバル・サウス+BRICS

 

目次

はじめに:なぜドル覇権と距離を置くのか

南米、東南アジア、アフリカなどを含むグローバル・サウス。そして、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカを中核とするBRICS(以下まとめて「グローバル・サウス」と呼ぶ)。 

これらの国々は、なぜドル覇権から距離を取り、独自の立場で存在感を高めようとしているのか。

それが今回のテーマである。

債務危機の構造

実際のところ、答えは非常に単純である。彼らは、アメリカに、そして、ドル覇権を擁護する西側諸国に、食い物にされ、成長を阻まれたと感じているのだ。

ラテンアメリカを筆頭に、アジア(タイ、インドネシア、韓国など)、ロシアはいずれも1980−90年代に債務危機を経験し、その後数年から十数年にわたって経済的苦境に陥った。

「危機」の構造は概ね共通している。

①発展途上の彼らは、成長率低下と「増えすぎたおかね」を持て余し金融に活路を見出した先進国に目を付けられ、民間資本から気まぐれに大量の資金を貸し付けられた後、気まぐれな「高金利」や気まぐれな資金の引き上げに遭い、債務危機に陥った。

②危機に陥った彼らに手を差し伸べるフリをして近づいたIMF(国際通貨基金)は、彼らの真の経済成長よりも、西側諸国の貸し手の利益と投資市場としての保全を重視し、デフォルト(債務不履行)を防ぐための大規模融資を行った上で、融資条件として構造調整プログラムを義務付けた。

  1. 緊縮政策(財政支出(国民・国内事業者向け補助金など)の削減と金融引締め(通貨供給量減)による収支の改善)
  2. 貿易の自由化
  3. 金融・資本の自由化
  4. 公的部門の民営化
  5. 規制緩和

③「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれるこの政策パッケージは、それを受け入れたほぼ全ての国で、社会・経済の混乱に拍車をかけ、外国資本への依存度を高めた。

*その他、2000年代に通貨・金融危機を経験したアルゼンチン、トルコ、ラトビア、ウクライナといった国々もIMFの不適切な勧告によって苦難に陥り、世界銀行の支援を受けた多くの国々も、「ワシントン・コンセンサス」型の構造改革を実行するよう「助言」された結果、同様の問題を経験しているという。

驚くべきことだと思うが、上記の国々が安定的な成長軌道に乗ったのは、IMFと手を切り、当時の経験を反面教師とした独自の経済政策が取れるようになってからのことなのである。

IMF(国際通貨基金)の真実

(1)IMFの仕事

「えっ、でもIMFってちゃんとした国際機関でしょ?」と思った方のために、この機関の成り立ちを説明しよう。

IMF(International Monetary Fund 国際通貨基金)は、1944年のブレトン・ウッズ会議で締結された協定に基づいて作られた国際機関である。

あまり(一般には)知られていないことだと思うが、実は、協定そのものは、ドルを基軸通貨とする「一極」体制ではなく、すべての通貨を平等に扱う多角的な通貨システムを想定していたという(山本栄治『国際通貨システム』82-86頁)。IMFはそのシステムの下で、固定相場の安定維持および通貨政策に関する標準的なルールの設定を促すための機構として設置された。

しかし、現実は協定のシナリオから大きく外れた。そのため、IMFは当初から限定的な機能しか持ち得なかったが、(1971-73を経て) 固定相場制が放棄されたことで、IMFはいよいよやることがなくなった。

そんなIMFに新たな活躍の機会を提供したのが、1970年代末から相次いだ債務危機である。このとき、IMFは、危機に陥った新興国・途上国に融資を行った。加えて、融資条件(コンディショナリティ)として「ワシントン・コンセンサス」型の構造調整プログラムを実施させ、以後、この一連の仕事が、IMFの主要な役割となった。

*現在のIMFの概要は財務省の説明が分かりやすい。

直裁にいえば、IMFは、融資を与える債権者としての地位を利用して、新興国・途上国の経済を、先進国(とくに米英)の「金融に特化した新自由主義経済」と親和性が高いシステムに作り変えることを、主な仕事とするようになったのである。

*「金融に特化した新自由主義」と親和性が高いということは、有り体にいえば、「草刈場として利用しやすい」という意味だ。

ただし、これは私の考えだが、この一連の推移(①協定に反するドル一極体制の成立、②アメリカの都合による固定相場制の放棄、③新自由主義推進機関としてのIMF)は、決して、偶然の結果ではないと思われる。

IMFの設立の根拠であるブレトン・ウッズ協定は、WW2後の通貨システムに関するアメリカとイギリス(イギリス案はケインズが作った)の激しいバトルの末に成立したものである。当時の力関係を反映し、協定はアメリカ案をより多く取り入れたものとなったが、アメリカ案そのものではなかった。この段階では、アメリカも、一定の妥協を示していたのである。

しかし、すでに述べたように、ブレトン・ウッズ協定の想定した通貨システムは実現せず、現実は「ドル一極体制」に落ち着いた。

たぶん、アメリカは、もともと、意に沿わない協定に従うつもりなどなかったのではないかと思う。アメリカは、協定の成立には協力したが、その実現には力を入れなかった。そうして、望み通りの通貨システムを手に入れ、IMFを自らの手足として、各国経済をアメリカの利益に合致するように作り変えていったのだ。

(2)IMFの意思決定

なぜ、アメリカに、IMFを手足として利用するなどということができたのか。秘密はIMFの意思決定システムの中に隠されている。

IMFは「自由・無差別・多角主義」に基づく国際機関ということになっており、意思決定は加盟国の合議と投票による。

通常の議決は過半数、重要事項は事項によって70%ないし85%の超多数決である。

しかし、IMFの投票権は、一国一票ではない。出資金の分担額(出資割当額:クオータ)が多いほど多く割り当てられるのだ。

割当額の1位は一貫してアメリカで、概ね17%前後。ほかに15%以上のシェアを持つ国はないので、85%事項に関してはアメリカ1国だけが事実上の拒否権を持つ格好である。

現在(2018年改定後)は2位は日本で約4.6%。旧G5諸国の合計が37.9%なので、G5が揃えばもちろん、アメリカ+3カ国で70%事項は問題なくクリアできる。

通常の過半数の議決についても、西側諸国だけで優に50%を確保しているので、非西側諸国のすべてが結束しても、西側諸国の一致した意向に反する議決を行うことはできない。

そして、この割当額の変更は85%の超多数決事項なのである。

IMFの意思決定システムは、公平中立な国際組織のシステムとしては異常である。しかし「公平中立ではない」と考えれば納得できる。

IMFは、もともと、アメリカの意向に沿って行動する「国際機関」として設計されている。IMFによる支援が、支援対象国よりも、アメリカ(と西側諸国)の利益を主に考慮しているように見えるのは、単純にその結果なのである。

IMF Headquarters, Washington, DC.

「危機」の具体例

(1)ラテンアメリカの場合

具体例の代表的なものをいくつか見ていこう。

債務危機をいち早く経験したのはラテンアメリカだ。合衆国の「裏庭」として、早くから資本流入と金融・資本自由化が進んでいたからである。

〈前提としての金融・資本自由化〉

WW2の後、アメリカはラテンアメリカ諸国の共産主義化を恐れて、親米右派政権(しばしば軍事政権)を支援した。

*チリのピノチェト政権のようにCIAがクーデターを支援したケースもある。

アメリカが「親共産主義」とみなす政権が一般に、農業の振興や輸入代替工業の発展を重視し、輸入に依存しない経済の下での国民生活の向上を目指したのに対し、アメリカが支援した親米右派政権は、アメリカの意向に沿って、外国資本に依存した輸出志向の工業化を目指した。

*有り体にいうと、外資の下で安い賃金で国民を働かせて外国に売れる製品を作り、儲けたドルでアメリカ製品を買う(余剰農産物と軍需品)という仕組み。

*そしてアメリカはどこの国に援助(通常は融資)をするときにも、アメリカ製品の購入と資本自由化(海外資本の受け入れ)を条件として課した。

アメリカの支援を受けたラテンアメリカ諸国では、1970年代までに、貿易自由化に加え、金融・資本自由化が実現していたのである。

〈スタグフレーション・マネーの流入〉

変動相場制に移行し、基軸通貨国アメリカからますます大量のドルが供給された1970年代、「低成長+おかねの増えすぎ」によるスタグフレーションに苦しんでいた先進国は、増えすぎたおかねの使い道を探した。

金融に活路を見出した彼らが、有望な投資先として目をつけたのが(当時の)発展途上国だ。

スタグフレーションのために先進資本主義国の生産資本の蓄積が停滞した結果として、74-84年累計で1793億ドルにおよぶ「過剰貨幣資本」が国際金融市場に間歇的に放出されて「過剰貸付資本」が形成され、この「スタグフレーション・マネー」が「オイル・マネー」とともに発展途上国累積債務の実体を形成した

森田桐郎「ラテン・アメリカにおける「開発」と債務」石見徹・伊藤元重編『国際資本移動と累積債務』(東京大学出版会、1990年)203頁

1970年代後半、余剰ドルを手にした先進国に押し付けられる形で借入を増やしたラテンアメリカの国々を待ち受けていたのは、1980年代のアメリカのドル高・高金利政策である。借入はドル建であるから、金利も返済額も大幅に上がる。これに、世界的な不況による輸出収入の減少、石油価格の上昇が重なって、彼らは続々と債務返済不能に陥っていったのである。

〈IMF融資と融資条件〉

債務危機に陥ったラテンアメリカに、IMFは大規模な融資を提供した。融資条件としての「ワシントン・コンセンサス」はこの時期に確立されたものだというが、ラテンアメリカの場合、2-5はすでに実現していたので、もっぱら1の緊縮政策が厳しく求められることになった。

過剰貸付を受け、外部的な要因によってその支払いが困難になり、経済的に苦境に陥った国に必要なものは何か、考えてみてほしい。まずは、債務の減免か(最低でも)猶予、そして、経済を元の軌道に戻すための財政支出こそが、必要なものではないだろうか。

IMFはラテンアメリカに多額のドルを貸し付けたが、債務には一切手を付けず、コストカットによる収支の改善だけを義務付けた。これでは、融資の目的が、もっぱら債権者の利益の確保(貸付により利子の支払いを可能にし、国家財政の破綻による貸し倒れを防ぐ)にあったと言われても仕方がないだろう。

1980年代のラテンアメリカは、IMFの「救済」によってデフォルト(債務不履行)こそ免れたものの、その経済は改善せず、借金返済(利子の支払)のために新たな借金を強いられる「債務のわな」(debt trap)状態に陥った。

結果、ラテンアメリカは、この「失われた10年」ののち、再び「危機」を迎えることになる(メキシコ通貨危機アルゼンチン通貨危機、ブラジル通貨危機等)。

*後者の「危機」はアジア通貨危機と同じ構造なので、説明は事項に譲ろう。

(2)アジアの場合

先進国が「目を付けた」投資先には、もちろん、アジアの国々(タイ、インドネシア、韓国など)が含まれていた。

〈投資マネーの流入・タイの金融危機〉

アメリカやIMF(ほぼ同義だ)の影響で1990年代に資本自由化を推進したこれらの国々は、特に91年の日本におけるバブル崩壊以後、日本を含む先進国から多額の民間資本が流入した。

*日本に投資先がなくなったから。なお、資本とは「おかね」という意味です。

20世紀後半の投資マネーは短期に確実な利益を出すことを求めている。彼らは気まぐれにやってきて、「危うい」と見るや、さっさと消えていくのだ。

*19世紀との大きな違いである。ポンド覇権時代の対外投資は公共事業等に対する長期投資が中心だった(日本もイギリスの資金で鉄道を建設したりした)。

1997年、タイの経済指標の悪化(経常収支赤字など)を嫌った投機筋がバーツ(タイの通貨)を売り、バーツの価値が大幅に下落(2-3ヶ月で半分)。タイの銀行・企業の財務状況は悪化し、タイは金融危機と不況に陥った。

〈資金引上げによる危機の伝播〉

タイの金融危機は、インドネシア、マレーシア、韓国といった比較的良好な経済状況を保っていた国にも波及した。「アジアは危ない」と見た投資家が、資金を引き上げたからだ。

こうして、投機筋の売りによるタイの通貨下落が引き金となって、「アジア通貨危機」と呼ばれる経済危機に発展したのである。

〈IMF融資と構造改革〉

IMFはマレーシアを除く3カ国に融資を行い、融資条件として、「ワシントン・コンセンサス」的構造調整プログラムを実施した。

ここでも、とくに、経済運営が順調だったインドネシア、韓国の2国について、どんな対策が必要だったかを考えてみよう。

彼らの「危機」は、短期資本の引き上げによる資金繰りの悪化がもたらしたものだった。したがって、短期的には、資金不足を補うための融資に加え、一時的に悪化した経済状況を乗り切るための財政支出と金融緩和が必要であり、かつ、それで十分だったと思われる。そして、長期的には、むしろ、外部の資金に過度に依存しない経済システムの構築が必要だったはずだ。

ところが、IMFは、緊縮政策(財政支出の削減・金融引締め)に加え、金融機関の整理統合、国営企業の民営化、財閥解体、金融・資本規制の撤廃、労働市場の自由化といった広範な構造改革の実施を義務付けた。

単なる一時的な資金不足に構造改革で対応したことで、社会は混乱し、景気後退も深刻化したのである。

IMFのしたことは、一時的な資金不足に乗じて、有望な経済圏をドル運用の好適地に作り替えること以外の何物でもなかった。そう言わなければならないと思う。

ところで、タイ、インドネシア、韓国は、いずれも、2008年の金融危機を比較的うまく乗り切った国として知られている。彼らは、金融を緩和し、財政支出を拡大して、危機を乗り超えた。そう、彼らが採用したのは、IMFと正反対の経済政策だったのだ。

IMFを反面教師とした国こそが、金融危機によく耐えた。IMFの経済政策の問題性をこれほどよく示す事例もないだろう。

◾️アジア危機への日本の対応◾️

1980年代に本格化したIMFや世界銀行の新自由主義・市場原理主義的な融資条件(ワシントン・コンセンサス)に対し、日本政府がかなり明確に批判的な立場を取っていたことは特筆しておきたい。

1991年10月のIMF・世銀総会で、当時の三重野日銀総裁は、「真の経済開発のためには,・・民間部門を育成し,起業家精神の醸成や生産性の 改善に努めることが不可欠であります。同時に,政府が市場メカニズムを補完し,市場メカニ ズムが有効に機能するような環境の整備を図ることが重要」と指摘し、アジア諸国はその成功例であると述べていた。

アジア危機が起きた1997年の総会では、日本政府はアジア版IMFとなる「アジア通貨基金(AMF)」の設立を(非公式に)提案し(アメリカと中国の反対で頓挫)、1998年の総会で、宮澤喜一蔵相は、急激な資本引き上げによる外貨不足から生じた危機に対して過度の構造改革を義務付けたIMFのやり方を批判した。

少なくともこの時期まで、日本政府は、新自由主義への警戒感やIMF=アメリカに対して物を言う姿勢を持ち続けていたのだ。

*ここからはあまり根拠のない憶測だが、私の感じでは、日本政府が、これからの日本は、「ドル覇権を支える役人の地位を堅持し、金融で経済を「成長している風」に見せていくしかない」と本当に腹を括ったのは、2008年の金融危機の後、2012年に自民党が政権に復帰したとき(第二次安倍政権)だったのではないかと思う。安倍元首相が何をどのくらい理解していたのかは見当がつかないが、2013年以後10年間日銀総裁を務めた黒田東彦さんは全て承知の上だっただろうと思うし(批判しているわけではない。この時期に一役人として他にできることがあったとも思えないし)、後任で現職の植田和男さんも全て承知の上だと思う(これも批判しているわけではない。むしろ、任期中に大変な危機に見舞われる可能性が高いこの時期に日銀総裁を引き受けるなんて立派な人に違いないと思っている)。

(3)ロシア

後任のプーチンに大統領エンブレムを付けるエリツィン(1999)

ソ連崩壊後のロシアへの「支援」も悪名高い。

エリツィン大統領の下、長年の共産主義を捨て市場経済に移行しようとしていたロシアで、IMFは、短期間で一挙に市場経済化を進める「ショック療法」を強力に推進した。

価格が自由化されるとハイパー・インフレーションが発生し、その抑制のために厳しい緊縮政策が適用された。緊縮により、インフレは収まったが、生産部門は壊滅、国民総生産も半減し、外国資本への依存が進んだ。

*自由化・民営化で、元国有企業の多くが外国資本に不当な安値で買い叩かれている。

一旦は緩和された緊縮政策は、景気後退に歯止めがかかると見えた途端に再開され(1996-97)、金融引締めにより金利が上昇、IMFのプログラムに沿って大量発行した国債を内外の金融機関がこぞって購入した。

こうした一連のIMF療法の結果、この時点で、ロシアは外国資本への依存度が極めて高い経済になっていた。

ちょうどそのとき、アジア危機の余波が訪れた。新興国市場全般を「危険」とみなした投資家は、ロシアからも資本を引き上げ、ロシアの外貨準備は急速に減少した。資本流出は止まらず、ロシアは事実上のデフォルト(債務不履行)に陥った(1998年)。

*ロシア危機では(デフォルトで)アメリカ、イギリス、日本などの投資家が大損した。逃げきれば損はしないが、逃げきれずにデフォルトとなると大損害が発生する。だからIMFは「緊縮」を求めるのだ。

しかし、この危機による外国資本の引き上げとルーブル安(デフォルトと同時に通貨切下げも行った)は、長期的には、ロシア経済にプラスとなった。外国依存が絶たれ、国内の輸入代替生産が増加したからだ。

ロシアは2004年までにIMFへの返済を完了し、経済政策の自由を回復。経済はようやく安定した成長軌道に乗ったのだ。

*エリツィンは1999年末に退任、2000年からプーチン政権になっている。

世界経済のネタ帳」より

おわりに:「不正な秩序」再び

本文の中で、IMFの「ワシントン・コンセンサス」的プログラムは、「それを受け入れたほぼ全ての国で、社会・経済の混乱に拍車をかけ」た、と書いた。その実情を、専門家に証言していただこう。

IMFのプログラムでは、必ずといっていいほど財政支出削減を伴う緊縮政策が求められ、そのために公企業の民営化やリストラのみならず、公的支出を大幅に削減される。途上国・新興国に対する・・「構造改革」の規模は、当該国としては非常に大規模で、通常先進国で考えられるような穏和なものではなく、それと比較にならないほど短期間に急激な財政支出削減が求められる。このため、IMFプログラムを実施すれば、しばしば当該国政府の政権は交代する結果となる。2008年秋以降、アイスランド、ハンガリー、ラトビア、ルーマニアなどではいずれも国民の不満が高まり、政権が崩壊ないし交代した。アジア危機時にインドネシアでスハルト政権が崩壊したのもIMFプログラム実施がきっかけであった。

大田英明『IMF(国際通貨基金) 使命と誤算』(中公新書、2009年)ⅲ頁

途上国・新興国は多くの場合、ドル建てで提供された資本の気まぐれな引上げに遭うなどした結果、ドル不足で債務危機に陥る。

ここで、彼らがデフォルト(債務不履行)に陥ったとしよう。国の経済的信用は破綻する。しかし、大きな損失を被るのは彼らではない。資本を投下した先進国の側(機関投資家など)である。

だからこそ、彼らはデフォルトを許されない。IMFは、融資を提供してデフォルトを回避させ、緊縮政策を強いる。結果、国民の生活は困窮し、決して少なくない頻度で、政権の崩壊・交代にまで至るのだ。

「借りたものは返す。それが常識でしょう、奥さん?」。

そう言って、財産の最後の一片まで奪って去っていく。
あの高利貸しの声が聞こえてくるようではないか。

しかも、現在のアメリカは、工業生産力で世界の頂点に立ち、貿易黒字を誇ったあのアメリカではない。

膨大な経常赤字を出し続け、世界最大の債務国となったにもかかわらず、一切の緊縮策を拒み、他国にありとあらゆる圧力をかけて浪費を続けている、そのアメリカなのだ。

グローバル・サウスの国々が離反を誓うのは、当然ではなかろうか。

「不正な秩序」について書いています(この記事の予告編にもなっていました)
現在もまったく同じ問題が。配信もあるようです。
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世界を学ぶ 戦時下日記

ユーラシア大陸の中心で起きていること
ー戦時下日記(6)

西アジア中国を震源地として、本当に重要なことが起きていると思うのでまとめておく。

*以前、イランのハメネイ師が「ここは西アジアだ。中東などではない」と言っているのを聞いて「なるほど」と思ったので、西アジアを採用する(「中東」とか「極東」はヨーロッパを基準点とする言い方である)。

1 西アジアー和解に次ぐ和解

【予備知識】西アジアにおけるアメリカ

・アメリカは、冷戦終結後もロシア・中国・イランを敵視し、これらの国と良好な関係を保つ国々(イラク、北朝鮮、シリア、リビア、イエメン、ソマリア)で、政権転覆等を目的とした代理戦争を展開してきた(主な手段は武力攻撃と経済制裁)。

・アメリカの西アジアにおける最重要同盟国はサウジアラビア。サウジは長年イランシリアと対立して西アジア・アラブ世界で両者を孤立させ、アメリカの利益に貢献してきた。

・西アジアでの紛争状態の継続は、アメリカの利益(石油資源確保、武器輸出拡大、影響力保持)に合致した。

・もっとも破壊的な影響を受けたのはシリア

ーアメリカはアサド政権に「専制主義」のレッテルを貼り打倒を目指している(事実は異なる。アサド政権のシリアは世俗国家であり、近隣の王制国家と比べはるかに民主的)。

ーアメリカは2011年の反政府運動(「アラブの春」の一部)を契機に勃発した内戦で反政府側を強力に支援してきた。西アジア諸国ではサウジ、トルコ、カタールが反政府側。

ーアメリカは2015年から正式にシリアに駐留を開始。現在も一部を占領し、経済制裁も続けている。

ーISISとの戦いというのは口実に過ぎず、①中国、ロシアとの経済的関係(シリアはこれらの国に石油を売り武器を買っている。アメリカはこれらの国に石油を売ってほしくなく、また自国の武器を買ってほしい)、②イランとの政治的友好関係(アメリカは2010年に「イランとの関係を解消すればその見返りとして経済制裁を中止する」とシリアに提案して断られている)、③政権転覆(アメリカはアサド政権を倒しアメリカに従順な政権に変えたい)が主な目的と見られている。 

(1)サウジアラビアとイランの和解

・そういうわけで、サウジを中核とするイラン・シリア包囲網の構築がアメリカの西アジア政策の肝であったが、3月以降、この包囲網が一挙に瓦解をはじめ、西アジアに平和が訪れようとしているようなのである。

・3月10日、サウジとイランは外交関係正常化(7年ぶり)で合意した。共同声明は3カ国の連名でもう1国は中国。3カ国は北京で4日間に渡って協議を行ったとのこと。中国政府が仲介役を果たしたのである。

・アメリカは「イランが履行義務を果たすかが問題」とか言っていたようだが、履行に向けた動きは着々と進んでいることが窺える。

・4月6日にはサウジとイランの外務大臣が北京で会談して大使館の再開に向けた合意を締結。サウジの国王はイラン大統領をサウジに公式に招待し、大統領もこれに応じたという。

この記事を大いに参考にしました

(2)サウジーシリア関係にも和平が波及!

・3月末、サウジとシリアが外交関係の正常化に合意したことが伝えられ、4月18日にシリアでサウジ外相とアサド大統領が会談した。

・サウジは5月に開催されるアラブ連盟の首脳会議にアサド大統領を招待する方針とのこと。

アラブ連盟からの排除(ヨーロッパの国がEUから除名されたようなものだろう)というのが、アメリカの意向に基づく「シリアの孤立」の象徴のようなものだったので、これは本当に大きな動きなのだ。

シリアの外務大臣は4月1日はカイロを公式訪問している(4月12日にはサウジ。いずれも12年ぶりとのこと)。サウジ、エジプトというアラブ連盟の二大大国がシリアを歓迎していることが窺える動き。

・この動きの前提には、シリア内戦でアサド政権側がすでに勝利を決定的にしていて、周辺国がアサド政権の正統性を認めているという事実があるらしい。実際、サウジとの関係正常化に先立つ今年2月に、レバノンチュニジアアラブ列国議会同盟に属する各国の議員たちが相次いでシリアを訪問していた。

・そうした事実を前提に、仲介役を果たしたのはロシアであるらしい。

今年3月のモスクワでの会談の様子https://www.france24.com/en/middle-east/20230315-assad-meets-putin-in-moscow-as-syrians-mark-12-years-since-anti-regime-uprising
今年3月のモスクワでのアサド・プーチン会談の様子
https://www.france24.com/en/middle-east/20230315-assad-meets-putin-in-moscow-as-syrians-mark-12-years-since-anti-regime-uprising

・3月20日-21日には非常に印象的な習近平のモスクワ訪問があったが、そのときにこうしたことも話し合われていたに違いない。

・ちなみに中国はイスラエル-パレスチナ和平の仲介にも積極的な意向を示している(さすが共同体家族だ)。

*ところでシリア情勢とくにアサド政権について日本語で出回っている情報は「専門家」とか「現地で取材したジャーナリスト」のものを含めてほとんど嘘ばっかりだと思います。私はまず元外交官の国枝昌樹さんが書いたこの本(↓)を読んで「世間で言われていることは全然間違ってるっぽい」ということを知り、以後は情報を海外の非主流メディアに求めています。

国枝昌樹『シリア アサド政権の40年史』(2012年、平凡社)
この記事ではこのスレッドを大いに参考にしました。

*内戦前のシリアの美しい街並みを紹介したこちらの記事もとてもおすすめです(写真しか見ていません)。

https://www.theatlantic.com/membership/archive/2018/04/remembering-syria-before-the-war/558716/

(3)イエメンも?

イエメン内戦にも波及効果が期待できるという。

・イエメン内戦は、一般に「暫定政府軍」とシーア派の武装組織「フーシ派」の戦いとされている。前者の背後にはサウジがいて、かなり積極的に関与しているという。

・一方、世間では、フーシ派の背後にはイランがいるとされているが、アメリカが主張するほどイランが積極的に関わっているわけではないらしく、まだよくは分からないのだが、実態はサウジ=アメリカが扇動する戦争ということなのかもしれない。

・いずれにしても、サウジとイランの関係が改善するなら、イエメン内戦の終結は十分に期待できるのだ。

・4月14日から16日に行われた捕虜の交換は、両者の間で対話と妥協が成立しつつあることをうかがわせる。

・4月8日にはサウジの代表団停戦協議のためにイエメンを訪問し、次回の協議は4月21日に行われるという。

サウジはイエメン南部の港における輸入品の封鎖措置を解除することを発表、イランはフーシ派への武器送付を停止し、フーシ派にサウジへの攻撃を止めるよう圧力をかけることに合意したと報道されている。

サウジはイランがイエメンから手を引くなら、サウジはイラクとシリアから手を引くと約束したともされており、これが実行されるなら、本当に、シリアにもイエメンにも同時に平和が訪れるということになるだろう。

フーシ派のリーダーと握手するサウジ代表団

(4)アメリカだけが嬉しくない

アメリカは、イランおよびシリアとの和平に向けたサウジアラビアの動きを「不意打ち」と非難しCIA長官ウィリアム・バーンズをサウジに送り込んでいる。

https://www.businessinsider.com/cia-director-visited-saudi-mend-tattered-relations-mbs-report-2022-5

・しかし、サウジはもうずいぶん前から明確に「中立」の姿勢を打ち出し始めている。

・2021年には上海協力機構に対話パートナーとして加盟(今年の3月にサウジ議会も承認)、BRICSへの参加を目指していることも伝えられている。

・ウクライナ紛争では対ロシア制裁への参加を拒否した上、ロシア産原油の輸入量を2倍に増やし、対ロ制裁の効果を高めるためのアメリカからの石油増産要請すら拒絶している(大幅に減産した)。

・「中立」とは、この文脈では、アメリカの一極支配ではなく中国やロシアが推し進める多極化した国際秩序を支持するということなので、サウジは明確にアメリカに反旗を翻しているのだ。

2 ルーラは動く(中国訪問)

もう一つ、重要だと思うのは、ブラジル大統領ルーラの中国訪問である。

ルーラは3月下旬に中国訪問の予定を直前にキャンセルし(「本人の病気」が理由)、「むむ、怪しい‥(アメリカに懐柔されたのか?)」などと思っていたが、4月12日-15日に訪中が実現。

私の疑念を大いに払拭するハイテンションで、多極的世界に向けた意欲を語っていた(そして中国の人々に大喜びされていた)。

中国でのルーラの発言はすごい。

ウクライナ情勢については「アメリカは戦争をけしかけるのを止めて、停戦協議を始めるべきだ」。

*この発言についてアメリカは不快感を示し、ロシアは賞賛している。

*なおブラジルは、今年3月にロシアが国連安全保障理事会にノルド・ストリームの爆破について調査するよう求めた際、ロシア、中国とともに決議案に賛成している。

おまけに、ドルの覇権にはっきり疑問を呈する発言もしているのだ。

私は毎晩考えます。いったいなぜ全ての国が貿易をドルベースで行わなければならないのかと。なぜ私たちは自国の通貨で取引をすることができないのでしょうか。金本位制の後、ドルを基軸通貨にすると誰が決めたのでしょうか?

https://www.france24.com/en/americas/20230414-brazil-s-lula-criticises-us-dollar-and-imf-during-china-visit

中国とブラジルは3月に両国間の貿易を中国元ブラジル・レアルで行うことで既に合意していた(同様の動きは中国、ロシアの周辺のあちこちで出てきている)。ルーラはこれがドルの支配から抜け出すための動きであることを非常に明確に語ったわけである。

今まで中南米では、アメリカに抵抗し、なかでもドルの覇権に抵抗する動きを見せた為政者は、必ずアメリカの手によって倒されてきた(と分析する記事を読んだことがある)。

ルーラ自身も前回の大統領の任期中に汚職の罪をでっち上げられて投獄されているのだ(CIAの関与があったとされている)。

ルーラにせよ、サウジにせよ、彼らの行動をアメリカがどのように受け止めるかは熟知しているはずである。

それにもかかわらず、これほどあからさまに動くということは、彼らが「潮目は変わった」と見ていることを示していると思われる。

彼らは、「現在のこの世界では、もはやアメリカに従順に従う必要はない。いや、むしろ従うべきではない」と考えているのだ。

西アジア中南米、そしてアフリカがはっきりとアメリカ(ないし西側)一極支配体制から離脱する動きを見せている。

アメリカおよび西側は、もはや信頼に値するリーダーとはみなされていない。それだけで、すでに、アメリカ(および西側)の覇権は終わっているといえると思う。

中国側は歓迎式典で(アメリカが支援していた)ブラジルの軍事政権時代の
抵抗運動を象徴する曲を演奏してルーラを驚かせたという

3 おわりに

ウクライナは膠着状態(勝ち目はない)、西アジアにおける影響力を中国、ロシアに奪われ、グローバル・サウスがドル覇権体制から離脱する‥‥となると、アメリカは台湾問題で賭けに出るしかない、という感じがいよいよ強まる。

日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランドは、ギリギリまでアメリカに従って動き、最後の最後に引導を渡す、というような役回りであろうか(このツイートの動画が面白かったです。是非↓)。

ちゃんと考えている人がいるといいなあ。

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世界を学ぶ

ルーラとBRICSと世界の未来(翻訳記事付)

ブラジル大統領選で勝利したルーラ(愛称を正式の名前に入れ込んだものらしい。だから「ルーラ」でいいと思う)はBRICSの創設メンバーの一人である。

彼の勝利はいわゆる「グローバル・サウス」の人たちに大いなる希望として映っている。ウクライナ危機のおかげで「米国(ドル)のヘゲモニー崩壊→多元的秩序の形成」という道筋が具体的に見えてきて勢い付いているところに、信頼できるリーダーが一人加わるということだから。

BRICSは、当初は成長著しい4ヵ国(ブラジル、ロシア、インド、中国)をまとめて呼ぶための(投資家目線の)名称にすぎなかったが、2009年に本人たちが4ヵ国の首脳会議を開催し、以後「加盟」という概念が成立する公式の国際組織に成長している。

*当初4ヵ国のときは「BRICs」と書いていたが南アフリカが加わって「BRICS」になった。

そのときブラジルの大統領だったのがルーラだ。

これははっきりウクライナ危機の影響だと思うが、今年の7月頃から多くの国が関心を見せはじめ、アルゼンチン、アルジェリア、イランがすでに正式に加盟申請、ほかにサウジアラビア、トルコ、エジプト、アフガニスタン、インドネシアの申請が見込まれ、カザフスタン、ニカラグア、セネガル、タイ、UAEが関心を示しているとされている。

https://www.silkroadbriefing.com/news/2022/11/09/the-new-candidate-countries-for-brics-expansion/

地図にするとこんな感じ。

https://www.silkroadbriefing.com/news/2022/11/09/the-new-candidate-countries-for-brics-expansion/

イムラン・カーンがパキスタンの首相になったら間違いなくパキスタンもこの動きに乗るだろう。ユーラシア大陸の重心が移動していくのがはっきり感じられるではないか。

迂闊に立てた予測が眼前に近づいているようで興奮してしまう..)

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ルーラについての手頃な記事があったので、翻訳を付けておきます(各項目に要旨も付けました)。

これはラテン・アメリカの話が中心だが、パレスチナ問題などでもその指導力に期待する声が上がっているらしい(https://www.mintpressnews.com/how-lula-da-silva-victory-opportunity-palestine/282720/)。

いろいろ楽しみですね。

 

ルーラの勝利が米国主導の世界を変える4つのルート(Ted Snider)

https://original.antiwar.com/ted_snider/2022/11/01/four-ways-lulas-victory-will-reshape-the-us-led-world/

10月30日、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバ前大統領が再びブラジルの大統領に就任することが決まった。

第一回投票では48%対43%で現職ボルソナロに対して優勢に立ったが、勝利に必要な50%には届かず、二人の候補者の決選投票が行われた。ルーラは50.9%対49.1%でボルソナロを破り、決選投票を制した。

ルーラの勝利はブラジルをはるかに超えた影響を世界に与えるだろう。それは衝撃波となって様々な形でアメリカ主導の世界秩序を揺り動かす可能性がある。

1 ラテンアメリカの統合

ルーラは、メキシコのロペス・オブラドール大統領とともにラテンアメリカを統合に寄与し、ラテンアメリカのアメリカの覇権と干渉からの解放を導いていくだろう。

米国は長い間ラテンアメリカを裏庭と見なしてきた。今年1月のバイデンの演説で裏庭から「アメリカの前庭」に格上げされたが、前庭であれ裏庭であれ、アメリカはほぼ2世紀に渡り、自国の外交政策上の望みを達成するため、あらゆる干渉や暴力を駆使してその庭で遊び続けてきた。地球の西半球における覇権は決して秘密裏のものではなく、つねに公式の政策だった。それは、モンロー・ドクトリンに明記され、セオドア・ルーズベルトによって強化された。

*訳者注:セオドア・ルーズベルトは1940年の年次教書でアメリカはカリブ海地域の安定のために内政干渉(「国際警察力の発動」)を行う責務を負うというモンロー・ドクトリンの新解釈(ローズヴェルト系論と呼ばれる)を提示した。

ラテンアメリカでは現在、メキシコのアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール大統領のリーダーシップの下、ますます多くの国がモンロー・ドクトリン(すなわちこの地域でのアメリカの覇権と干渉)に対し反旗を翻している。ルーラ・ダ・シルバの当選により、ロペス・オブラドールとラテンアメリカ第二の経済大国であるメキシコは、ラテンアメリカ第一の経済大国で最大の政治的影響力を持つブラジルと手を組み、手強いパートナーシップを構築しようとしている。

大統領としての一期目の任期中、ルーラはベネズエラのウゴ・チャベスとともに、ラテンアメリカ統合と地域でのアメリカの覇権に対する抵抗の最初の波を率いた。今回の任期で、ルーラは第二の波を導く力となるだろう。

選挙戦の間、ルーラは、ブラジルは独立した外交政策を確保すると約束した。ラテンアメリカの専門家であるマーク・ワイズブロ(Co-Director of the Center for Economic Policy and Research)は「ルーラは一期目の任期のときと同様に、西半球の経済的統合を積極的に推進するだろう」と筆者に語った。

5月の選挙戦でルーラは西半球統合の重要性を強調し、「ラテンアメリカとの関係を回復する」と約束した後、ラテンアメリカ通貨の創設に言及した。これは無意味な選挙公約ではなかった。SURと呼ばれるルーラのラテンアメリカ通貨のアイデアにはすでにフェルナンド・ハダト前サンパウロ市長やガブリエル・ガリポロ前ファートル銀行頭取が賛意を示している。ルーラはさらにメルコスール・ブロック(ブラジル、アルゼンチン、ベネズエラ、パラグアイ、ウルグアイで構成されていた経済的・政治的ブロック)を再編成するとも述べている。

2 ベネズエラの孤立化政策

ルーラは、ラテンアメリカで進行するベネズエラの再統合の動きを後押しすることでアメリカのベネズエラ孤立化政策を破綻させ、ラテンアメリカの統合を強化していくだろう。

ベネズエラの孤立は、ラテンアメリカにおける米国の外交政策の礎であったが、近時その礎に亀裂が現れつつある。

アルゼンチンはすでにベネズエラとの関係を再構築すると発表しているし、メキシコ、ペルー、ホンジュラス、チリなど、他のラテンアメリカ諸国もベネズエラとの交流を再開している。エクアドルもベネズエラとの国交回復を検討中であり、アルゼンチンのアルベルト・フェルナンデス大統領はすべてのラテンアメリカ諸国に対しベネズエラ政府との関係を見直すよう呼びかけている。

ベネズエラと敵対し孤立させる政策において主要な役割を果たしてきたアメリカの同盟国コロンビアは、つい最近グスタボ・ペトロを大統領に選出したところである。8月9日、コロンビアはベネズエラとの国交を完全に回復させるというペトロの公約を実行し、ベネズエラへの大使の駐在を再開させた。

ブラジルの経済的・政治的な重みが加わることは、一期の任期でルーラがチャベスを支持したときと同様に、ベネズエラの再統合に強い影響を与えるだろう。5月、ルーラはTime誌のインタビューで「米国とEUがグアイドを大統領として承認したときには非常に気を揉んだ。民主主義を弄んではいけない」と述べている。

*訳者注:2019年1月、当時国民議会議長であったグアイドはマドゥロを再選した前年の選挙を無効と主張し、暫定大統領に就任した。

旧ルーラ政権の外務大臣でルーラの外交政策に関する最高顧問であるセルソ・アモリンは、ルーラの当選は「ブラジルが隣国ベネズエラと再度外交関係を築くための扉を開くことになるだろう」と述べている。彼は「ボルソナロとドナルド・トランプ米大統領はベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領との関係を絶つことで何も達成しなかった」と付け加えた。

3 一極体制の世界

ルーラは、世界におけるBRICSの存在感を高め、ブラジルおよびラテンアメリカ地域と中国・ロシアとの関係を強化することで、アメリカの一極支配の対抗軸となっていくだろう。

ロシア、中国、インド、ブラジル、南アフリカをメンバーとするBRICSは、米国の覇権に均衡することを目指す重要な国際組織である。ルーラは一期目の任期中にその創設メンバーとなった。

第二期の政権でもルーラはその仕事の続きを担うと考えられる。ワイズブロットはルーラは「アメリカと中国の双方と良好な関係を保とうとするだろう。以前もそうだった」と私に語った。ルーラは中国との間に経済関係だけでなくより友好な関係を発展させていくつもりだと明言している。

ボルソナロがルーラに変わったことは、世界のBRICSに対する見方に重要なインパクトを与えるかもしれない。

世界を民主主義国家と権威主義国家に二分するバイデンのマニ教的な世界観の中では、BRICSは権威主義のレッテルを貼られるおそれがあった。しかし、ルーラの加入で、それほど単純に片付けることはできなくなるだろう。

ルーラは民主主義の支持者である。公正な選挙で選ばれたリーダーであり、国際的な尊敬も受けている。

一期目のルーラはBRICSに国際情勢の中で重要な役割を担わせることに貢献したが、彼のBRICSへの復帰は再度同じ効果を発揮する可能性がある。

ルーラの選出はBRICSの絆とブラジルの対中国・ロシア関係の両方を強めることになるだろう。

4 ウクライナ

ルーラは、ウクライナ紛争における戦争終結のための交渉を促進する役割を果たせるかもしれない。

ボルソナロ政権下でさえ、ブラジルはアメリカ主導のロシア制裁に加わり国連でアメリカとともにロシアに反対票を投じることに消極的だった。ルーラの下でもアメリカにとって状況が容易になることはないだろう。ルーラは制裁を政治的過ちと見なしている。

アメリカにとってより重要なのは、5月4日のTime誌のインタビューで、ルーラが次のように語っていることである。

「プーチンはウクライナを侵攻するべきではなかったと思う。だがプーチンだけに罪があるわけではない。アメリカとEUにも罪がある。ウクライナ侵攻の理由は何だったのか。NATO?それならアメリカとEUが「ウクライナはNATOに加盟しない」と言えばよかった。それで問題は解決できたはずだ」

続けてルーラはバイデンと彼の外交的解決への努力不足を批判した。

「私はロシアとウクライナの戦争について彼が正しい判断をしたとは思わない。アメリカは強い政治的影響力を持っている。バイデンは煽るかわりに戦争を回避することができたはずだ。彼はもっと対話をし、積極的に関与することができたはずだ。モスクワに飛行機を飛ばしてプーチンと話をすることができたはずだ。それこそがリーダーに期待される態度である。物事が軌道を外れないように介入すること。彼はそれをしなかったと思う。」

ルーラはウクライナ紛争における外交の欠如という状況を変える役割を果たしうるかもしれない。元外交官のセルソ・アモリンは、ルーラは再び世界的な和平交渉における主導的な役割を担うことができると言う。彼は、ルーラの下でブラジルは中立と紛争の平和的解決という政策に復帰するだろうと述べている。

アモリンは、一般論としてBRICSは戦争終結のための交渉の場になりうるし、特にルーラは重要な役割を果たしうると述べる。ルーラはロシアと良好な関係にありロシアに尊敬もされている。アモリンによれば「彼は和平交渉向きの気質と実績を併せ持っている。」「ルーラは交渉に参加することができる諸条件を持っている。EUとアメリカが主導し、もちろん中国も参加する必要がある。新興国と共鳴する国としてプラジルも重要な役割を果たしうるだろう」と彼は言う。「BRICSはその力になる。」

ルーラがブラジルと国際舞台に戻ってきたことは、地域的にも国際的にもアメリカの一極支配へのチャレンジとなるだろう。地域的には、ルーラは地域統合を推進しアメリカの庭(表であれ裏であれ)として扱われることに抵抗する力となりうる。国際的には、ルーラは、BRICSの強化とそのイメージの向上、ラテンアメリカと中国・ロシアとの経済的・政治的関係の継続的改善、そしてウクライナでの戦争終結のための交渉のすべてを推進する力となり得るだろう。