目次
はじめに
トッドの人類学理論を学び、紹介・展開していく中で、いつも引っ掛かりを感じていたのがドイツのことだった。ドイツは直系家族だ。地域によって多少のバリエーションはあるにせよ国土全体を直系家族が占めている。日本と同じである。
ドイツと日本が同じシステムであることは、他のヨーロッパ諸国との比較ではそれなりに納得できる。地道で真面目な感じ、家族的価値観の強さ、遵法意識の強さとか。
しかし、両者がそっくりかと言われると、首を傾げてしまう。私は法学が専門だった関係でドイツとは比較的接点が多かったが、日本とドイツの間に、日本と韓国以上の違いがあることは否定できないと思う。
秩序志向であるという一致した傾向の中でも、ドイツの体系的でひたすら固く真面目なあの感じは何だ。分厚いコンメンタール(法律の注釈書です)、荘厳な音楽、カントにヘーゲルにマルクス‥‥
どれをとっても、とても生身の人間の仕事とは思えない体系性と壮大さが感じられるではないか。くらべると日本はどこか散漫でいい加減で、「本当に同じ家族システムなのか?」と言いたくなるほどの異質感がある。
それには人類学的な理由があるはずだが・・と思いつつ、ドイツの話にはあまり手を出さないようにしていたが、国家と「権威」の関係、ヨーロッパにおいてキリスト教が果たした役割を探究する過程で、ようやく「あっ!」という瞬間が訪れ、一つの仮説が誕生したので、ご紹介したい。
トッドによる「日本とドイツ」
最初に、トッドが日本とドイツの違いをどう見ているかを紹介しておこう。私の知る限り、彼は日本とドイツの違いをそれほど重く見てはいない。
日本社会とドイツ社会は、元来の家族構造も似ており、経済面でも非常に類似しています。産業力が逞しく、貿易収支が黒字だということですね。差異もあります。
日本の文化が他人を傷つけないようにする、遠慮するという願望に取り憑かれているのに対し、ドイツ文化はむき出しの率直さを価値づけます。
エマニュエル・トッド『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』(文春新書、2015年)157頁 (太字は筆者)(以下「ドイツ帝国」)
太字の部分は基本的に感情表現に関する事柄であり、内婚と外婚の相違に対応させて日本と韓国の相違を説明した私の分析の範囲内である。
しかし、トッドも、ドイツが歴史上時折見せる激しさやパワーに特別なものを感じてはいるのだ。
以下の引用をお読みいただきたい。
人類は皆同じと決めてかかる態度は、われわれの不安を鎮めてくれるかもしれないが、ドイツの過去の、現在の、そして未来の歴史的発展についての理解を禁じてしまう。ドイツも他の国同様の一国にすぎないと独断的に宣言するのは、人類全体の識字化や、1550年から1650年にかけてのメンタリティの大変容において、ドイツが演じた決定的な役割を見ようとしないことである。1880年から1930年にかけて発揮された、経済と科学におけるドイツの伸張のパワーを忘れることである。二つの世界大戦の戦時中にドイツが示した軍事的な有能さーほとんど超人的な有能さーを見ようとしないことである。‥‥1943年~44年頃、イギリスとソ連と米国の連結したパワーに対する抵抗において示した新たなステージの超人的有能さに到っては、ひとつの社会的・精神的構造が生み出した病理と認定するに充分であろう。‥‥ドイツは武力によって鎮圧され、1945年に分割された。するとわれわれは、あのネイションとその文化の凄まじいまでのパワーを忘れようとした。そして今、そのツケを払わされる時が来ている。‥‥
『我々はどこから来て、今どこにいるのか?下』(文藝春秋、2022年)159-160頁
(太字は筆者)
と、ドイツについてここまで言っておきながら、トッドは、日本との相違という点については、次の程度でお茶を濁してしまうのである。
考えてみれば、日本もまた、歴史上のパフォーマンスにおいて並外れていたし、今日なお並外れている国である。非ヨーロッパ諸国のうちで先頭を切って、日本は19世紀に経済的に離陸し、今なお世界の最先進国の一つにとどまっている。特許取得数は、先述のように、世界全体の三分の一にも近い。‥‥しかも、この驚くべきネイションが擡頭したのは、地震に絶え間なく晒されている列島の上でなのだ。
同上 160−161頁
おそらく、フランス人であるトッドには、ドイツと核家族地域の違いを説明できればそこそこ満足なのだと思う。それで、すべてを「直系家族のパワー」で片付けてしまうのだ。
しかし、「はじめに」で述べたように、日本とドイツはメンタリティにも違いがあるし、歴史的経験も大きく異なっている。
並外れたパフォーマンス? 日本は確かに識字化・人口増の時代には人並みに活躍し、暴れもしたが、その後は教育の頭打ち・人口減少という基層に従って順調に停滞している。
一方、ドイツは、本来なら停滞してもよさそうなそのときに、EUを主導し、トッドが「一人勝ち」(トッド・ドイツ帝国56-57頁)というほどの経済システムを構築したりしているのだ。
そういうわけで、日本人である私はこの違いに目を瞑ることができず、勝手に新たな仮説を立てたのである。
ドイツのメンタリティ:権威の過剰?
まずは、ドイツのメンタリティについて。単に直系家族であるというだけでは説明できない何かをドイツにもたらしているものは何なのか。
今となっては答えは簡単だ。
キリスト教である。
直系家族システムの権威+キリスト教の権威=ドイツのメンタリティ
この等式が私の仮説の全てである。
同じ直系家族でありながら、日本にはない体系性や生真面目さをドイツが持っているのは、ドイツが直系家族の権威に加えて、キリスト教の権威も合わせ持っているからなのだ。
キリスト教は一神教である。
一神教とはどのようなものであったか、思い出してみよう(参照:国家と宗教ー一神教と多神教)。
一神教は、もともと、家族システムが未発達で、メンタリティの中に「権威」を受け入れる素地を持たない原初的核家族の生み出した宗教である。
原初的核家族とは、関係性を律する規則を持たない「家族システム以前」の状態(あるいはそれに近い状態)を指し、彼らは内発的に国家を生み出すことはない。
それでも、近隣に都市国家やら帝国やらが林立してその勢力が迫ってくると、自身も国家を組織しなければアイデンティティを保つことができない状況に陥るであろう。しかし、彼らの家族システムは国家形成に必要な権威を欠いている。
窮地に陥った彼らは、天上にその権威を求める。
それが一神教の神である。
世俗の人々を導いてくれる強い神、全知全能で唯一絶対の神の姿を彼岸に描き、その支配を受け入れることで、世俗の権威に代替するのである。
国家と宗教ー一神教と多神教
一神教の神の権威は、原初的核家族をどうにかして国家にまとめるという目的のためにちょうどよい強度に作られている。
家族システムの中にすでに権威の軸を持っている人々が、それに加えて、さらに強大な一神教の権威を胸に抱いていたらどうなるか。
それがドイツの場合なのである。
日本史との共通点
これより、上記仮説の検証がてらドイツの歴史を概観していくが、もしお読みでない方は、「日本史概観」を先にお読みいただいた方が分かりがよいと思う。
なぜかというと、ドイツと日本は、同じく原初的核家族の時代に「舶来の」権威を借りて建国した国家として、そして同じく直系家族システムを育んだ国家として、よく似た構造の歴史を持っているからである。
①原初的核家族である間に「舶来の」権威によって建国
②直系家族が生成し、舶来の権威と地物の権威が綱引きを始める
③地殻変動期の内戦を経て「地物」直系家族の国家体制が確立する
④直系家族と「権威」の好相性ゆえに「舶来の権威」の方も保持される
ドイツと日本は、①-④のシークエンスを完全に共有している。
ドイツも日本も、遅くとも③の段階では、①で用いた「舶来の権威」は「なくても何とかなる」という状態になっているのだが、「権威」との好相性を誇る直系家族として(平等核家族のケースはこちら)、①で用いた権威を大切に持ち続けた点も同様である(④)。
両者の違いは、日本の「舶来」品が、中華帝国にインスパイアされて自己流で作った「天皇」であったのに対し、ドイツのそれが「キリスト教」であったという、その一点だけなのだ。
ドイツ史の激しさと複雑さ
しかし、パッと見たところ、ドイツ史と日本史は、だいぶ雰囲気が違う。ドイツ史はなんか複雑だし、激しいし‥‥
違いをもたらしているのは、「キリスト教」、というか、舶来の権威の性格である。
まず、「激しさ」は、「直系家族+キリスト教」のドイツのメンタリティの産物ということでよいだろう。
では複雑さをもたらすものは何か。二点にまとめよう。
(1)「舶来の権威」の主体は(皇帝+教会)の複合体
キリスト教は、単に権威ある宗教であったというだけでなく、ローマ帝国以来のガッチリした教会組織を持っていたので、建国以来、ドイツはその組織力の方も借り受けて、行政組織として活用した。
ドイツにおける「舶来の権威」の主体は、実質的には、「皇帝+教会」の複合体であり、そのせいで、綱引きの構図がやや複雑になるのである
日本では「天皇 VS 武士」であったものが、
ドイツでは「(皇帝+教会) VS 諸侯」となる。
したがって、直系家族のドイツは、自らの家族システムに即した国家を打ち立てるために、皇帝と教会の双方を打倒しなければならなかった。
その過程で皇帝と教会の間に勢力争いが起こることも構図の複雑化に一役買うが、それほどややこしくはないので、ここで押さえておこう。
皇帝と教会はその時々の都合で協力しあったり争ったりする。両者の協力関係は諸侯にとって脅威だが(宗教改革のときがそうだった)、いがみ合ってくれるとどちらかの勢力が落ちるので、諸侯にとってはありがたい。
ドイツ史で一番重要なのは、世界史でも習う「叙任権闘争」(詳しくは次回)で、これによって(譲歩した)皇帝側の権威が低下したことが、諸侯の優位に大きく貢献したのである。
(2)「皇帝」は「西方キリスト教世界の王」の称号だった
フランク(のちドイツ)の王がローマ教皇から授かった「皇帝」の称号は、ドイツの王というより、「西方キリスト教世界の王」としての称号であったので、皇帝がその権威を保つためには、西ヨーロッパ世界での支配権を保持している必要があった。
「ローマ皇帝」であった皇帝は、実際のところ、あまりドイツ国内にはいなくて、海外に遠征してばかりいるのである(ドイツ語を話せなかった人すらいる)。
頭に入れておいていただくとよいのは、ここでも諸侯勢力にとって「棚ぼた」的状況が発生するということである。皇帝は、領土を広げたり守ったりするのに忙しく、あまり国内にはいない。その間、国内では、留守番をしている諸侯たちの勢力が必然的に強まるのである。
・ ・ ・
こうした要素があるために、ドイツにおける「(皇帝+教会) VS 諸侯」の綱引きは、承久の乱のように両者が直接戦うという構図にはなかなかならず、概ね以下のような経過をたどる。
皇帝は、教会との争いや海外遠征によってその勢力をすり減らし、諸侯がじわじわと国内での勢力を拡大する。
「プレ近代化」状況で各階層の国民が(皇帝+教会)に対して反乱を起こし(宗教改革)、これを収める過程で諸侯の優位が確定する。
最終的に、宗教改革の終盤(およびその延長戦である三十年戦争)で両者の直接対決があり、勝利した諸侯が、直系家族システムに依拠した国家体制を確立するのである。
ドイツ国家史のシークエンス(予告編)
①ー④のシークエンスにこれらの要素を書き加えて、次回の予告編とさせていただこう。次回以降、だいたいこんな感じで話が進む、というだけなので「へー」と眺めていただければと思う。
①原初的核家族である間に「舶来の」権威(皇帝+教会)によって建国
②直系家族が生成し、舶来の権威(皇帝+教会)と地物の権威(諸侯)が綱引きを始める
②-1 皇帝は諸侯の勢力を抑えるために教会を保護する
②-2 力をつけた教会は皇帝と対立(叙任権闘争)。皇帝が権威を低下させ、相対的に諸侯の勢力が高まる
②-3 皇帝は海外に支配権を広げ「帝権の絶頂期」を迎えるが、国内では諸侯が勢力を固める
③地殻変動期の内戦(宗教改革・三十年戦争)を経て、「地物」直系家族の国家体制が確立する
③-1 識字率を高めた「地物」直系家族の国民が教会に反旗を翻す(宗教改革)
③-2 反乱を収めた諸侯が支配権を確立
③-3 「(皇帝+教会)VS 諸侯」の最終決戦となり、諸侯を中心とした領邦国家体制が確立する
④直系家族と「権威」の好相性ゆえに「舶来の権威」の方も保持される
④-1 皇帝の宗教的権威、教会の権威はともに失われるが、国民は宗教改革を通じて「自分たちの信仰」を練り上げる
④-2 領邦毎に選択された信仰(カトリック or ルター派 or カルヴァン派)が領邦君主の支配下で公式に生き残る
今日のまとめ
- ドイツのメンタリティは、直系家族とキリスト教(一神教)が重なる権威の過剰によって生み出された。
- 直系家族である日本とドイツは、①舶来の権威による建国、②舶来の権威と地物の権威の綱引き、③地物の権威の勝利、④舶来の権威を保持、というシークエンスを共有する。
- ドイツ史の複雑さは、①当初の権力主体が「皇帝+教会」であったこと、②皇帝がドイツ王というより「西方キリスト教世界の王」であったことによる。
- 「天皇 VS 武士」に相当する対立軸は「(皇帝+教会) VS 諸侯」。
- 直系家族の国家体制の確立のためには、皇帝と教会の両方から支配力を奪う必要があった。