「国家の誕生」は突然に
人類にとって、「人間らしさ」の獲得(約7万年前)に次ぐ大事件は、国家の誕生(紀元前3300年頃)だと思われる。
「社会」はおそらく7万年前から存在していた。農業も紀元前12000年頃には始まっていたとされる。人々は、互いに協力して、狩猟や採集、農耕によって食糧を確保し、子供を育て、外敵から身を守り、老いた者の面倒をみていた。踊りを踊って親睦を深めたり、何か決める必要があるときには話し合いもしただろう。
しかしその何万年かの間に国家が生まれていた形跡はない。つまり、この世界にまだ王はなく、法も、軍隊も、官僚も、宗教も、歴史も存在しなかった。
「人間らしさ」の獲得と同様に、国家の誕生も、漸進的な過程とは違う。人類が少しずつ進歩して法、軍隊、官僚、宗教、歴史を育んだ、というのではなくて、紀元前3300年前後、人類史の時間的尺度からすれば「一瞬」と言って差し支えないある時期に、その全てが同時に生まれたのである。
いったい、何が起きたのだろうか。
国家を生んだのは仲間内の争い
きっかけとなったのは、一つの単純な事実。人口の集中である。
メソポタミアでは、気候の乾燥が河川沿いへの移住をもたらしたらしいが、ともかく、大勢の人が一定の領域内に定住するようになり、土地が不足したのだ。
土地の不足は土地をめぐる争いを生む。
誰の間で?
社会契約説だと、人々は万人の万人に対する闘争状態(ホッブズ)を回避するために自由を差し出す。万人と万人はどっちも、無色透明の一個の個人であることが想定されている。
しかし、土地をめぐる争いが国家の誕生につながったのは、その争いが「万人の万人に対する争い」というよりも、味方同士、もっといえば、身内同士の争いだったからなのである。
国家以前の社会
国家形成以前の7万年の間、人類がどんな社会で暮らしていたかは、大体見当がついている。
夫婦二人と子供の核家族が基本単位。この家族がいくつか集まって、ともに移動し、狩猟や採集や移動農耕を行う一つのグループを形成している(血縁があることが多い)。
出入りは自由、regroupあり、上下関係もない横のつながりだが、原則としてこのグループの範囲では結婚しない(「バンド(band)」とか「小村(hamlet)とかいうが、以下「バンド」で統一)。
その外側にはさらに一定の領域内に暮らす1000人くらいのコミュニティがある。これも横のつながりで、上下関係はない。親戚ではないが、地縁に基づく仲間という感じのつながりで、人々は通常この範囲の中で結婚相手を探すことになる。
彼らが帰属する社会はここまで。この外の人間たちは基本「よそ者」であり、潜在的な敵である。
*なお、国家形成以前の階層化が進んでいない社会でも、すべての人間が平等の個人として観念されるということは決してなく、集団単位で、仲間とそれ以外、味方と敵というくくりを持っていたという。Todd, Lineages of Modernity, pp75-77. 本文の記載もこの本の63頁以下を主に参照。
こういう社会で、法律とか国王とかが必要かといえば、必要ではないだろう。
バンドやコミュニティの絆はゆるいから、内部での深刻な争いは起きにくい。バンド内で揉めたら一方が出ていって、どこか他のバンドに入れてもらえばいい。コミュニティの中に居場所がないという事態はおそらく(ゆるいので)生じないし、どうしてものときは出ていけばいい。
外部の人間との争いは実力勝負だ。
敵を裁くのに法はいらない。
負けた方が滅び、または撤退するのみ。
プレ国家状況
人口集中による土地の不足は、こうした状況を大きく変えた。
同じコミュニティとりわけバンド内というもっとも近しい身内の間で、のっぴきならない争いが頻発するようになったのだ。
農耕社会における土地の不足。それは、親は土地を持っていても、その子供たちが新たに開墾する土地は残っていないということを意味する。
今までは、子供たちは成人したら家を出て、新たに開墾した土地で新たな世帯を営めばよかったのだが、それができなくなるのである。
一家は、親の土地を子供に伝えることを考えるようになる。最初はきょうだいに分け与えることができても、それを続ければ土地は狭小になる。農業効率の低下を避けるには、分割せずに継承させることが不可欠だ。
さあ、誰に継がせるか。
というところで、争いが起きる。それも、一軒や二軒の話ではない。地域一帯のすべての家で同様の争いが起き、バンド内の誰は誰の味方に、誰は誰の味方になったりして何かややこしいことになり、戦争だって起きかねない(というか起きる)。
国家とは、どうやら、こういうときに発生するものらしい。
家族システムの誕生
世界史の教科書には、メソポタミアで都市国家が成立した頃に、文字が生まれ、王、官僚、軍隊、宗教、法が生まれたことが書かれている。
*最古の法典として知られるウルナンム法典は紀元前2000年前後の編纂とされるが、「法典」はそれ以前に通用していた法を整理してまとめたものだから、法そのものはそれよりずっと古いと考えられる。
しかし、国王、官僚制度、軍隊、宗教、法制度、そのすべてを成り立たせるのに不可欠な「権威」は、どこから調達されたのだろうか。
都市国家は誕生するとすぐに都市国家同士で戦争を始めるものだが(これはシュメールでも中国でも日本でも同じ)、都市国家の成立そのものは軍事的征服の結果ではない。軍事力以外のいったい何が、最初の王の誕生を可能にしたのか。
世界史の教科書には書かれていないが、答えは分かっている。
家族の体系化である。
人口の集中により土地が不足すると、親の土地を誰か一人の子供に受け継ぐという仕組みが開発される。これによって生まれる世代間の絆が、システム形成の基礎になる。
最初はルールが曖昧で、親が死んだらまずは親の兄弟に譲り、兄弟が死ぬと子供の世代に、とかってやるんだけど(Z型継承という)、それをやっていると相続争いは止まらない(日本だと南北朝の動乱とか応仁の乱とかって完全にこれだと思う)。
よし、それなら長男に継がせると決めてしまおう。
これで長子相続制が完成だ。
長子相続制(=直系家族)の完成によって、親子をつなぐ縦の絆は、家系をつなぐ一本の線となり、親から子(長子)、子から孫(長子)へと連綿と受け継がれることになる。社会の中に、確固たる縦型の権威の軸が据えられるのである。
直系家族契約による構造化
ここまでくれば、国家はできたも同然だ。
「親の権威を認め、親の権威が長子に受け継がれることを認め、家の繁栄と永続のために結束する」という社会契約が結ばれたことで、ゆるやかな横のつながりでしかなかったバンド、コミュニティの人間関係は、一気に縦型に構造化される。
共通の祖先をいただくコミュニティ内の「家長」が王となり、兄弟の序列に擬えて家と家の関係性が定まり、官僚機構が形成される。
国家以前(家族システム以前)の世界では、争いの解決は実力によるしかないのだが、権威が生まれたことで、法に基づく解決が可能になる。前述の契約に基づき、権威者の裁定に従い、権威者の定めるルールに従うことが、人々の義務となる。
と、まあこんな感じで、最初の国家は生まれたと考えられる。
人類最初の国家を生んだ社会契約は万人の万人に対する闘争状態を回避するために自由を差し出すというような契約ではなく、最初の国家は激しい闘争を勝ち抜いた者が人民を征服することで生まれたのでもない。
農耕社会における土地の不足という非常に具体的な条件の下で、土地の細分化および土地をめぐる争いを回避し、家系の維持(≒人類の生存)を確実にするために、人々は「親の権威を認め、親の権威が長子に受け継がれることを認め、家の繁栄と永続に協力する」という契約を結んだ。
この契約によって地球上に初めて発生した「権威」。これこそが、王、官僚制度、軍隊組織、宗教制度、法制度のすべてを成り立たせ、国家の成立を可能にしたのである。
今日のまとめ
- 自然状態において人類はグループに分かれ、仲間とそれ以外、味方と(潜在的)敵を区別している。
- 農耕社会における土地の不足で仲間内での争いが避けられなくなったとき、家族システムの最初の進化が起こり、同時に国家が発生する。
- 最初の社会契約は「親の権威に従い、親の権威が長子に受け継がれることを認め、家の繁栄と永続のために結束する」という直系家族契約だった。
- 直系家族の親の権威が、国家の成立に不可欠な権威を提供した。